作品名:神社の石
作者:紀美子
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 あの日の美樹は上機嫌だった。今思い返すとすこし調子に乗りすぎなほど、美樹はよく笑い、するどく、面白い言葉を絶え間なく口にしていた。美樹がうちに着くと、わたしたちはお母さんの車でレンタルビデオ店に行き、ホラーやアクションの棚で大騒ぎしながら見たい映画を選んだ。店内の照明のせいで目をきらきらと輝かせた美樹を見ながら、私は胸がいっぱいになるような幸福感をおぼえた。美樹の向こうには、店員さんをつかまえて、楽しそうに要領を得ない質問をしているお母さんがいて、その光景の中に一緒におさまっていれば、なんの心配もいらないような気分になれた。
「ねえ、これは? 前、1の方見たじゃん。おぼえてる?」
 と、棚をあさっていた美樹が、生首を抱えた男の人がこっちを向いているパッケージを私に見せた。私は首をふって言った。
「もう、またそんなの持ってきて。こういうの、お母さんがぜったいだめって言うって。幽霊とかそんなやつにしようよ」
「ええ〜、だって、そんなのないもん」
 美樹はちょっと口をとがらせて、ビデオを棚にもどし、そのあと、とつぜんまじめな声で言った。
「ねえ、弥生、幽霊みたことある?」
「ううん、見たことない。美樹は?」
 美樹はちらっとお母さんの方を見てから、小さい声で言った。
「あるかもしれない」
 私はまた美樹がふざけているだと思い、彼女の体にどんとぶつかって言った。
「もう、うそばっかり」
「うそじゃないって。すごい小さいときだから、あんまりおぼえてないけど、ほんとに見たよ」
 私はちゃんと美樹の方を向いた。彼女の顔は真剣だった。
「なに見たの?」
 私も小声になって、美樹の方に近寄っていった。美樹は棚によりかかって、並んだビデオを手でもてあそびながら答えた。
「お母さん」
 美樹が母親のことを口にするのはめったにないことだった。私はすこし緊張して、こわごわ聞いた。
「どこで?」
「幼稚園の裏のとこ。花とか植えてあって、庭みたいになってるところ歩いてたら、声がしたの。美樹、って。ふりむいたら、お母さんがいたの。別に幽霊っぽくなくて、ただ立ってただけだった。あたしがびっくりして黙ってたら、いなくなっちゃったの」
 子供心にそんなことを聞くのは失礼な気がしたが、私は好奇心をおさえられずにたずねた。
「いなくなったって、消えちゃったの? だんだん透明になって?」
 美樹は気分を害した様子はなく、眉を寄せて答えた。
「うーん、そんなんじゃなかったと思う。ただ、パッていなくなったの」
 もっと聞きたいことはあったが、店員さんとの話を終えたお母さんが私たちの方にちかづいてきて、私と美樹はあわててビデオを見ているふりをした。
「どう? なんかいいのあった?」
 そう言って近づいてきたお母さんの笑顔が、美樹が手にしていたビデオのパッケージを見て、ちょっとこわばった。
「なに? あなたたち、それがいいの?」
 自分がなにを持っているかに気付いていなかった美樹は、きょとんとして手もとを見た。それは遠目からでも一目でスプラッタホラーだとわかるような、血の飛び散った毒々しい場面のパッケージだった。
「あっ、ちがう、ちがう。これは、ただなんか持ってただけ。えっと、あれ? さっき、なににしようって言ってたんだっけ?」
 美樹はあわててそのビデオを棚に押し込み、私に助けを求めてきた。私はぐるっと自分のまわりを見渡して、ホラーというよりコメディっぽいパッケージのものをつかんだ。
「ええと、これだったよね? うちのクラスの子がこれ見たんだって。あんまりこわくなくて面白かったって言ってた」
 お母さんはあきれたような顔でそのビデオを手に取った。
「怖くなくて面白いって? 本当はあなたたち、ものすごく怖い方が面白いんじゃないの?」
 私と美樹はニヤニヤしておたがいをつつき合った。お母さんはわざとこわい目で私たちをじろっとにらみ、それから自分の、ちょっと前のラブストーリーのビデオに私たちのをかさねて持った。
「よし、じゃあ行こうか。弥生、今日はお母さん、妥協してホラー借りてあげるんだから、レジでお菓子買うのはなしよ」
 小さい子供のようにお菓子を買ってもらっていることをばらされて、私はうらめしい気分でお母さんを見た。そのあと、きっと笑われているものと思って、美樹の方を見てみたが、彼女の顔に浮かんでいたのは、私をからかうような笑いではなかった。私はほっとしたが、同時になんとなく居心地悪くもあった。美樹が私をうらやましそうに見やるたびに、私はそんな気分になった。なぜなら、私は美樹に同情する気持ちだけでなく、優越感をも確実に感じていたのだから。私にとってその感情は美樹との関係の中でうまれた、たったひとつの汚点だった。自分のそんないかにも女らしい心の動きを許容するのは、当時の私にはとても難しいことだった。
 今でもその感情がよみがえるたびに、私は声を出してうめきたい気分になる。もし今の私と美樹が再会したとして、はたして子供のころのような友だちになれるだろうか? 自分のみっともなさ、情けなさ、醜さに屈してそれを受け入れてしまった今の私には、美樹は一緒にいるにはあまりにもまぶしすぎる存在になるのではないか? それとも、美樹もまた社会化されて、図太く、したたかな人間になっていただろうか? 
 この疑問に永遠に答えは出ない。私の目に浮かぶ彼女の姿は今も11才の生き生きとした少女のままだ。そして、私はそれを惜しむと同時に喜んでもいる。私が大人になった美樹に失望することもなく、美樹が今の活力を失った私にがっかりすることもないだろうから。

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