作品名:吉野彷徨(W)大后の章
作者:ゲン ヒデ
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 十市の死後、その悲劇を忘れるかのように、精力的に諸政策に邁進した天武だが、後継者の皇太子選びには、悩んだ。
 (最年長で、壬申の乱での功労者、高市がふさわしいのだが、自分と同じく天皇家の血筋がないし、怖い讃良の手前もある、となると、母親が讃良の草壁だが、大津に比べて、凡庸だし、……)
 最終的には、吉野への行幸で、皇子らを集め家族結束の誓いの儀式をし、宣誓の筆頭者、草壁が皇太子になることを示し、翌年、立太子礼が行われた。
 その翌年に、大津が、二月から朝議に参加する。
 
 朝議で、大津の見識が認められたのは、それから二ヶ月後である。
 初めて作られた銅貨(富本銭)の流通が芳しくなく、民間で作られ、流通している銀貨(無紋銀銭)の流通の禁止令を天武が出してから、三日後の朝議で大津が、
「新貨を強制して使わせるのは、時期尚早ではないですか。米や、布、銀銭で、物々交換されていたのを、急に銅銭を強要なされても、混乱が起こるだけ。唐のように広まるのには、年数がかかると思いますが」
 天武は、大津の見識を褒め、すぐさ、禁止令を解いた。まもなく銅銭の製造はうち切られる。
 この、朝議に臨んでいた、皇后は、大津に比べての、草壁の凡庸さを、思い知らされた。それからの、大津の意見を、天武が、ほめだすごとに、草壁の凡庸さに不安を感じはじめるのである。
 
 数年後、牧場での流鏑馬に興じた後、夕日を浴びての帰り道、草壁が、大津に言う、
「お前は、強いな。私は負けてばかりだ。この勝負の結果を黙っててくれな。大津の文才を見習いなさいよ、の母の口癖に困るけど、武術も負けてばかりだと、また何か言われそうだ」
「兄上が、うらやましい」
「ん、何が?」
「私には、叱ってくれる母は、いませんからね。小言を始終いっていた姉も、伊勢へ行ったから、我が家は、寂しいもんですよ」
「山辺(皇女)がいるだろう」
「まあ。彼女(あれ)は寂しがりでねえ、私も寂しいから、暗そうな夫婦ですよ」
「お前が、暗い?よく言うよ。高笑いばかりしているくせに」
「あれは、世を忍ぶ仮の姿」と言い、向こうから若い女官が来るのを、認め、
「おっ、早乙女さまのお出ましか。仮の姿でいくか」大声を出し
「おおー我があこがれの早乙女さま、」
 その女官、ちらっと不快な表情をし、無理に作り笑顔で、
「大津の皇子、この間はどうも……。皇太子さま、皇后さまが、寄るようにとのことです。では」女官は去っていった。

「大津、石川郎女(いしかわのいらつめ)に何をしたのだ?」
「早乙女祭(田植えの祭り)のとき、戯れて、田に入り植え踊りをしていたら、よろけて、あの子を倒しちゃってね。泥だらけにして、泣かれちゃったよ」
「可哀想に」
「あれ、兄上、あの娘に気があるの」
「ちょっとね」
 
 大津は、ふと競争心が起こる。
「どうだろ、和歌で、あの娘の心を奪い合う競争をしようよ。なびくまで、近づかず、恋の和歌を、舎人に持っていかせるのだけど」
「お前の方が、勝ちそうだから、いやだよ」
「そんなことはないよ。兄上は皇太子、私は普通の皇子、それだけで、私には不利だがね」
 乗り気でない草壁は、しまいには同意する。
「兄上、代作はだめだよ。いつも付いている鎌足の息子がいないけど、あの男に頼むなよ」
「不比等に? あいつは和歌を作らないが……」
「都のはずれでさ、身投げした娘を始末をする役人を、指図していたけど、死人に合掌したあとで、何やら書き物をしていたが、あれは挽歌だよ」
「挽歌? 調書だろう」
「和歌を考えている様子だったが……。まあいいか、とにかく、正々堂々と、妻問い争いをしよう」
「妻問い争いねえ」草壁は、苦笑いする。

「ところで、あの舎人は?」
「ああ、父に命じられた、旧辞の蒐集に行った。たしか、多(おおの)品治(ほんじ)の屋敷だが」
「ああ、(壬申の)乱の功績者か」
  
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