作品名:アスファルトに還る
作者:谷川 裕
← 前の回  次の回 → ■ 目次
 夏は海水浴場として賑わっていた。直近くに駐車場があった。車を入れた。この季節あまり人気はない。少し高くなった展望台。誰も居ない。吸殻が何本かある。根元まで吸って短くなっていた。

「泰、久しぶりだな」

「ああ、まだ煙草やってんのか?」

 血色の悪い顔をして安田が展望台に登ってくる。二人並ぶ。海を見た。何度かこうして海に来た。

「覚えてたのか?」

「十年経ったな。この前TVでお前が出てるの見たよ。儲かってるんだってな」

「それほどでもない。儲けは変わらない。たまたま良い出会いがあった。それだけの事さ」

 安田が煙草に火を付けようとして止めた。私は煙草を吸わない。海に背を向ける。柵に持たれかかる。時計を見た。

「来るさ」

 安田が言う。H社のスポーツカーが物凄いスピードで目の前の道路を駆け抜けた。駐車場を通り抜け急停止し、バックで駐車場に入ってきた。ミラノレッドのその車はトロトロに磨きこまれていた。ドアが開き小走りにやってくる。駆け上がり展望台に男はやってきた。

「よう」

「よう」

 いくらか太ったかもしれない。真島はもともと顔の肉がつき易かった。太ると直に分かる。

「この間TVで見たぞ」

 真島が言う。

「今、何やってる?」

「公務員になってな、近所の役所で働いてる。詰まらん毎日さ」

「そんな事ないさ、俺なんて実家の八百屋だからな」

 そんな話をしばらくした。それぞれに家庭を持った事。子供の話。職場での愚痴。他愛の無い話だった。もうすぐ互いに三十近くなろうとしていた。

「変わらねーな。俺たち」

 真島。

 一呼吸ついた。十年経ったぜ。ああ、経ったな。

「忘れてないって事か」

「すまねえ、女の名前忘れた」

 言って真島が笑った。口元だけで笑みを返した。私も実は思い出せないでいた。あの時真島の車に乗っていた女の事もだ。
 安田がポケットから煙草を取り出した。箱をトントンと二回叩き、一本を取り出した。真島がライターを放り投げる。

「走るかい」

「ああ、そろそろ時間だな」

 駐車場に戻る。二台並んだ。秋の風が火をつけた安田の煙草を赤く燻らす。エンジンをかけたまま真島を見た。人差し指を立てていた。変わらないな。安田、空を見て大きく息を吸った。真島を見た。人差し指届くことの無かったガラス窓に当てていた。手を伸ばす。運転席から届かない窓に向かって私は掌を向けた。雨か? 車体天井にぽつりぽつりと雨が当たった。窓ガラスが見る見る雨で覆われていく。真島の姿がぼんやりとしたものになる。火。消えていた。安田、銜えたままの煙草。消えているぜ。言ってやりたかった。どうせ吸えない煙草。今でも格好ばかりで吸っているのか。消えていた。大げさに二本の指で挟む。雨を顔で受けながら安田が消えた煙草を空に向かい投げ付けた。高く、舞った。ワイパーを振る。ぼんやりとした景色、一振りで払われた。鮮明になった視界、落ちる煙草。早いな。真島、まだ煙草は地に着いてない。駐車場の砂を巻き上げながら真島の車が鋭い出足を見せた。また俺は遅れたのかよ。奥歯を噛み苦笑した。アクセルペダルを踏み込む。真島のテールランプ目掛けて鼻を向けた。身体がシートにめり込んでいく。
 ルームミラーを見た。安田が雨に打たれ全身で何かを叫んでいた。真島、ミラー越しに目が合った。あの時と同じ、血走っているのか? 赤い目をしていた。泣くなよ。目を擦った。涙、自分の物だった。泣くなよ。ミラーに写る真島の目に溜まった涙がコーナーを曲がる時一筋頬を伝うのが見えた。下手だな。真島、お前はコーナーワークが下手だ。シフトを落とす、高鳴るエンジン音が私を包み込んだ。叫んだ。何かを叫んでいた。聞こえない、アクセルペダルを踏み込み私は自分の叫びを掻き消したのだった。

← 前の回  次の回 → ■ 目次
Novel Collectionsトップページ