作品名:探求同盟−死体探し編−
作者:光夜
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 「それじゃあ、夜の検診はこれでおしまいね」
 清潔という印象が強い部屋の一つ。看護師の女性は検診で使用した道具を手際よく片付けながら、その満面の笑顔を患者へと向ける。彼女たちは愛想笑いでも、作り笑いでもない、本当の笑顔を当たり前のように仕事として使用できる唯一の、そう天使だ。
 人を助ける、人の役に立つ、その前線とも言える病院での仕事。彼女たちは、困っている人間を見捨てられず、目に見える全ての人間にその費えることのない永遠の愛情を分け与え続けるだろう。それは、腕にギプスを巻き不便そうにベッドに横になっている患者―――――横山 咲も漏れなくその一人である。
 「それじゃあ、何かあったらそのボタンで呼んでね。あ、でも寂しいとかっていうのは駄目よ」
 「まさか、子供じゃあるまいし、そんな理由で忙しい夜勤の看護婦さんを呼んだりはしません」
 子ども扱いされたのが理由でもないが、彼女は対抗するように出て行こうとする白衣の天使に、言ってやった。その元気な態度を確認した天使は笑顔で手を振って部屋を後にした。彼女たちの仕事は医師の指示通りに道具を運び、手伝うだけではない。女性特有の柔和な優しさと雰囲気で、怪我をして心が落ち込んでいる人間を元気付けるのが、最大の仕事だ。怪我は心とともに治る、心が治ろうとしなければ怪我は一生治らない。
 日々のコミュニケーションの中で、彼女たち天使は心のカウンセリングも兼ねているのだ。それが証拠に、夜の少し痛い検診の後でも、横山には笑顔が絶えなかった。
 彼女は天使の教えてくれたナースコールのボタンを確認する。聴力検査でも使うような手のひらに収まる小さなプラスチックのボールにボタンが一つあり、そこからコードが延びているなんともシンプルな形。それは壁にかかっている。
 使うことはないだろう、そう思いながら彼女はベッドで横になり。入院初日の夜を迎えるのだった。しかし、絶対という言葉は、この世に一つしか存在しない。死という『絶対』だけだ。
 どういう理由であろうとも、ここは病院。生者と死者が入り混じる、不均等な世界。建物は、その土地という範囲を殻に、建築物の壁を膜と言う見立てで存在する、一つの世界。いわば卵。
 その卵は、内側で如何様にして変化していくものか。卵の中の黄身や白身も、拡大すれば物質の塊。そう、原子で出来ている。その原子が人間であるならば、死者は変化した原子。がん細胞。一つの世界の中での変化はとてつもなく大きい。
 ああ、あわよくば、医者のいる教会がよかった。こう言って死に絶えたのは、中世時代の悪霊に殺された一人の名もなき学者だった。
 今夜は、あろうことか、満月だった。満月というものは酷く神秘的だ。潮の満ち干きをてつだい、妊婦の産気づきをもよおし、そして狼の血を滾らせる。だが、満月はそれだけではない、太陽の光は、そう強すぎる、だが淡く光る満月の光は、適度に暗がりを照らし出し、昼間には姿を現せられない亡者たちを、導く。
 だが、これだけではまだたりない、そう時間だ。満月といってもまだ彼らは光の下では姿を出せない。時間が必要なのだ。そう、牛の刻参り、その時間、光は光であって光ではなくなる。牛の刻参りは亡者の活動時間、地獄の閻魔と天界の釈迦が取り合わした、死者が一日のうちで現世に出られる貴重な時間。
 そのとき、光は意味を失い、ただ周囲の色を見せる『   』でしかない。彼らは、そのときだけ、この世に、人を食らいにやってくる。
 時は深まり、深夜は二時を過ぎた。横山の眠る部屋は静寂、ただただ彼女の寝息だけが聞こえている。この時間、トイレに行くものは数少ない、そして前提として、彼女の部屋は廊下の末番、そう彼女の部屋の向こうは、倉庫しかないのだ。
 そして、どの部屋に行くにしても、ナースセンターの前を通る必要があるのだ。この時間、彼女部屋の方向へ行く人間は、いてはならない。だが、僅かに、ナースセンターの端、見えざる暗がりを人の足が通過した。まるで足音を立てず、その気配すらも、微弱。一人の看護師が顔を上げるが、風でも吹いたのか、程度にしか思わなかったか、直ぐに書いている書類に目を戻した。
 もうひとつ、院内には当然監視カメラが設置されている。ナースセンターの周りにも三台のカメラがある。そして、その人影は堂々と、カメラの真下を通った。ということは・・・・だが、カメラを見ていた人間はいない。見ていたとしても、彼女たちには見えないだろう。事実、カメラには誰も映っていないのだから。
 彼女が、得体の知れない気配に気づいたのはその直後だった。なんの余韻もなく、彼女は何か不安に駆られ、ベッドから体を起こしていた。
 「・・・・・なに?」
 周囲を見渡すが、別に何もない。自分が寝ているベッドと、小さな寝台があるだけで、あとは扉が―――――扉?
 「なんで・・・・?」
 おかしい、扉はさっき看護師の彼女がしっかりと閉めた。そして、鍵も掛けたではないか。なんで、今は半開きに・・・・

 ―――――ヨコヤマ

 「だれ―――――っ!?」
 瞬間、彼女は叫んだ。聞こえた、確かに、今、自分の名前を呼ばれた。この世のものとは思えない、ひどく粘り気のある声だった。おぞましい、素直にそう思った。
 まずい、ここから出ないといけない、そして看護師の誰かに言わないといけない。だが、一瞬のうちに恐怖に駆られた彼女は、思考とは裏腹に行動は緩慢になっていた。脳が指示を出しても、信号が巧くは働かない。ありえない、ありえない、お化けなんて、お話の中だけだ!
 自分に言い聞かす、だがそれでもなお。

―――――ヨコヤマ、ヨコヤマ・・・・・

 「誰、誰なのよっ!」
 なんで、こんなに叫んでも誰も来ない、なんで、こんなに恐い思いをしている。なんで、なんで―――――
 だが恐怖の中、彼女は天使の声を思い出した。
 『何かあったら、そのボタンで呼んでね』
 ナースコールだ!彼女は扉を諦め、人を呼ぶことにしたのだ。だが、彼女はそれを手に取った瞬間、その手に重なるように、黒いに中が現れた。その手の持ち主は、ありえない角度から、顔を現した。黒い丸いに目が二つに口が一つ、誰だか判別できない顔。その顔を持つ首が、手の甲から生えてきたのだ。
 「―――――ヨコヤマァァァァァァァァァァ!」
 「きゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
 意識を失う寸前、彼女はそのボタンを、押していた。天使たちは、意識を失った彼女を直後に発見。しかし、彼女は原因不明の意識不明に陥ってしまった。
 ああ、あわよくば、医者のいる教会がよかった。そう誰かが言っていたような気が、どこかで響いただろうか。


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