作品名:灰色の街
作者:鰐部祥平
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栄の久屋大道。純たちが暴走で何度も往復もするこの大道にはテレビ塔の手前に脇に抜ける小さな通りがある。車一台が通れるほどの細い通りは車道も歩道も赤レンガで舗装されておりその部分だけを見るとヨーロッパの町並みを思わせる。だが左右に眼を転じれば味気ないいコンクリート製の雑居ビルが立ち並び、居酒屋。キャバクラ。ホストクラブのケバケバしいネオンが通りを照らす。
この通りにあるカラオケボックス「Zoo」は小さな店だが、値段が安くその上カップル用の小さな部屋がある。カラオケ以外にも二人きりの空間を求めるカップルに人気の店だ。純は彼女の春奈と「Zoo」のカップルルームにいる。赤い壁紙に赤と白のモザイクの床。合皮製の赤い二人掛けソファー。天井にはアクリル製のシャンデリア。カラオケをしていない二人の部屋には、陳腐な電子音のメロディーがスピーカーから流れている。何もかもが安っぽいこの部屋はどこか現代社会の空々しさに通じるものを感じる。
純は春奈の肩を抱き寄せながら彼女の瞳を見つめる。春奈は純と同じ17歳だが15歳の時から栄で一番の繁華街プリンセス大道のお店「ルージュ」でホステスとして働く山千海千の少女であり、店のナンバー2にまで登りつめていた。細い体に豊かなバストを持ち、顔も可愛らしい。だが、二重のその瞳は切れ長で人を刺すような鋭さがあり、全体の調和を乱している。純はそんな彼女の眼差しが好きであったがこれは好みの分かれるところであろう。
二人は言葉もあまり交わさずに抱き合い何度もキスを交わす。純の気持ちが高まり始めた矢先に突然彼女の携帯が鳴る。「もしもし?あっ!結城さん?うん。樹里だよ…本当?今日来てくれるの?樹里も早く会いたいな。うん。待ってるね。」客からの電話。「おい!俺といる時に客との電話に出るか?普通さ!」純が吐き捨てるように言う。「しょうがないじゃん。これが私の仕事なの!」例の瞳で純を激しく睨む春奈。「仕事は否定してないだろ!?でも彼氏の前では電話に出るなよ」「馬鹿じゃないの?客に焼もち焼いてどうするの?純ちゃんはさ、なんか突き抜けてないんだよ!全部半端な感じがするの!!」純は言葉に詰まる「…」数分間、二人の間に沈黙が流れる。
二人は一年前に友達の紹介で出会う。初めは春奈が純に興味を持ち、猛アタックをかけてきた。付き合い始めてからは、純の方が彼女の魅力に引き込まれていった。だが、純は彼女に対し気後れを感じていた。同い年だがませている彼女の恋愛経験は豊富であった。ホストにヤクザ、会社の経営者、果てはプロ野球選手まで。そんな彼女の過去の男達にどうしても劣等感を感じてしまう純は自分を少しでも大きく見せようと必死だった。その心の小波をすっかり彼女に指摘されてしまったようだ。どんなに純が背伸びをしようとも、彼女は純と肌を重ねるたびにその事を見抜いていた。
春奈はやにわに立ち上がり「ごめん、ちょっと言い過ぎちゃった。私もう行くね。今週の土曜は純ちゃんの家に行けそうにないかも。」
別れの言葉。純は悟った。出て行きかけた春奈が振り向き「純ちゃん。ここは私がおごるね」言い終えると春奈は微笑んだ。それは純が今まで見たこの無い笑顔。限りなく優しいが、何処か心のこもらない微笑。それはホステスの笑顔だった。彼女を引き止めようとする純の気持ちは一瞬の内に萎えた。もはや彼女を引きとめる事は不可能だろう。純はこのチープな部屋のソファーに腰掛けたまま彼女の後姿を見送った。
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