作品名:ここで終わる話
作者:京魚
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 「これで今回の訓練を終了する!この後の予定は掲示板で報告、各自でしっかり見ておけ!なお明日は九時に首都に向けて出発する。今日中に用意しておけ、解散!」
 「ありがとうございました!」
 青と赤のグラデーションの下、規則正しく列んでいた長方形の列が、一気に四方八方にバラけた。仲間同士愚痴を言い合う者も、疲れ果てて掲示板を見るなり話も早々に自室に戻る者もいた。もちろん彼、タンラートは後者だ。
 部屋に戻るなり、友人と交換した入浴場の使用時刻の書かれたチケットを手に風呂に行く。書かれた時間外での入浴は認められないため、タンラートはいつもこうして友人と交換するなり買ったりしていた。
 風呂に入ると、部屋に帰った。明日の朝の洋服などの支度をする。
 その時、突然扉が叩かれた。またシェイかと思い、はじめ無視していたが、ふとその考えを否定した。彼とは昨夜から口をきいていない。お互いに自然と距離を置いていた。
 「いないのか」
 その声にはっとしたタンラートが急いでドアに駆け寄った。
 「ロブさん!」
 開いた扉の前には、予想通りの人間が立っていた。室内用のベージュの軍服を適度に着崩し、開いた衿からは見慣れたクロスのネックレスがぶら下がっている。
 「どうしたんですか?こんなところに」
 「ちょっと出ようぜ」
 「は?」



 夜風が冷たくて気持ち良かった。
 連れられて来たのは、歩いて一時間程の訓練場とは程遠い綺麗な丘だった。一時間といえば長く感じるが、普段の訓練に比べれば、たいした距離ではない。汗もかかなかった。
 緩やかな傾斜の頂きに、数本の木が立っていて、二人はそこを背もたれに座った。
 「いいんですか?許可もないのに夜中に外室なんかして」
 「お前は真面目過ぎる。ばれなきゃいいんだよ」
 彼はあっさりと悪気なく言った。そんなこと彼にとってはどうということではないようだ。
 「綺麗だろ」
 溜息をつくように言葉を吐いた。ロブは目の前の壮大な風景に見取れる。
 「はい」
 タンラートも同様に風景を楽しんだ。丘の傾斜を這い登るように、細かく生い茂った草の表面を風がなめる音。向こうの山には、月明かりに夜にも生える青白い雲がかかり、一方向に流れている。時は流れる中に一部分だけ停止させることを許したように、今いる場所だけ変化しない。
 そんな気がする。まるでこの自然と共に時を共用することで、また時を止めているのかもしれない。
 「古い友人に昔、教えてもらったんだ。一度来てみたかった」
 僕はそれを聞いて少し嬉しかった。そんな念願の場所の連れに、僕は選ばれたんだ。
 遠くの方に、月明かりで光る湖が見えた。風に揺れる水面がとても美しい。僕は思わず溜息をついた。
 「ほら」
 湖に目を奪われていた僕の目の前に、携帯用のサンドイッチが現れた。慌てて受け取り、彼を見る。彼は鞄から他にもパックの紅茶を取り出す。
 「ありがとうございます」
 晩御飯を抜いた上、小一時間歩き回ったためか、普段あまり感じない空腹感があった。タンラートはそれを素直に戴く。
 「いい友人をもたれましたね」
 食べ終わって二人でまた景色を眺めた。普段は賑やかな彼からは想像できない程、今は無口だった。
 「ああ」
 「…」
 「もう亡くなったけどな」
 「え?」
 ロブさんは、驚いて振り返った僕の顔を、優しく微笑んで返した。
 「昔の話だよ」
 そう言って、綺麗な瞳を揺らした。
 「何かあったんですか?」
 「…」
 「おかしいです。だって今回の訓練だって、本当は出席する予定じゃなかったんでしょう?」
 「…お見通しか」
 「まさかこの景色を見るためなんて言わないですよね」
 「言うかもな」
 無邪気に笑う彼に、僕は呆気に取られた。
 「この景色をどうしても見たかったんだ」
 「ロブさん僕は真面目に…」
 「あの湖は」
 「…え?」
 タンラートの言葉を遮ると、ロブは瞳を陰らした。この夜空よりも暗い暗い紺色の瞳は、彼が示すあの湖よりも深い冷たさを感じた。
 「あの湖は、神の鏡って言うんだ」
 「神の…鏡」
 「古しえの伝説には、神の姿は人には見えないといわれていた。しかしある月夜の晩、男が湖の水面に映る神を見たんだ。神は毎晩体を洗いにこの湖に降りていたんだよ。でも姿を見られた神は、もう二度と地には降りてこなくなった」
 「…」
 「二度と来ない。誰一人として、もう会えない」
 なぜこんな事を話し出したか、僕は解らなかった。微笑んでいるけど、心は笑っていない。むしろ悲しんでいるようだ。
 彼は話すとき、よくクロスの首飾りを握る。今日はいつもより力がこもっていたように見えたのは、気のせいではないだろう。
 「来月の頭、カンソールに行く」
 僕は目を見開いた。彼の様子がおかしい理由が解ってしまった。










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