作品名:平安遥か(T)万葉の人々
作者:ゲン ヒデ
← 前の回  次の回 → ■ 目次
     父と子
馬上の山部は、役所帰りの父との出会いを待っている。
 またも由利との出来事を思い出し、胸の鼓動を感じだす。
 ここは2条大路と東1坊の交差点、柳の街路樹の前に佇んでいる。
 大内裏の南東の角の南、さらに南東には貴族達の邸宅が集まっているが、元々は広い長屋王邸の跡である。長屋王一族は、藤原氏の陰謀により殺されたので、この地は呪われた所と噂されている。

「おい、どうしたのだ」父が呼びかけた。
 気が付き
「ああ父上、来られましたか、考え事を」
「考え事か、はは、夢見心地みたいな顔をしていたぞ」
 2人の馬は並んで歩く。今日の白壁王は、供を連れていない。
「で、水銀毒の防ぎ方は判ったのか」
 山部は判ったことを話す。
「炭と硫黄か、で竹の炭なあ、…そうじゃ、大安寺の竹林を刈らしてもらい、我が屋敷の炭焼き小屋で竹炭を作り、婿の所へ運ぼう」

【大安寺は白壁王邸近くの大寺であり、白壁王は、その寺で、笹酒の接待を受けるのが好きであった】

「なるほど、あそこの竹藪は広いですね。ああ、お願いします父上。ところで、父上、あそこの笹酒は無病息災に本当に利くのですか」
「ああ、気持ち、気持ち、利くと信じて飲めば利く、それにいい味をしている、それだけじゃ…。だがな、竹炭は、信じて使う訳にはいかぬ。実際に水銀毒を使って試みた上でなければだめだぞ、だが、人で試みる訳にはいかぬが。はて」
 ふと空を見上げると、カラスが飛んでいる。
「ヒヨコで試すのはどうかな」
「ああ、それは良い考えですね」
「竹炭や硫黄でその工夫した物を作るのはいい。だが、お前は、水銀を使う場には立ち会ってはならぬ。匠達に任せろ。大事なお前に万一のことがあってはならぬ」
「あれ、父上、皇子さま(他戸王)の方が大事なのでは」
「馬鹿なことを言うでない。お前達は皆等しくかわいい。わしの大事な宝だぞ、お前達は。
『瓜食(は)めば 子ども思ほゆ 栗食(は)めば まして偲(しの)はゆ いづくより 来(きた)りしものぞ 眼交(まなかひ)に もとなかかりて 安眠(やすい)し寝(な)さぬ』『銀(しろかね)も金(くがね)も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも』
ああ、いい歌よなあ。わしの心の中を写しているようだ」
「山上憶良ですね。あれ、父上は和歌に興味を持たなかったのでは」
「わしは、創るのはにがてじゃが、世に流布している名歌を口ずさむのはできるぞ」
「わたしでも、それはできますよ。でも何故でしょうねえ。父上と同じく母、姉、私も創れないのは」
「贈答歌が要らなかったので、お前の母との求婚は気楽だった。正妻のときは、何とか婿(市原王)に教えを請うたが」
「ははは、父上、あれは代作でしょう。対する内親王様(正妻、井上)の歌は、当代きっての歌人、大伴家持卿の教えを受けているにしては、下手ですねえ。姉の婚姻の時の贈答歌では、内親王様が力を入れて代作してくだされた。でも、ありふれた歌ですよ」
「名歌を創れなくてもいいのだよ、日常の挨拶と同じで、役目を終えると忘れられる。この山上憶良の名歌とて、後世には伝えられぬだろう」
「忘れられてしまうのか、空しいですねえ。そういえば、お祖父様、志貴の皇子さまの和歌は伝わってますか。名歌人だと聞きましたが」
「ああ父の和歌か。分からんのじゃよ。7歳の時死別したからなあ。ああ、去年、早良(山部の実弟)が生まれた時、亡き長兄の子が祝いに来たが、遷都のとき歌集が紛失したそうだ。で今に伝わっておらぬ。だがなあ、大伴旅人殿が訪問されたとき、兄に『早蕨(さわらび)の歌は名歌ですなあ』と誉められたそうだ」
「早蕨?あの春のわらび?それを歌って名歌。どんな和歌だろう…。旅人さまは歌集を読んだのですか」
「分からぬ、そう兄の家に伝わっているだけだ」
「ふーん…。あれ!父上まさか、弟を早良と名付けたのは、さわらびから採ったのでは」
「ああ、そうだ」
「姉上のときは、ぶらっと外出し、東の能登川の輝きを見て、『能登』、三笠山から月が出るのを見て、私は『山部』ではないですか」
「うん、そういうことだ。ああ、お前は月ではない、朝日だ、神々しく山辺を、朝日が照らしていた」
「ははは、気楽な名付けですね」
「それでも、どれも悩んで考えついたのだぞ」
 なおも、親子の会話が続く。
 やがて、山部は市原王邸へ、と別れる。

