作品名:神社の石
作者:紀美子
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 いつもよりにぎやかな夕食のあとは、大騒ぎのビデオ鑑賞会になった。私たちの映画は思ったより怖くて、私と美樹はおおいに堪能し、なんとかこわがっている様子をおたがいに見せないようにがんばった。お母さんはその横で、もういや、とか、残酷、とつぶやいたりしながら、結局最後まで私たちにつきあった。そのあと、お母さんは悪趣味なホラーの口直しだと言って、私たちが主人公のおかしな髪型や、ヒロインのかわいこぶった仕草をからかうのもかまわず、自分が借りてきたラブストーリーを見た。ラストの方では、私と美樹もすっかり映画に引きこまれ、見終わったあと、お母さんに、面白かったでしょ?と聞かれ、ふたりとも素直に、面白かった、と答えた。
 その日だけは、いつもはおっくうな食卓の片付けや、皿洗いまで楽しかった。美樹はお母さんが指示した場所にてきぱきとお皿をしまい、それが今まででいちばん面白い作業だと思っているような顔をしていた。
「美樹ちゃんは、意外と台所の仕事が性にあってるみたいね」
 お母さんがそう言うと、美樹は台所の真ん中にあるテーブルに手をついて、ちょっと飛び跳ねながら答えた。
「うちの園でもやってるから。当番だから毎日じゃないけど。みんな、後片付けきらいなんだけど、わたしはそんなにいやじゃないかな」
 お母さんはふざけて肩越しに私をにらんだ。
「だって。弥生、うちも当番制にする? あんた、宿題とかなんとか言っていつも逃げようとするでしょ」
「だって、お皿洗うの、きらいなんだもん。お母さんは好きでしょ? だって、いつも歌うたいながらやったりしてるじゃない」
「あれはね、つらい仕事に耐えるために、一生懸命明るい歌をうたってまぎらわそうとしてるの」
 お母さんはそんなことを言いながら、楽しそうにお皿をまた一枚美樹にわたした。美樹はそれを大事に持って、棚の中の同じ種類の皿の上にそっと置いた。
「美樹ちゃん、よその家に泊まることで、みどり園ではなにか決まりがあるの? もしないんだったら、今日みたいにお休みの前やなんかのときはいつでもいらっしゃいよ。弥生も美樹ちゃんがいたら、お手伝いしてくるみたいだし」
 美樹は、うん、と元気よく答えた。だが、私はすこし前から、なにかとってつけたような快活さが美樹の態度に現れているのに気付いていた。私が見ているのに気付くと、美樹はふり向き、その顔がちょっとだけ笑顔になった。美樹は大人とか要領のいい子のように、口だけを動かして作る愛想笑いはしなかった。彼女が微笑むときは、いつもかすかに恥ずかしそうな、小さい子供みたいな感じがした。
 石のことかな、それともお父さんのことが気になってるのかな、と私は考えた。美樹がうちの子になれば、美樹はあのお父さんと会わなくてもよくなるし、私たちは同じ中学に通えるし、ぜんぶうまくいくのに。
 私は美樹とともだちになった直後くらいから、美樹がうちの子になったら、という想像をふくらませていた。ちょっと前に、美樹にその話をすると、美樹はうれしいような悲しいような不思議な顔をして、でもたぶん、お父さんがそんなことだめだって言うと思うよ、と言った。
「あーしまった、もうこんな時間。あんたたち、もうお手伝いいいから、お風呂に入ってらっしゃい」
 お母さんはそう言って、美樹の手からふきんを受け取った。美樹は本当に残念そうな顔をしていた。お手伝いが楽しいなんていう子は、みんなからいい子ぶってると思われるものだが、そのときの美樹はそんなふうではなかった。私は美樹はきっと、クラスの子の前でもそんな自分を隠そうとはしないのだろうと思った。美樹は人が自分をどう思うかということについて、その年頃の女の子としては不思議なくらい関心がなかった。
 私は美樹とお風呂場に行き、ふたりできゃあきゃあ騒ぎなら、湯船のお湯をはねとばしてはしゃいだ。お風呂からあがると、高いアイスクリームがちゃんとしたガラスの器で私たちを待っていた。お母さんはこの時間に食べると太るからいらない、と言いながら、結局大きなスプーンで3杯は食べた。
 もっと起きていたい、と私も美樹もお母さんにおねだりしたが、お父さんが帰ってくるまえに寝なさい、私と美樹は布団に追い立てられた。だが、調子に乗りすぎのときのような、浮き浮きした気分は消えず、私たちはすぐに眠れるわけもなく、薄暗がりの中、くすくす笑いながらいつまでもおしゃべりを続けた。
 時間がたつと、だんだんふたりとも声が小さくなって、話が途切れがちになり、静かになった。小さな電球だけがついている部屋はにごったオレンジ色で薄暗く、だが、その日だけはいつもの不気味さを感じなかった。心地よい沈黙の中で私はとろとろと眠りに入り、とつぜんの美樹の声にハッと目をさました。
「さっきの映画でさ、死んだ人がすぐ幽霊になってたじゃん。本当にあんな感じなのかな?」
 私はちょっと考えてから答えた。
