作品名:芸妓お嬢
作者:真北
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6−1

漆黒の夜空が、次第に明ける頃、日本橋の頂点に立って、旅立つ者、
働き始める者たちを、見回していた。
数馬はそっとお珠に近付き、声をかける。
「珠姫様。やっぱり、お屋敷は性に合わないのでござるか?」
「あっ、もう、見つかっちゃった……連れ戻すなんて、言わないわよね」
「ええ、言いませんとも、しかし、一ノ瀬数馬もお供いたします」
「与力の件は、どうするのですか?」
「拙者、暇願いを出していますので、期限の三ヵ年」
「まさか! 暇願いは受理されていないはずです。叔父様は、そう言ったはずです」
「珠姫様を、このままほっとくわけにはいきません」
「では、私の直轄家臣になっていただきますわよ」
「承知いたしました。殿には、書状を送っておきます」
「では、よろしくお願いします」
この時点で、一之瀬数馬は、珠姫の直轄家臣となったのである。
しかし、隠密侍はしっかりとその後を付けていたし、三代目服部半蔵も
屋根の上から覗いていた。
日本橋の頂上で、お珠と数馬が立ち話をしているところへ、
旅姿のお香が数馬の姿を発見したようだ。
「あれは……」
朝日が当たりだした、橋の上に立っているのは、
三日三晩、思い続けて来た男性の顔であった。
「数馬様……」
よく見ると、武家娘と話をしているようだ。
「数馬様に限って……」
お香は、複雑な心境で日本橋に差し掛かっていった。
お珠と数馬は、近づくお香には、まったく気づいていなかった。
直轄家臣となった数馬に、お珠はちょっと気があったのでこう切り出した。
「数馬様は、私に惚れたのじゃないのかしら」
「とんでも、ござらん。拙者には、許嫁のお香と言う者がおります」
「ははーん。数馬さんは、お香さんて人を、本気で好いているのですね」
「無論でござる。兄上との事が無ければ、すぐにでも、祝言を挙げる予定でした」
丁度、その時、お香は数馬の隣にいた。
「数馬様。そのお言葉、ほんとうでございますね」
備前にいると思っていた、お香がこんな朝早くに、すぐ隣にいるなど、想像もつかなかった。
お香は、ほこりにまみれた顔を、涙でぐしゃぐしゃにして、数馬を見上げていた。
「お、お香!!」
「あっ、この人が……お香さん?」
お香は、何百里の道も、今の言葉で疲れを感じなくなっていた。
そのまま、一ノ瀬に抱きついていた。
「とにかく、数馬様。ここじゃ人目につきます。門前町長屋に行きましょう」
お香は、数馬の手を握りぜったいに離さない。
恥ずかしそうにうつむいて、くっついてくる。
「このまま、長屋に行ったら、みんなに冷やかされるでござるよ」
「将来、与力としてみんなと顔を合わせるのですもの、冷やかしたりはできないわ」
「えっ、数馬様は、江戸で与力をなさるのでしょうか?」
「殿様より仰せ使わされましては、断わるわけもいかぬのだ」
「あっ、数馬様。沼津宿で闇鴎流の門下数人が、
数馬様を殺めに江戸に向かっているのです。
今頃、旅立っている頃でございましょう」
「それは、誠か」
「数馬様、どうしましょう」
お珠が、振り返り数馬に話しかけると、お香が数馬の手を引いた。
「このお方は、どなたでございます」
「お香、このお方は、珠姫様でござるよ。そして、拙者は姫様の直轄家臣となりもうした」
「えっ、ご無礼、お許しくださいませ!」
「いいから、いいから。数馬様には、言い尽くせぬほどの恩がありますから。
もちろん、変な事は何もないから、安心してよ」
お香は、真っ赤になってうつむいてしまった。
そう言っているうちに、白木屋門前町長屋に到着した。
ちょうど、木戸が開かれるところだった。
数馬は、着飾ったお珠と、旅姿のほこりにまみれた武家娘を連れて、木戸を潜るのだった。

