作品名:平安遥か(T)万葉の人々
作者:ゲン ヒデ
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           和歌の力
「しかしご苦労ですねえ、歌集を大事に子孫まで伝えるとは」
「でもこの歌集に命を救われたよ。いきさつを話そうか。さっき、娘がちらっと話した、去年の私のえん罪の話だが」
 藤原宿奈麻呂に招かれた宴で、弓削男広という者が、宿奈麻呂に酒を勧め、愚痴を巧みに惠美押勝への批判に誘導して、泥酔した宿奈麻呂の「押勝さえおらなければ、わしの位は上がっているはず」の言を得て密告した。
 恵美押勝暗殺計画にでっち上げられ、宴に参加した全員が取り調べられた。
 家持のこの邸宅にも弾正台の役人が来て、取り調べを受ける。
 ちなみに、後で万葉集の二十巻以後用に収集した歌のメモの木簡多数が押収されて、手違いで焼かれた。
 謀反の証拠の文書を、探したが元よりあるはずもない。
 必死で探していた役人は、後に万葉集といわれる二十巻の歌集を調べ始めた。
 判らない歌を、家持に判読させるつもりで、控えさえた。
 一人の役人が、ある歌詠みの歌を詠め、と言う。
 詠むと、その役人は、おいおい泣き始めた。
「もの凄く感動する和歌ですか」
「いやあ、ありふれた歌だよ。実は、その男の祖父の歌だったんだが。尋常ではない感動の姿
だったが、はて?まあいいか、とにかくその男は、感動して『亡き祖父に会えた。大伴卿は 
わが祖父の歌まで後世に残そうとされている。それに惠美押勝様の歌まで載っている。謀反な
どありえぬ。押勝様の前で、無実だと掛け合いますぞ。大伴卿もご一緒に参られい』と、歌集
全部を運んでもらって、田村第へいった」

 田村第は大伴邸から南にある。目印は近年建てられた邸内のツインの東西の高楼(都で1番
高い、反乱に対する見張り台か?)である。その権勢により、いまや自分の邸内で、政務を取
っていたそうである。立ち並ぶ建物のうち、新設の大きな寝殿の執務の間に、通される。

「で、押勝の前だが、『なるほど、わしの歌が載っている。うれしいことだ。墨も古いから、
確かだ。それに昔の恩義もあるなあ。だが、建前上、無罪放免は採りにくい。まあ、洛外追放
の形をとるが、すぐ元にするから我慢されたい』といわれて。その後なあ、うふふ」
「その後、なにか」
「いやあ。大織冠公(藤原鎌谷)の歌もあるのかと聞かれて、 巻物を広げ、文面をあいつに
向け掲げて見せて、
 『内大臣藤原卿、釆女安見児(やすみこ)を娶(え)たる時に作る歌一首
 吾はもや安見児(やすみこ)得たり皆人の得かてにとふ安見児 得たり』
 と唱ったらな、あいつ、上座から飛んで下りて、『ああ大職冠さま』と掲げた巻物に、土下
座したよ」

「ですが、それにしては、薩摩の守では、話が違うのでは」
「昔の恩義が、ちと時機が遅すぎの助けでな。つらい思い出のなかでのことだ。ああもう食事時だ、その時話そう」  

          安積親王の死
  夕餉が始まった。そこは、横に竈がある土間続きの建物となっている。
 家持家族、山部、家来がそろう。他の使用人は、えん罪事件の時に、帰したままでいない。
 夫人と娘が、いがいしく料理を運ぶ。土鍋に蕗、大根、が入った七草粥のようなものを木椀
にすくう。他に小魚、茸汁、などなど、山部から贈られたのは塩漬けの鯨、みその元祖、菜漬け、が出た。
「うん、美味い。鯨の肉は、初めて食べた」生姜と炊いた鯨をほめる家持が
「約束の、つらい思い出の話しをしよう」と酒を飲みながら語り出した。

 ちょうど二十年前(744年)に遡る。
 26歳の大伴家持は、聖武天皇の皇子『安積親王』の内舎人(侍従)を務めていた。
 この親王はこの時十六歳。(親王の実の姉が、井上内親王である。この時は伊勢斎王を務め
ていて、白壁王との結婚はこの数年後になる)
 
 この頃、聖武天皇は奈良の都を避けるように各所へ遷都、巡幸を繰り返していた。
 
【その理由について諸説あるが、筆者は、虐殺した長屋王一族《妻は聖武天皇の実の姉》の呪いから逃れるために、気学の方位術《風水学》による吉方向への移動を、藤原仲麻呂《後の惠美押勝》の献策によってなされた、との仮説で物語を進める】
  
 で、この首都移転や巡幸で、人々は大変な負担を強いられ、随員の苦労も、大変であったらしい。
 浪速の宮への巡幸の途中で、急に、仕える安積親王の足がむくみ、しびれだした(おそらく脚気)。
 で、恭仁京にいる老僧医に診てもらうよう、同行の医師(くすし)に勧められて、親
王付きの一行は戻った。
 そこに仲麻呂(惠美押勝)が留守居役で居り、その僧医を迎えに行ったが、運悪く、その僧医は、国に帰っており、代わりの僧医が連れてこられた。
 その僧医は二十三歳位だった。 
 あんまや指圧の治療を懸命にした。が翌々日、亡くなった。
 僧はそそくさと帰ってしまう。
「皆が泣いてる後ろで、あいつ仲麻呂(惠美押勝)は『わしは終わりだ、こんな不運があろうか、わしは終わりだ』と、場違いな泣き声を出しおった。」 
 
              逃げた若い僧医
 しばらくして、気を取り直した仲麻呂は、「あのへぼ僧医を捕まえる。このままではわしの責任になる。おい、家持付いてきてくれ」と泣いている家持を、寺まで無理矢理連れていった。
 が、その僧は、後難を怖れて逃亡した後だった。
「あやつ、草の根を分けても探し出してやる」と仲麻呂は、飛び出ていった。
 ぼんやりと家持が残っていると、寺の老僧医が戻ってきた。
 老僧医は、親王を看取った若い僧のことを
「一月前に、私に薬草を学びに来た者ですが、針灸の技術は優れていて、私の手に負えない患者も治すほどの腕を持っておりますが、どのような治療をしましたか」
「うーん、あんま、指圧を、はて、速効のある針灸を使わないで、…そうか、玉体にキズをつけられぬからか」とかってな解釈をした。
 
【明治前まで、畏れ多い方の体をキズつけてはいけないとの 考えから、天皇(玉体)に針灸の治療することは、許されなかった。では、薬など他の治療がきかず、後は、針灸しかない場合は どうするのか、譲位しなければならないのである。では、天皇でないこの親王にはどうかだが、考証不足の筆者には判らない。で、若い僧医が、親王を玉体に近い立場だ、と思って針灸をしなった、と解釈を願う】
 
 そして、その僧の出した名簿の出身地、経歴、がおかしいことが判った。
 老僧は「あの男は、私度僧(非公認の僧)だったのか、それで逃げ出したのですな。しかし、いい腕をしていたがなあ」
 で、家持は、あわてて内裏へ戻った

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