作品名:ここで終わる話
作者:京魚
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「いらっしゃい。来ると思ったよ」
「では、遠慮なくお邪魔します」
扉を開くと、正面を向くようにロブが大きな窓枠に腰を置いていた。
「お前が無事でなによりだ。横取りされたら困るからな」
後ろ手で扉を閉め、鍵をかけた。これで邪魔は入らない。
「あやうくそうなりかけました。シェイのおかげでそうならずにすみましたけど」
「なら後で礼を言わなきゃな」
「ええ、そうしてください」
言いながら、シャツをズボンから引っ張り出した。めくって腹に隠していたナイフを取り出すと、安全用のカバーを外し、床に投げた。
「で、何をしにきたんだ?タンラート」
解りきった微笑みを浮かべ、彼は期待に満ちた声音で答えを待った。
「僕に正当な裁きを与えてくれる人に会いに来たんですよ、ロブさん」
自信に満ちた瞳を爛々と輝かせ、タンラートがはっきり述べた。
「でもその前に、少し話をしませんか」
「まず、お礼を言わせてください。今までの事、そして今から行うことについて」
「ああ」
「ありがとうございます、ロブさん」
深々と頭を下げ、心から感謝の意を表した。しばらく目をつむったままその姿勢を保ち、目を開きながらゆっくりと顔を元の位置に戻す。
「話はそれだけか?」
「いいえ。もう一つ言わせてください。とても大切な話です」
「そうか」
勿体つけるようなタンラートに、少し焦れったさを感じながらも、決して前のようにロブは我を忘れたりはしなかった。これは今日の自分への課題であり最後の誇り、そしてタンラートへの敬意、気遣いだ。
「僕は沢山の人の死によって今の自分を手に入れました。これは決して自分一人では手に入れることのできないものです」
「…」
「僕はたくさんの過ちを犯しました。必要なものを傷つけ、無理矢理不必要として扱ってきた。そのために失ったものの多さに気付くことなく」
青い空に心を開かなくなったのは、視界が血に染まってから。
光る星に微笑みを返せなくなったのは、火花を散らす剣の眩しさを知ってから。
人の温もりに感動できなくなったのは、親の手から必要とみなされなくなった瞬間から…。
「僕はずっと怨んでいたんです。自分の運命を」
どこだって自分にとって居心地のよい空間はなかった。
それはきっとロブも同様の思いだったのだろう。
「でも、こんな自分に感謝することが一つだけあった。僕はとても素晴らしい人との出会いがあった」
最近、涙腺が緩みっぱなしだ。また目頭が熱くなってきた。
「みんな僕を正そうと導いてくれました。彼らにその意がなくても、結果死んでしまってもです。僕は僕でいられたことを誇りに思います。たとえ彼らがそれを望まなくても、彼らの死は、無駄じゃなかった」
「何を言い出すかと思えば、それが何だ?」
「だから今の僕がいる。僕の死も、無駄にはならない」
「そうかもしれないな。でも俺にはそんなもの関係ない。どうでもいい」
心の底にあるものは、ふだん自分自身にもみることができない。ときどき蓋がはずれそうになるのを、人間は本能的に押し戻す。
「ただ…後悔しているだけだ」
その結果が、取り返しのつかない状況へと変わり、後悔へと変わる。
「あんなに大切な人を一人でいかせてしまった。どうして俺は一緒に死んでやれなかったのか。あの人は死ぬ必要なんてない。死んでいいのは俺の方だったのに」
正しいと思って彼から離れた。
正しいと思って軍に入った。
正しいと思って人を殺した。
なのにいい結果なんて一つもない。結局はあの人を傷つけ、裏切ることになってしまった。
「正そうとしてくれた人を裏切った俺には、もう命を絶つ権利さえない」
僅かに開けられた窓から風が入った。それはほてった二人の頬を撫でると、小さな音を鳴らし続ける換気扇へと吸い込まれる。
タンラートは軽く頭を左右に振った。
「いいえ、あなたは本当はもう、僕を殺したいなんて思っていないはずです。あなたが僕を殺す理由は、今はもうただの意地です。自分を保つために無理矢理押し付けたこじ付けです」
悲しいのは、無理にでも生きようと必死に現実にしがみつくことなのかもしれない。
だから人は正しい選択を見誤る。全てを憎んだり、不必要なものを望んだりする。
「僕たちはみんな違う生き物です。生きる場所も方法も全然違う。そんな中で人は自分なりの正しいを見つけるんです。だから人によって価値観や感じ方が違う。ある人にはたやすく出来る事もある人には大変困難な事だってある」
沢山の人の正しいと思う結果が自分を苦しめる要因になることは、常に幸せと背中合わせになっているのかもしれない。
「あの人は、後悔なんてしていなかった。でなければ、死の直前まであんなに幸せに微笑んだりできませんよ」
タンラートはあの時の光景を思い出して、ちくりと胸を傷めた。
迷うことなく誇りを選び、躊躇うことなく死を決心した。あの瞳には、一瞬の戸惑いもなかった。
「あなたが自分の正しさを貫いたおかげで、沢山の救われた命や心があることを、忘れないでください。あなたは許せるはずです。だって、大切な人を傷つけまいと自ら傷を追って彼から身を引くほど、優しい綺麗な心を持っているんですから」
ロブが上に行くために必死になって行った軍事によって、不本意ながらロブはこの国をいくつも勝利に導いた。その結果護った命の数は計り知れない。
上へ行く過程でいつの間にか壊すはずの舞台を、成功へと先導していた。
なんという皮肉な結果だろう。
「あなたは正面から凪伏せるのが恐かったから、軍に入り姑息に内部から潰そうとしたんじゃない。やろうと思えばいくらでもできた。正面から突っ走って、邪魔する者は殺す。憎しみが手助けしたルッカレイヤターカの剣を持つ者に、それほどたやすいものはないでしょう」
彼を賛美したいわけではない。
「でもあなたはしなかった。できなかった。自分の憎悪に無関係の人を殺すなんてこと、是が否でもできなかったはずです」
ただ、どんな人なのか、知っておいて欲しかった。自分には見えないものの方が人は多く持っている。
「あなたは、とても優しい人だから」
死んでほしくない。
あなたのような人に、死んでほしくない。
許せるはずです、
自分自身を。
死ぬ理由なんてどこにもない。
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