作品名:平安遥か(T)万葉の人々
作者:ゲン ヒデ
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             弔い終えて
 若草山に連なる春日山を、東に望む低い丘陵での弔いが、終わった。時は天平宝字八年(七六四)春寒き頃になっている。
 集う人々は、朝服姿の官人とその家族である。
 葬られたのは、あの市原王である。
 どうも、大仏の渡金作業中の視察中に、うっかり水銀を吸ったのか、病気になり、しばらくして、ある程度回復したが、四十数歳で生涯を終えたのである。
 能登との間に五歳の娘と三歳の息子ができている。五百井と五百枝という。
 その子らも連れてきている。 
 成長した27歳の山部は、精悍だがさわやかな目元の顔立ちで、今も鍛えられた頑強な体をしている。未だ無官で朝服は黄色い。  
 実弟、早良14歳は出家していて、今日の葬儀の導師の弟子となっていて、一緒にいる。 当然、袈裟の僧服姿である。
 参列の人々は 緩やかな坂道を下っていく。幼い子二人を連れた姉能登、母新笠の後を山部は続いた。
 父白壁王と等定僧都が並ぶ。早良も続いている。
 父が僧都に言う 
「御坊、早良のこと、いつもながらよろしく頼みします」
「あいや、白壁王様、お子は愚僧の弟子では一番俊英でして、将来の出世は間違いなしです」
 後ろの早良が、照れる。
 僧都ふと山部を見て
「山部さま、渡す機会がなくて、頼まれたこれを」
 と懐から出した5枚の鑑札を渡す。
 じつは、舅に雇われている逃散者たちを東大寺の奴卑、との嘘の身元証明書を買ったのである。
「お手数をおかけしまして。あ、僧都様、ご希望の袈裟を納めるのが、10日遅くなりますが。急な話で、大伴家持卿に反物が入り用なので」
「ほう、何に」
「家持卿は急に遠い国、薩摩守に任じられ、行く先々での官給があるとはいえ、それだけでは不便で、銭は畿外では流通せん、南の方だから夏向きの反物が一番だ、とのご注文でして」
「恵美押勝様(藤原仲麻呂は改姓改名した)への謀反への疑いがはれたものの、左遷ですよ、遠い国への任官はきついことです」
 父白壁王が同情する。
僧都は納品の遅延を快諾する。
 
            大伴家持卿登場
 従者、馬が待っている草原へ 戻った。
 すでに下りていた深緑の朝服姿の大伴家持卿が、にこやかに山部へ寄った。
 いまやこの時代の最高の和歌詠み、と噂されている人物である。
 今日は亡き市原王の和歌詠み友達として参列していた。
 角張った輪郭の顔だが、穏やかな感じであり、日に焼けている。
「すまんなあ、市原王が急に亡くなり、取り込み中で忙しいのに」
「仕方がありませんよ、でも、代金代わりの 持ち込まれた甲冑の櫃 には驚きました。売り払っていいのですか。家宝の武具でしょう。後で必要になると困りますよ」
「いいよ、遠い薩摩ではいらんよ、あそこは争いがないようだし、暑い処ではあれは着けておられん。ああ、そうだ、なんなら、私の婿になるかね。そうなれば、甲冑を返してもらえる」
「いやですよ、1人の嫁と子だけでも大変だのに」
「ほう、子供が生まれたの、おめでとう、じゃあ、誕生祝いの言祝ぐ歌を贈ろう」
「いいですよ、礼金なぞしませんよ」
「おいおい、これでも高級官僚のはしくれだよ。ただ私の言祝ぐ歌は、無事にすこやかに育つように祈りを込めて創る、それが楽しみなんだよ。それを、君も詠ってごらん。言霊(ことだま)には不思議な力があるんだ、詠った子は皆育っているよ」
「それは、ぐうぜんですよ」(後で、山部は後悔することになる。)
「和歌が嫌いかね」
「好き嫌いというより、興味がないんですよ。作るのが不得手だし。父も含めて家族はみな同じです」
「ご先祖と偉い違いだね。市原君に教わらなかったのかね」
「白壁王家族は全員和歌がだめだと、義兄はあきれ果てていましたよ。母なんぞ、百済王家の血を引く高貴な者が、大和の歌などしないと、変な理屈を言っていますがねえ」
「それは、それは、ははは」 
「それより、娘さんは美人ですか」
「あはは、それを言われるとつらい。十人並みだよ。が特技を持っている。霊感が鋭い。ときたま、人の未来が見える」
「なんだか、気持ち悪いですね。それより、反物15反はそれで良かったですか」
「うん、良い品をそろえている、あの甲冑で間に合うかね。」
「さあ、甲冑の値打ちは分かりませんが、差額ができたら、何かお宅へ持って行かせます」
「気遣い感謝する。約束通り、わが家に泊まって、ついでの浪速までの道中を、一緒してくれるね」
「はい、あ、反物半分はあなたの馬に積み替えていますね、朱雀門の前で、明日何時に部下の方と落ち合うので…、わかりました。舅からの付き人も、浪速へ付き添いますので、そこで待つよう、母に言付けて貰います」
 山部の伝えを聞き終わった母は、家持に一礼した。

            駒をならべて
 馬が並び歩く。背筋をピンと延ばした家持の乗馬姿は、精悍な中年の武人風情である。
「山部君、父君と話し合ってた、宮仕えの話はどうするの」
「あれえ、葬儀の最中のひそひそ話を、聞いていたんですか」
「いやあ、申し訳ない。実は、わが家では、万首の和歌を集め、万年伝えるための歌集を作る
務めがあり、世の人々の和歌を聴き集めるため、常に聞き耳を立てる癖があってね。大昔の帝のご命令を、いまだに守っているだよ。でだが、君のほうだが、やはり商人の婿のままで、交野の豪族にでもなるつもりかね」
「官吏になると、終いには正妻の子、他戸王附きの従者の役人で一生を暮らすのはどうも、他戸のわがままの性格で宮中に参内すれば、問題を引き起こす、と父は心配していて。育て方を、乳母任せにしたのが悪かったのでしょう。私が叱ると、不思議と従うのですが。急ぐ話でないから、ゆっくり考えろだと、まあ、今のところは、このままにしときますよ」
「それがいいかな」 

「日が沈まぬうちに着こう」馬を早足にして、先に家持が往く。
 春の草々が萌えはじめた春日野を往き、興福寺の前を北に往き、東大寺を背に西へゆけば、家持の屋敷がある佐保である。


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