「たぶん。前にテレビで、一回死んだ人がそんな感じだったって言ってた。死んだ瞬間に病院のベッドですーって体から抜けていって、自分の体が上から見えたんだって。で、奥さんとか子供とかがまわりで泣いてるのも見えたって」
「じゃあ、あんまり怖くないね。死んでもみんなが見えるんだし。みんなからは見えないんだろうけど」
「うーん、でも、幽霊になってずっといられるわけじゃないんじゃない? よくお祓いとかやるじゃん。だから、お祓いされたら、天国にいかなきゃいけないし」
「天国だったらいいよね。地獄だったら毎日拷問とかされるのかな。でも体がないから拷問されても痛くないよね?」
 私はだんだん不安になってきた。美樹の口調は真剣で、ふだんこんなことを話すときのちょっとふざけた調子とはまったくちがっていた。私が体を起こして美樹を見ると、彼女は仰向けに寝たまま、ぽつりと言った。
「お父さんがあたしのことを引き取るんだって。来年の1月くらいに」
 私は息をのんだ。それは美樹のお父さんが、私たちの世界に出現してから、私がいちばん恐れていたことだった。私は布団の中で体を硬くして美樹の次の言葉を待った。
「だから、たぶん転校することになると思う」
 ショックの大きさに私は凍り付いた。私にめそめそ泣かれたら、きっと美樹はいやだろうと考えたが、涙が出てくるのはとめようがなかった。だが、美樹はいつものように私の涙にあきれた様子はなかった。彼女はそっと乱れた私の髪をなでつけ、布団の上から私の体を軽くたたいてくれた。美樹のおもいがけないやさしさに、さらに涙があふれだし、私はしばらくしゃくりあげながら泣き続けた。
 やっと涙がとまり、私は布団からはい出して、ティッシュで顔をふいた。美樹の方をふりむくと、暗い中でぼんやりと見える彼女の目にすこし光るものが見えた気がした。
「どこに引っ越すの?」
 私が涙声で聞くと、美樹は静かに言った。
「千葉。本当はお父さん、そこに家があって仕事もそこなんだって」
「そっか。遠いね」
「うん」
 そのあと、急に重い沈黙がおりた。私はそれを振り払おうと、なんとか明るい調子で言った。
「でも、夏休みとかそういうときに会えるよね? 美樹、またうちに泊まりにくればいいじゃない。お母さんが言ってたよ、美樹だったらいつでも歓迎だって」
 そうだね、という返事が返ってくるはずが、美樹はなにも言わなかった。私はこわくなった。美樹は私にもう会いたくないのかもしれない、と考えてこわかったのではない。私は美樹の態度から、なにか尋常ではないものを感じ取っていた。おそろしいほどの落ち着きの中にひそんだ、なにかひどく激しいものを。
「あのね、あたしのお母さんね、お父さんに殺されたの」
 一瞬、意味を理解できずに私はぽかんと美樹を見た。美樹もじっと私を見ていた。私は重苦しくなったのどから、なんとか声を出した。
「でも、お母さん、あの、自殺したんだよね?」
「みんなそう言ってたけど、ちがうの。あれ、お父さんがやったの」
 それはあまりにも唐突で突拍子もない話だった。だが、私は美樹が勝手にそう思い込んでいるのではなく、真実を言っているのだと感じた。
「お母さん、病院の屋上から飛び降りたってみんなが言ったけど、あたし、お母さんが死んだって聞いたときから、お父さんがやったんだってわかってた。弥生にもお母さん自殺したって言っちゃってごめんね。嘘つきたくなかったけど、あんまり誰にも言わない方がいいと思ったから」
 私はそんなことどうでもいいという思いをこめて、首を大きくふった。美樹は顔にかかった髪をはらい、真剣な声で言った。
「だから、あたし、お母さんの敵討たないといけないと思う」
 私はうなずいた。それはとても正当な権利だという気がした。
「どうやって?」
 私がささやくと、美樹はしばらく黙って、本棚の方をながめた。しんと静まりかえった部屋の空気が、体の上にずっしりとのしかかってきた。
「あたし、お父さんのところには行かない。ぜったいに」
 それなら、私はずっと美樹と一緒にいられるかもしれない。私は布団をひっぱりながら期待を込めて聞いた。
「じゃ、美樹が行きたくないって言ったら、ずっと今のとこにいれるの?」
 美樹は首を横にふった。
「でも、じゃあ……美樹、どうするの?」
 美樹はまたしばらく暗闇の先をじっとみつめていた。そのあと、彼女は私の方を向いて、自分の計画を話しだした。計画が昨日今日思いついたようないいかげんものでないことは、美樹の実際的な口調と、大人たちの反応の予想、私の証言など、よく考えられた細部からも明らかだった。聞きながら、私は布団の中でふるえがとまらなかった。
 今でも不思議なのは、なぜ私は反対しなかったのかということだ。その計画は恐ろしいものであると同時に、美樹との別れも意味していたというのに。私はただ催眠術にかかったように従順に彼女の話を聞き、計画に協力することを約束した。そのあとどういうことになるのかを、現実として思い描けないほど私は幼かった。

 私たちがその計画を実行したのは、美樹がうちに泊まりにきた2週間後、その年の10月18日のことだった。

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