6−2

白木屋門前町横丁では、数馬とお珠が戻ったことで、
大騒ぎになっていた。
「お姫様が、もどられたぞ!」
そう、呼びかける声がし、女房たちも、お珠が徳川家康の血を継ぐ、
池田家のお姫様である事で、ひれ伏していた。
「まあ、まあ、みんな。そんなことしないでくださいな」
芸者置屋の女将も、白木屋旅籠の女将も、お珠に合掌していた。
「ごめんなさい。お姫様だって知らなかったもんだから……」
お珠は、一夜で状況がガラリと変わってしまった事を、思い知らされた。
そこに、留蔵がいつもと変わらん調子でやってくる。
「おぉー。数馬さんと、お珠ちゃんじゃねーか!」
「と、棟梁!」
みんなが、留蔵を止めに入った。
「いいんだよ。お二人ともこっちに上がって」
そこに、旅姿のお香を発見する留蔵だ。
「このお方は?」
「あっ、これが、許嫁のお香です」
「お香です。皆さん、数馬さまが、大変お世話になりました」
そう言って、頭を下げた。
そこで、歓声が上がった。
「やった! 俺達の与力様の奥方様だぜ!」
それは、もう、お祭りのような騒ぎとなったのである。
この大騒ぎに、一番びっくりしているのは、お香ではないだろうか。
数馬が、町人からこれほどの信頼と人望があるとは、想像もつかなかった。
見上げる数馬の横顔が、なんて、凛々しく見えたことか。
長旅で、やっと出会えた愛しき人のたくましいこと。
お香は、知らず知らずに涙にむせんでいた。
「どうした。お香、おまえには、ほんとうに苦労をかけるな」
優しい言葉が、なおさら、お香の胸に響き、大声を上げて泣き出してしまうのである。
お香は、旅籠の女将に連れられ、旅のほこりを落としに旅籠へと連れられて行った。
旅籠の一室に、お珠と女将ふたりと、数馬が集まり今後の事を話し合っていた。
「もう、みんな、いままで通りにしてもらえないかなぁー」
お珠は、みんなが堅苦しいのが、嫌になっていた。
「それじゃー、いままで通りに、お珠ちゃんでいいかい」
女将さんふたりは、顔を見合わせて言う。
そこへ、一風呂浴びて、綺麗な着物に着替えた、お香がやって来た。
「これは、かなりの別嬪《べっぴん》さんじゃないか」
留蔵は、着替えてきたお香を見て、溜息をついた。
改めて、お香は三つ指を付き、挨拶をした。
そして、数馬もここで、改めて、お香に言う。
「お香。あの試合の後、何も言わず江戸詰めに志願し、お前に会わずに旅立ち、
誠に申し訳なかった。この通りだ。申し訳ない」
数馬は、大ぜいの前で、お香に頭を下げた。
「数馬さま。やめてください。あの日、試合前に、兄上から
こう言われています。この試合で、万が一にも、自分が命を落とすような事が
あっても、数馬を恨むことのないようにと、相伝のかかった大事な試合であり、
武士の本懐であると、申しておりました」
「兄上様は、そのような事を……。あの日以来、毎日、兄上様に詫びを入れ、
冥福を祈っているのでござる。お香にその言葉を聞いて、自責の念が和らいだ思いだ」
「ただ、武本家に家督相続人がいなくなりました。わたしたちに男子を……」
と、そこまで言って、お香は真っ赤になってしまった。
「めでたい、めでたい。これは、祝言を挙げなければならないのー」
留蔵が大喜びではしゃぎだし、つられてみんなも、大喜びの一時となった。

6−3

池田屋敷の上屋敷では、隠密に一ノ瀬を監視していた侍が光政に報告をしていた。
「備前より、一之瀬の許嫁のお香が、参っています」
「武本家の家督は、継ぐ者がいないのだな。一之瀬家か武本家が合併する
以外に方法はなかろうな」
庭で、鯉に餌を与えながら、光政は隠密侍に引き続き、
珠姫の護衛をするようにと言い、屋根の上の忍者にも、目くばせをしていた。
「不穏な動きは、こちらから、手を下すまでもなく、向こうからやってきてくれおったわい」
池田家転覆の悪だくみをする連中は、みな江戸に集結しているようであった。

     *

そんな事とは、まるでしらない、数馬たちは、お香を連れ、
半玉さんたちも伴い浅草寺に向かった。
お珠を先頭に半玉さんたちの行列の、一番後ろの数馬とお香。
なんだか照れくさそうに、顔を赤らめながら、うつむいて歩いている。
何も会話らしい会話もしていないのに、なぜか、微笑ましく見えた。
留蔵が、いつものように数馬に話しかけようとすると、お珠が割って入り留蔵を止めた。
「留さんってば、ヤボよ。せっかく、再会できたふたりなんだから、
そっとしておいてあげましょう」
留蔵は、ふたりのことが気になってしかたが無いのだが、
お珠の言うことを聞きしぶしぶ引き下がった。
しかし、数馬とお香は、そんな浮いた話をしていたのでは無かった。
「それで、何人ほどの刺客が、来ているのだ」
「十数人で、江戸に向かっています」
「箱根の関所で、怪しまれるだろうな」
「数名、ずつに分けて、越えてくるかもしれませんね」
「そうだとしたら、数日の猶予は無いだろう」
「2・3日で襲って来るやもしれません。
数馬様、闇鴎流派の門下と決闘するのでございますか?」
「公然と果し状でも突きつけて来たのなら、
試合と言う形で決闘せねばなるまいが、闇射ちしてくるだろう」
「門流との決闘、免状を返上するとか、手はないのですか?」
「お香の兄上の命と引き換えにした、
闇鴎流派の継承権を、手渡してもいいと申すか」
「ええ、お香は数馬様の命の方をお取りいたします」
「お香がそれでいいのなら、継承権など返上いたそう」
浅草寺の富くじ売り場の目の前までやってきた。
さて、富くじの当選番号はと、全員自分の札を手に取り、
掲示されている番号と称号するのだった。
「数馬様! これ、当たってますわよ」
なんと、数馬の富くじが、千両の第一等を当てたのだった。

