作品名:私説 お夏清十郎
作者:ゲン ヒデ
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数日後、やはり選ばれなかったので、気落ちしていた娘に、父は、その日見物をしに行こう、と誘った。
その日、朝早く出かけると、辰(八時)の頃には、紅葉した男山への石階段の下には、多くの見物人が、集っていた。待つこと半時(一時間)お城からの行列が来た。
先頭には、家中の家来を引き連れた城代家老、続いて、棹を通された黒漆の箱を、前後で担ぐ腰元、その櫃に奉納の羽子板が入っている。後を高貴な婦人が付き、腰元等が付き、最後の方に町方の娘らが付いていた。
お夏は、見知った友を見つけ、つい声を掛ける、
「お久ちゃん! きれいよ」
友は、ばつが悪そうな顔をして、下を向いた。
父が、小声で、
「これ、はしたない! 恐れ多い、将軍家のお姉上さま、の奉納品の行列だぞ。静かに!……」
行列が、石階段を上がり終えると、お夏は父をせかして、帰りだす。
船場川沿いの小利木町に戻ると、城郭群が本丸を取り囲むように、存在を誇示している。
この地と、続く川下の材木町は、船場川で運ばれる材木の集散地で、材木問屋や木工職人が集まっていた。
川に沿って下っていくと、船場川の東には、土手道を間に、沿って城の内堀が水を湛え、その向こうの石垣の上には、矢狭間が穿かれた白塗りの塀が延々と続き、そして、その向こうには、白亜の長局群が仰ぎ見られる。そして、そこらに茂った木々の紅葉は、風情があった。
長局の建物の左端の櫓(やぐら)を見上げ、
「ねえ、おとっあん、千姫さまは あの化粧櫓から、毎朝、男山八幡さまを拝んでいたのでしょう」
九左衛門は、そうだと答えた。
「どんな方、きれいな人だった?若い頃、お城に奉公にいった、婆さまから、聞いていないの」
「おっかさんが、婆さまから聞いた話では、まあ、凛とした気品がある方で、仕える下女らにもやさしい、お方だったそうだよ。お住まいの武蔵野御殿には、黄金のススキ野の絵が至る所に描かれていてな。その絵の屏風の前に座られても、その絵に負けない、美しいお方だったそうだ。憂いを含んだお顔が、素晴らしい、とも言っていたが……三十年ほど前、わしが十二歳の時、江戸へお帰りになったから、いま六十歳におなりかなあ……?」
「ふーん、それから、大阪の陣のあと、江戸へ戻る途中、桑名の渡し場で、忠刻さまに一目惚れしたっていうのは、本当なの?」
「初めて会ったのは、本当だろうがな、そのときに受けた親切を、東照宮さま(徳川家康)に、ちらっと話したことから、婚儀が進んだらしい」
「ほんのちょっぴりの一目惚れから、始まったのねえ」
「お夏! お武家さまの世界では、一目惚れなぞ、はしたないことだ。商人とはいえ、お前も大店の娘、浮ついた気分で、過ちを犯すなよ」
大店の主人としての貫禄は、娘にどこか厳しいところを見せた。
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