             出勤風景
 奈良朝の官人の出勤は朝早い。底冷えがする初冬となっていた。
 現在の6時半位か、日が出始めている。この通りにも出勤途中の者達が多い。
 徒歩の者もいれば馬での者もいる。この場所の北西半里に、大内裏の官庁街がある。
 市原王が馬上にいる。ただし、彼の行き先は、東北の東大寺である。
 5位の深緑色の朝服を着ている。つれの馬に山部が乗っている。
 徒歩の従者が、防毒の口覆いの数個の試作品を背負っている。

 屋敷の小路を挟んだ、東隣の主人、紫微令が、若者となにやら話しあっている。
 物々しい警備の者達が、取り巻いている。内裏への出勤姿である。
 下馬の礼をしようとした市原王達に気づき、挨拶をする。
「おはよう、市原王、下馬の気遣いは無用です。大仏開眼の準備ですか。ご苦労様です」
「おはようございます、紫微令(藤原仲麻呂)様、どうかしたんですか」
「いやあ、大炊王が、こんな寒いのに、前の路を掃除するんだよ、高貴な方のすることではないから、と止めているんだが」
 箒を持った大炊王が言う
「居候ですから、なにかお手伝いぐらいしないとねえ、それに朝、体を動かすと一日中ざわやかに過ごせますから」
 明るい笑顔で、屈託がない。
 困った風の藤原仲麻呂は、ちらっと山部を認め、言う。
「たしか、白壁王殿のご長男の、えーと…」
「山部です」
「おう、そうそう山部君だ、大学の勉強はどうかな」
「つつがなく、がんばってます」
「それはそれは、いいことです。ああ、内親王様と和子様はご息災でしょうかな。ご安産だったと聞いているが」
「和子様はすくすくとお育ちで、内親王様もお元気です」
「それは重畳、白壁王様と井上内親王様によろしくお伝えくだされ」
「はは、申し伝えます」山部、畏まって答える。
 また仲麻呂らの話し合いが始まるを後に、市原王と山部は去って行く。

 並ぶ馬の上で、山部尋ねる
「紫微令様と大炊王 はどんな関係ですか」
「舎人親王の孤児だった大炊王を引き取り、育てたのだが、亡くなった長男の嫁と、大炊王を結婚させて、紫微令様は自分の屋敷に、これまで通り住まわせるらしい」
「ふーん、じゃあ養子ですね。でも、実子も多いのに、なぜ住まわせるのでしょう」
「さあ、わからないね」数年後に、藤原仲麻呂の魂胆を知るが、今の市原王には、判らない。

