作品名:闇へ
作者:谷川 裕
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 路地を抜けた。なるほど。南は感心するように呟いた。赤茶色の鋼鉄製のシャッター。白いペンキで大きく数字が書かれていた。倉庫の三番。探すのにそれほど時間は掛からなかった。バスで隣り合わせた初老の男がそう言い、南のブルゾンのポケットに鍵を忍ばせた。

 鍵を挿し入れ重く軋むシャッターをゆっくりと持ち上げた。金属が擦れ合う音がし、重々しくそのシャッターは口を開けた。陽はほとんど沈みかけていた。弱い冬の光を受けてそれは漆黒の輝きを見せていた。

「皮肉だな」

 S社のスポーツセダンだった。二年前、南はチューンされたそれに乗りラリーに出ていた。型はモデルチェンジする二世代前の物だった。窓ガラス越しに走行距離を確認する。約四万キロ。この車が最も調子を上げる距離だった。もう少し走り込むとまた別の顔を見せる。

 ログハウスで長野が置いていった車のキー。鍵穴に差し込む。寸分の違いもなくがっちりとはまり込んだ。二年の間南は車に手を触れた事がなかった。キーを回す。倉庫にドアロックが解除される音が低く響いた。
 剛性の強さも売りの一つだった。運転席のドア、手を掛けた<ボンッ>弾かれるようにドアが開く。気が付けばシートに身を沈めている自分が居た。
 シートポジションを合わせる。かなり手前で肘を比較的強く曲げた状態でステアリングを握る事が多かった。大柄な外国人ドライバーから見るとそんな南の格好はおかしく見えるらしく最初はからかわれた。それでも連戦し、結果を出し始める頃には一目置かれる存在となった。

<ルルッ>

 助手席に携帯電話が無造作に置かれている事にその時初めて南は気付いた。手に取る。番号は000……有り得ない数字。通話ボタンに指を掛けた。

「もう十分懐かしんだのでは?」

「長野さんか」

 抑揚の無い器械のような声を出す。爬虫類に似た彼の目を頭の中で思い浮かべていた。

「南さんにはそれが一番扱い易いと思いまして」

「確かに。S社に雇われていた人間にとっては自分の身体の一部のような物。車は気に入ったよ。で、俺にどうしろと?」

「これから言う場所に行き、そこで人を乗せて指定した場所まで走ってもらえば良いんです」

「簡単だな」

 南が携帯越しに嘲笑する。その空気を読んだのか長野の喋りが一瞬止まった。

「これで大切な事は<なぜなのか?>という疑問を挟まない事です、分かりますか南さん」

「いや、分からないね。バスで初老の男に出くわしたよ。そして今俺はここに居る。その男は二年前の俺の事を知ってたよ」

「結構有名な話でしょ。誰が知っていても可笑しくは無い」

「まあな。だが、もし必然だとしたら? そんな事も言ってたよ。長野さん、あんたこの意味知ってるだろ?」

「ええ、だが、今ここで答える必要はない」

 長野の語気がいくらか強くなった。

「なあ、二年前、あの日、あんたら俺に喧嘩しかけたんじゃないのか? 刺されると知っていた。あのヤクザ俺に刺される事で何を得たんだ?」

「考えすぎじゃないですか? 今はただ走ってもらえばそれで良い」

「でなきゃ、また檻の中ってわけか……」

 陽は完全に落ちた。工場地帯の道路はほとんど外灯が無くかなり暗い。車内のひんやりとした空気が熱くなった南を心地よく冷やしてくれた。

「メモは取らないで」

 長野が続けた。南は携帯を肩で挟む格好で話を聞いていた。長野の言葉を反芻した。指定された時間、場所。そこに行き、車に向かってくる人物を乗せる。行き先は長野の言うなりに…… 同じ事を長野は二度繰り返し南に伝えた。その度、南も繰り返し言葉に出した。

「分かったよ」

「それで結構です。後はただ早く走ってもらえれば良い」

 向こうから携帯が切れた。リダイヤル。無効な電話番号だった。

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