作品名:勿忘草
作者:亜沙美
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長編勿忘草

第四章

「愛子さん」
藩は静かに言った。
「愛子さんは愚鈍ではありません、子供ができなくて、苦しんだ過去もあるわけで。
僕も親が統合失調症でしたから、普通の親をもてなかったことはとても悲しみまし
た。でも、悲しんではだめです。仕方ないって事は誰にでもある。」
「そうですよ」
優子さんも言った。
「あたしも母親としては、失格です。やっぱり息子を殺してしまった、というのは
本当に残酷な現実かもしれない。でも、また歩き出さなければだめです。息子は、
自殺してしまいました、しかし、学ぶことを残しました。私も、今、発達障害のあ
る子を受け入れた保育園に勤めていますが、息子のような障害を負わないよう、私
なりにがんばっているんです。彼が、息子のように苦しまなくもいいように。彼は、
普通の子より覚えも違うけれど、ゆっくりやれば、ちゃんとできるんです、だから、
保育士はやっぱりやめられない仕事です。」
「そうなんですよ。僕も時々思います。まあ、この仕事をしていると、どうしても
やーさんに見られてしまいますが、そういう人は一割くらいしか来ませんよ。まあ、
芸能人のまねをしたいとか言う人もいますけど、和彫りをしたい人は、やっぱり傷
ついているんです。虐待されたとか、リストカットしてできた傷を竜で隠してほし
いとか、そういう理由がいちばん多い。彼らの話をきくと、日本の学校というのは
本当に貧しいなあ、とよく思います。人間は個性という者があります。全ての人が
おんなじことを、同じ様にできるはずが無い。こんな当たり前のことを、日本の学
校は、教えてくれません。教えるのは、試験の点数位な物でしょう。試験の点数よ
りももっともっと大切なことがある。それは自分のシンボルマークでしょう。例え
ば、音楽なら音楽、国語なら国語とね。入れ墨も、いたみに耐えることで大人にな
る印だ、と、標榜している少数民族も数多い。つまり「印」なんですよ。この技術
はね。それが、今の学校ではないということかな。」
「藩先生、主人は、何を誤ったのでしょうか。」
「おそらく、今の時代、ボタンひとつで何でもできてしまいますよね。すっかりそれ
に浸かっているから、『ほんの少しちがう』のを見抜けなかったんじゃないかな。
そしてその、『ほんの少し』は、実は大きな力になることも知らなかったんじゃない
かな。だって、世界的に有名な人はみんな、『ほんのすこしちがう』所があるでしょ。」
世界的に有名な人、、、例えばなにが『ほんの少し』違っていたのだろうか。
「そうそう、だってお客様だって、ほんの少し、子供の頃違っていたって、聞いたこ
とありますよ。ねえ、稲葉先生。」
と中島さんが言った。
「稲葉先生は、子供の頃、お箏の音楽ばかり聴いて、音楽の先生もお困りになった
でしょう。でも、それは、邦楽にとっては、すばらしい美声だって、宗家の先生が
絶賛したから、先生はお箏の道に行かれたって、ウィキペディアに書いてあったわ
よ。」
そ、そんなことがあったのだろうか、僕はすっかり忘れていた。誰がそんなことを
インターネットの百科事典に投稿したのだろうか。
「そうよ、私、息子に聞かせてやりたかったわ。ねえ、ここで一曲と、言うわけに
は、いけないかしら。」
「小沢さん、ぼくは、、、。」
「箏あるよ、ここ。昔、カルチャー教室だったんだ。そこで教えに来てくれた先生
が他界されて、もうぼろぼろになってしまったかな。でも、稲葉さんならきっと、
良いものにしちゃうんだろう。あ、中島さんも参加してくださいよ。二人で、勿忘
草を貴方に、弾いてください。」
「あたし、箏もってくるわ。」
小沢さんは、押入れから、箏を一面もってきてくれた。立奏台は故障していたが、僕
は正座で弾くと申し出た。小沢さんが出してくれたつめをはめ、黄色くなった箏柱で
調弦し、中島さんに三味線を合わせてもらい、二人ユニゾンで弾いた。
「わかれても、わかれても、、、」
全員、美しいハーモニーで歌った。そう、之は僕にとって、ほんの少し、でありそし
て「印」だ。そう、「ほんの少し」を見抜くこと、、、。
演奏が終わって帰る時刻になった。
道具を片付けて、帰り道をあるいた。もう、秋が深まり、あたりは真っ暗であった。
冷たい風が僕の体を叩いた。僕は道中着を着なおして、歩き出そうとした。
と、そのときだった、口から生臭い液体が噴出し、僕はわからなくなった。
ただ、「勿忘草を貴方に」の歌が、どこかから聞こえてくる。そうして、、、。

警視が、白檀の木下で男性の死体を見つけた。
自殺でも他殺でもなく、肺癌による喀血が彼を窒息死させたのであった。死体の腕
には、勿忘草の入れ墨があり、それは、陽光を反射して輝いていた。

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