【この何年か後、孝謙天皇を譲位させ、大炊王を天皇(淳仁天皇)に据えて、権勢を固める】

「試作品のどれかに、水銀毒を防ぐ効果があればいいんですが」
「よく、作るのを頑張ってくれたねえ、後は大仏師国中殿に調べてもらえばいい、危ないから、将来ある君は絶対、立ち会ってはいけないよ」
「分かっていますよ。父にも釘をさされました。しかし、水銀蒸気を当てられて、犠牲になるヒヨコがかわいそうですねえ」
「やむを得ないねえ。他に調べようがないからなあ、成功すればいいが」
 不意に市原王が詠う 
「天皇(すめろき)の 御代(みよ)栄えむと東(あづま)なる 陸奥(みちのく)山に 金(くがね)花咲く」 
「どうだね、山部、知らせてきた大伴家持卿の歌は、いいだろう」
「上手ですねえ、うまく帝まで褒め称えているし」
「あはは、冷徹な眼をしているなあ。まあ処世にも和歌を詠めないといけないが、それにしても、君の家族は誰も和歌がだめだねえ」
「姉に、和歌が下手だというのは禁句ですよ。なんとか宥めたのでしょう」
「ははは、あの時はまいった。君の教え通り『百済王家の血を引く高貴な姫様、大和歌なぞ下品なものを教えようとした私めをお許しくだされ』と土下座したので、笑ってくれて事なきをえたが。そういえば、今日の会合に、この歌の黄金を献上した百済王敬福(くだらのにこしきけいふく)殿も来られるそうだ」
「ああ、あの方も来られるのですか。幼い頃に会いましたが」
「知り合いかね」
「母方の遠い親類ですよ。祖父が叙位運動のため、都の百済王邸に逗留しているとき、付いてきていた母を、公用で訪れた父が1眼惚れしたそうですよ」
「ほう、知らなかった。そこで、お二人の間に能登が生まれたのか」
 話しているうちに、大仏殿に着いた。

  百済王敬福邸
 年末が近い頃、河内守 百済王敬福(くだらのにこしき けいふく)の屋敷に、山部と、両親の白壁王と新笠が、招かれた。
 敬福は、先任の陸奥守の時に、完成した東大寺大仏をメッキするための黄金を、タイミングよく聖武帝に献上した人物である。
 彼の横に、商人風の男がいる。敬福が言う
「白壁王さま、お頼みしたいことがありまして。ああ、新笠さま久しぶりです。お若い頃もお美しかったが、今はより円熟したお美しさですなあ」
「敬福さま、そんな見えすいたお世辞をなさらなくても、ほほほ」母喜ぶ。
商人の方を見て
「ここにいる方は、諸方の百済系の職人を束ねる商人で、わが本拠地の交野(かたの)に住んでいましてな。ぜひ、山部様を婿に迎えたい、と言われまして。それ、この前、大仏の鍍金作業で出る、大量の水銀の毒気を防ぐ仕組みを山部様が考えられたが、なんとそれが効果があったとか。皆感心しましたなあ。特にこの商人は御子に惚れ込みまして。是非婿に迎えたいと…」
「あのう、嫁になる子は綺麗な子でしょうか」山部おずおずと聞く。
「これ、山部失礼だぞ」父咎める。
「はっはは、白壁王さま、お怒りになられますな、若い者はそれが気になるのがあたりまえ、あなた様も新笠さまの美しさにまいられて、日参なされたではありませんか。あなたの嫁にと、継どのと新笠様を説得するのが、わたしも大変でしたぞ、ははは」
「敬福どの、その話は勘弁してくだされ、それよりも息子の話を」
「ああ失礼した…その娘の器量なあ…そうじゃ、我が孫娘が割と似ている、母親同士が姉妹だから従姉妹か。誰か明信を呼んで参れ…」

(しばらく待つ)
「どうですかな山部王、この子は9歳だから5年後の目鼻立ちを思われよ…おうおう、目をランランと輝かせて見つめて、よだれを垂らさないでくだされや、あっはっは。お間違いのないように、この娘ではありませんぞ、あ、孫が逃げだした。あはは」
 
 で話が進んで1年後には、大商人の処、交野での妻問い婚をする。
 大学の試験で役人になることは止めて、地方の豪族にでもなろうと思ったのである。
 舅の仕事を手伝った。最初は、運送、商品管理、と一通り学んでいった。淀川、琵琶湖、平城京の間を動いて地情も覚える。物資や技術や金を人脈で動かして、利益を上げる百済渡来人互助の組織があったのである。
 妻は孫娘とよく似ていて、可愛いかった。交野に屋敷を構えて、やがて子供も生まれた。
 名を小殿(おて)と名付ける。(亡くなった後、この名を後の子、平城天皇に継がせたが改名する)
 平城京では、市原王の屋敷の建物の1つを借りて、活動拠点にした。
 で、27歳の正月明けは、市原王の危篤の知らせで、平城京に戻っていた。


← 前の回  次の回 → ■ 目次
Novel Collectionsトップページ