作品名:私説 お夏清十郎
作者:ゲン ヒデ
← 前の回 次の回 → ■ 目次
http://plaza.rakuten.co.jp/hakurojo/diary/200805100005/
帳面を持って材木を調べていた、浅黒く日焼けした男が、二人を見つけ、近づく。
「これは、これは、但馬屋さん、天樹院さまのご奉納の見物でしたか」
この男は山崎屋という材木問屋の主人で、但馬屋九左衛門と同じく、町役人を勤めている。ここでは何だからと言い、川辺の座敷で、茶の接待を受けた。
「但馬屋さんは、商いが上手ですなあ、この前の本多さまの転封の時、私らは、貸し金を値切られて、痛い目に遭いましたが、但馬屋さんは、預かり米をうまく増やして、精算したら、一文の損もなかったとか。見習いたいですなあ」
「あれは、父親が、勤めていたお店が、池田さまの転封で、店じまいした経験から、いつも言っていましてな。お武家さまとはいえ、立つ鳥は跡を濁さずとは、なかなか……」
茶を飲みながらの二人の話題に、興味のない娘は、窓の外を見ていた。川の浅瀬で、小鷺が歩き、ときたま川底を突いている。餌は何かな、と見続ける。
「毎朝の仏壇では、真っ先に、ご城主さまのご健康を祈ってから、次に家内安全を始めるのですが、娘がそんなことをするから、おっかさんが亡くなったと、怒りますがねえ、……跡取りの若君は、まだ十四歳でしょ。万一のことで、お継ぎあそばすと、転封で、他のご譜代さまに代われば、大変ですから」
「ははは、但馬さんは、欲得ずくで、ご城主の長生きを祈られるのですか」
山崎屋は、上手くもちあげて、聞き上手であった。
話は尽きなかったが、ふと九左衛門、
「客扱いが上手で、読み書き、算盤ができる奉公人を、もう一人は欲しいのですが、無いものねだりですかねえ」
「そういえば、樽作りの職人が、室津の作り酒屋から、次男坊の奉公先を世話してくれ、と頼まれましたが」
「で、その次男坊は、どんな方で」
「えーと、年は十六、七で、読み書き算盤は出来るのですが、病弱ぎみだったせいか、力仕事がだめでねえ、客扱いが上手らしいのですが、材木を担ぐ仕事が多い私どもでは、勤まらない、と断りました。お宅も米俵を担ぐことがあるから、力が無い者は、だめでしょうねえ」
「力持ちは余るほど、いますが、ご家中さまから扶持米を扱わせてもらうには、才覚がいりましてねえ、そういう者でも勤まるかも」
「和泉屋とか、いいましたが 、ひょっとしたら、酒米(さかまい)をお宅が納めているのでは?」
「和泉屋、はて?…… 取引先にはありませんなあ。まあ、来年の春、手代が室津へ行く時、当たらせましょうか……で、そのお子の名は?」
「たしか……清十郎……でしたか」
ふいに、お夏が振り向き、
「清十郎! それって、水も滴る美男の人?」
「ははは、流行(はやり)の小唄の主人公ですか。残念ながら、青びょうたんのような顔の、若者ですよ」
なあーだと、お夏が言い、外を振り返ると、小鷺は羽を広げて飛び去っていった。
まさか、後世、この清十郎が、その主人公と取って代わって、水も滴る伝説の色男にされるとは、誰も思わなかった。
← 前の回 次の回 → ■ 目次
Novel Collectionsトップページ