     *

光政と忍者の会話は続いていた。
「一ノ瀬と言う男と珠姫とはいい関係になったのか?」
「いいえ、一ノ瀬には許婚がおりまして、珠姫様には指一本触れておりません。
家臣として、その役目をはたしている様に見えます」
「なんと、指一本も触れぬと申すか。
実は、お珠に稚児《ややこ》を孕《はら》ませようと
企んでおったのだがそれは叶わぬようだな」
「一之瀬は、かなりの硬ぶつでござる」
「仕方がないな。お珠は、どこかの大名に嫁がせるしかないようだな」
その頃、数馬たちは、吉原にやってきていた。
女連れのこの一行は、完全に浮いていた。
あの病気をしていた女郎を探していたのだ。
服部半蔵と出合った路地を探していた。
「まだ、死んじゃいないわよね」
「服部殿が、食事と薬を与えてくれると、言っていましたからね」
半玉さんたち、お里、お染音も、なぜか珍しく、遊郭を見学している。

6−4

吉原の女朗置屋の格子窓の中の遊女を見るのは初めてのことで、
なぜか、遊女が気の毒に思えていた。
半玉さんたちと遊女が目が合うと、ツバを吐きかけてくる遊女もいた。
「あぁー。女郎じゃなくて良かった。こんなところじゃ、一日も生きられない」
そんなことを、言う半玉さんもいた。
留蔵は、なじみに会わないことを願っているのか顔を上げずにいた。
お香も一緒に見学していたが、なぜか恥ずかしくて顔を上げられずに付いて来ていた。
「お嬢様、ここですよ。ここから、中に入ったんです」
「そうだわ。この木戸ですね」
その中に入ろうとすると、男が飛び出てきて、いちゃもんを付けてきた。
「ヤイヤイ! ここから中は立ち入り禁止だ」
「この中に、瀕死の病人がいるだろう? 彼女を身請けしに来たんだ」
「いねーよ。そんな奴は!」
「いいから、どけ」
数馬は、男を払いのけ、木戸の中に入っていった。
お珠も中にはいると、座敷牢の扉は開いていた。
唖然とする、お珠と数馬だった。
「遅かったか……」
「そ、そんな。あの人、死んでしまったのだわ」
カラクリ扉を探したが、それも、見つからなかった。
「服部半蔵は、いないか?」
大声を上げて、服部半蔵を呼んだが、彼は現れなかった。
先ほどの男を捕まえて、牢の中の女郎の話を聞いたが、
知らないの一点張りでらちがあかない。
仕方無しに、今日は引き上げることにした。
足取りはもの凄く重い。
白木屋門前町長屋に戻ると、隠密侍が珠姫を迎えに来ていた。
「珠姫様。お迎えに上がりました」
総勢100名はいそうな、侍の数に半玉さんたちも、仰天していた。
金襴豪華な籠は、総漆塗りで内部の装飾は、金で飾り付けられていた。
本当に、お姫様なのだと、長屋の者たちも納得する豪勢な籠の一行である。
お珠は、名残惜しそうに、迎えの籠に乗り込んだ。
籠は、「したにーしたにー」と、上屋敷に向かっていった。
池田屋敷の上屋敷に連れ戻されたお珠は、数人の家臣に監視されながら、
自分の部屋にいた。
行灯の光が揺らめいている。
おつきのものが各所にいるのが、障子に映る影で見て取れた。
お珠は、自室であの女郎のことを、ずっと、考えていた。
武家の娘として生まれ、食べるものや、寝る場所、着る物に困ることはない。
自由に外泊や遊びができないとはいえ、働かねばならないこともない。
どんなに、隠れて外泊したとしても、忍者や隠密者に、守られているのだと感じた。
それに比べ、吉原の女郎たちは、借金を背負って働かされ、病気になったら、
食事もあたえられず、看病もされずに、死ぬのを待って、
死んだら、投げ込み寺に捨てられるか、川に流されるかのどちらかである。
死んだところで、悲しむものもいない。
そんな、ことをずっと考えていたら、涙が零れてきたのであった。
「誰か、おらぬか」
お珠は、お付を呼んだ。
すぐに、現れたのは、あの隠密侍であった。
「珠姫様。何用でござるか?」
「服部半蔵と言う、忍者をここへ呼んで来てもらえぬか?」
「服部半蔵と申しますと、公儀隠密の幕臣でござる、我々、藩士には……」
「では、聞いてくることも、出来ぬのか?」
「どういったことで、ござるか?」
「吉原で、女郎に食事と薬を与えると約束したはずなのに、
約束を果たさずに、女郎を死なせたのはまことかと、
問いただしてきてもらいたいのじゃ」
「珠姫様の仰せなら、拙者、忍の出身故、
拙者が服部半蔵とやらを、探し出し、聞いてきましょう」
「忍の者……。あなたの名前は?」
「佐々木六角と申す」
隠密侍は、六角という忍者であった。
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