作品名:雪尋の短編小説
作者:雪尋
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「クロスオーバー・リアル」
二人暮らしの母親と会話が無くなって五年が経つ。
それはつまり、俺が部屋に引きこもりだした年数と一致する時間だ。
部屋を出るのはトイレと風呂の時くらいのもので、運動不足にもほどがある。
この生活を続けていてふと思うのはインターネットの偉大さだ。自分の部屋にいながら世界と繋がることが出来る。素晴らしい。発達した情報文明は肉体を移動させることの無意味さを教えてくれて、潜在的に俺達を自殺に追い込んでいるのだ。ますます素晴らしい。
――――ということを、行きつけのチャット広場でつぶやくとモチモチさんがすぐに反応を返してくれた。モチモチさんは女性であること以外の情報が秘匿されている、俺の親友だ。彼女との付き合いもそろそろ長い。
『ケイ君は頭が良いんだね〜。肉体を移動させることの無意味さ、か。確かにそうかも』
「どこでもドアが開発されりゃ引きこもりも減るんだろうさ。でも無理だろ」
『どこでもドアは無理だよね〜(笑) でももし造られたら簡単に旅行出来るし、美味しいご飯屋さんにもすぐ行けるし、綺麗な景色もたくさん見られるんだろうね』
モチモチさんは優しい。いつも俺の意見を聞いてくれるし、絶対に俺を否定しない。
だけど今日のモチモチさんは「でもね」と言葉を置いて、こう言った。
『だからって、ドコでもドアが無いからって、引きこもってもいいわけじゃないんだよ?』
「……モチモチさん? どうかしたの?」
『どうしたんだろうね。キミの書いた「自殺に追い込んでくれる。素晴らしい」なんて言葉をながめてると悲しくなっちゃった。自殺が素晴らしいだなんて……言いたくないことを言ってしまいそう』
モチモチさんが悲しんでる。そう思った瞬間に脂汗が出た。
人と上手に付き合えない俺はこういった場合の適切な対処法を知らないのである。
焦っている間にモチモチさんの書き込みが表示された。
『あのねケイ君。ごめんね。でも言うね。ケイ君、もう引きこもるのやめよう?』
「……外に出る必要性が無いよ。パソコンさえあれば全て事足りる」
『パソコンさえあれば生きていけるの?』
「そうだよ。他には何も要らない」
『……涙が出てきたよ。悲しいよ。ねぇ、ケイ君のパソコンはご飯を用意したり、電気代を払ったりしてくれるの? お風呂やトイレの水は? その住んでる家は、誰がどうやって建てたの?』
俺は言葉を失った。そんなもん、あって当然のものだったからだ。全身が震え、頭の中は真っ白。モチモチさんが俺を否定している、という自覚を得た瞬間、衝動的に書き込んだ。
「全部母さんが そうか、俺はあの人に迷惑を かけて、 俺はいらないな。うん。死のう。自殺します。さようなら」
『馬鹿なことは言わないで!』
即座のレスポンスだった。本当は死にたくなかったから、俺は逃げ道を一つだけ用意した。
「……もし今夜の食事がハンバーグだったら、自殺しません。子供のころ好きだったんだ」
親父が死んでから、母が二度と作らなくなった、親父の大好物。
俺が自分で作った逃げ道は最初から封鎖されていた。
俺は目を閉じたままパソコンの電源を落とし、自殺の方法を本気で考えた。
――――だがその晩。俺の部屋の前にはハンバーグが置かれていた。呆然と部屋に戻り、パソコンの前に座る。モチモチさん。じっとキーボードを眺めているうちに俺は全てを理解した。
キーボードに印字されている平仮名。仮名入力によるモチモチはMAMAで、ママ。
俺の味方で、優しくて、いつも話しを聞いてくれる、モチモチさん。
俺は静かにパソコンの電源コードを引き抜き、パソコン本体を地面に叩きつけた。たぶん壊れただろう。親友を失った俺は、世界に繋がる方法も失った。あとは自殺するだけだ。
けれど、机の上にはハンバーグ。こうして俺は自殺する言い訳を失った。
泣きながら懐かしくて、美味しくて、世界で一番優しいハンバーグを食べ終えた俺は、食器を持って一階に下りた。
ごちそうさま、ありがとう。
そんな言葉をモチモチさんに、母に告げるために。
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