作品名:闇へ
作者:谷川 裕
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 ほぼ闇と同化していた。漆黒のボディは完全に周囲の闇に溶け込んでいた。長野の言うその場所は街を二つ越えたところにあった。土地勘は無かったが有名なビル街だった。日中はビジネスマンでごった返すが夜のその街はコンクリートの塊のような物だった。南は指定された通りに車を止めた。
 エンジンはかけたままだった。窓を少しだけ開けてある。身を切るような冬の風が音を立てて車内に入り込んできた。暖房は付けていない。南はブルゾンの襟元までしっかりとジッパーを締めていた。腕を組んだ、寒さで歯がカチカチと音を立てた。痛みにも似た寒さのおかげで南は緊張感を保つ事が出来た。長野の言う時間まであと数分となっていた。

 ビルの隙間を吹き抜ける風とは異質の硬質な音を感じシートに実を屈めた南は頭を起こした。コートの襟を立てていた。髪をコートの襟の中にしまい込むような感じで寒そうに歩く一人の女。ヒールの高い女の靴がコンクリートにめり込む度にカツカツと音を立てた。この時間、この街に人は居ない。擦れ違う。女は南の車には目もくれない。抱え込んだジュラルミンのケース。南は車内のデジタル時計に目をやる。もうすぐ。再び南はシートを倒し身を屈めた。

 二発。空気を切り裂くようにそれは響いた。乾ききった冬の風。それを二発、確かに切り裂いていた。時計、約束の時間。過ぎようとしていた。エンジンは掛けたままだった。
 助手席に乗り込んでくる。女。コートの襟を立てた女、車の横を擦れ違っていた。ジュラルミンのケース、持っていなかった。

「早く、お願い」

 震える声で女がそう言った。闇の中でも女の顔が蒼白である事が分かった。シートベルトをはめようとするが手が震えてバックルが嵌らない。南はそっと手を伸ばし女の手をつかみバックルを差し入れた。氷のように冷たい手をしていた。
 女の唇が小刻みに揺れていた。震えている。視線を宙に漂わせている女。闇に照らされて南はぼんやりと女の顔を見ることが出来た。何かに怯えるような表情を見せていた。

「行くぜ」

 南は短く女にそう言い、シフトノブを一速に入れた。ゆっくりとクラッチを繋ぐ。静かに通りを抜けようとする。通りを抜け切り幹線道路に出た。ライトを付けた。

背後からパッシングを受ける、国産のスポーツカーだった。ロータリーエンジン独特のサウンドがすぐ近くに聞こえた。ルームミラーに飛び込んでくる。南は二速にシフトを叩き込んだ、一気にクラッチを繋ぐ。軽くリアバンパーに背後のスポーツカーが接触してくる。アクセルペダル、底が抜けるまで踏み込んだ。レッドゾーンまで一気に吹け上がる。

「急いで!」

 女が南を見た。長野が指定したルート。それよりも二本手前の交差点で南は不意にステアリングを切った。テールが流れた。カウンターで押さえ込む。後方のスポーツカー。わずかに距離が出来た。三速、さらにレッドゾーンまで引っ張る。

「しばらくは喋らない方が良いな、舌噛んじまう」

 南は狭くなる視界の中更にアクセルペダルを踏み込んでいた。毛穴が開く。どっと汗が噴出してくる。心地よい緊張感。南は水平対向エンジンの唸りを全身に受けながら更にシフトを四速まで上げるのだった。

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