作品名:芸妓お嬢
作者:真北
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3−1

浅草寺参道の広小路での一騒動は、何もなかったかのように、
本堂での参拝も終え、一行は、富くじの場所にやってきていた。
「みんな、富くじよ。一攫千金だわ」
お珠にとって、お金など興味なかったが、
他のみんなが大はしゃぎしているので、一緒になって富くじを買った。
「ねぇー。数馬様も買いましょう」
「拙者は……」
「いいじゃねーか。当たるも八卦、運試しってことで」
こんなもので、大金が手に入るなどと、
考えもせずに、数馬も富くじを買うのだった。
数馬が番をしていた木戸は、白木屋旅館、門前町の湯のある側と、
お珠の住み込みをしている置屋や呉服屋のある側も、
留蔵が管理する同じ町内になります。
その両側に門があり、時代劇によく出てくる番屋が付いています。
門前町長屋には、その両方が通りの入り口にある、
わりと大きな通りの町でした。
お八つにはまだ早い時間に、旅籠へ戻ってきた数馬たちでした。
半玉さんたちも、久しぶりに羽根を伸ばし、置屋に戻っていった。
そうそうに、お師匠さんのところで、お稽古がはじまったようだ。
数馬は、板場に行き下ごしらえなどを、手伝っていた。

板さんが、女将さんに、ペコペコ頭を下げ、許しをこっていた。
「お前がいなくったって、家は全然困らないんだよ。
お前なんかより、ずっと、料理の上手な数馬様がいてくださるんだから、
さっさとどっかへ行っちまいな」
「女将さん、そんな殺生な……。
ほんとうに、もう、酒は一適たりと飲みやせんから、
おいらに暇を出すなんて、言わねぇーでくんなさいよ」
なんと、板さんが正気に戻ったようだ。
医者の薬がよく効いたようだ。
ここは、身を引くべきだろうと、数馬は話の中に割り込んでいった。
「板さん。どうやら、元気になったようじゃないか。
そいつぁーよかった。下ごしらえはおわっているから、
今夜の宴会の料理はけっこう楽にできると思うぞ」
「数馬様……」
女将さんは、数馬が板さんに板場をゆずって去っていくのを、
手を合わせて見送った。
それは、申し訳ない気持ちと、急場に下ごしらえまでしてもらって、
助かった気持ちだった。
「ほら、さっさと板場に付きなさいよ」
そう、言われ板さんも、手を合わせお礼を言って板場に戻っていった。
急遽暇になった数馬は、
半玉さんのお稽古のお師匠さんのところへ顔を出していた。
日本舞踊のお稽古をしていたお珠たちだが、数馬を見るなり、
数馬の回りに集まって来た。
お師匠さんも、両手をついて浅草寺でのお礼を言う。
「危ないところ、この子たちを守ってくださって、ありがとうございます」
「いいえ、この町内の人々を守るのが、拙者の役目、礼など及びません」
お師匠と呼ばれた女性はゆっくりと頭を上げ顔が現れる。
涼しげな目元の優しい顔をした女性だ。
年の頃は、三十後半なのだろうか。
しかし、年よりずっと若く感じる。
三十代前半と言っても通用しそうな顔立ちだ。
お珠は勝手に、お茶を用意している。
上がり框に座り込み、庭の方を向いて、手入れの行き届いた庭に心休まった。
お茶をいただいていると、芸者衆がちらほらとお稽古に現れる。
ゆっくりと挨拶をする。
数馬もあらたまって挨拶をした。
踊りを稽古するもの、三味を稽古するもの、
お珠はそれをキラキラした目で見とれている。
「わたしも早くりっぱに踊れる芸者になりたいんです」
池田家のお嬢様が、芸者になりたいとは、
数馬はどう返事をしたらいいのか困惑している。

3−2

お師匠さんは、お珠に踊るようにと言った。
お珠は、数馬に礼をし裾の方に向い踊りの形に着いた。
三味線にのり、お珠が舞う。
それは、優雅で気品に満ちていた。
「お珠ちゃんは、どこかのお姫様なんじゃないでしょうか?」
「えっ?」
お師匠さんは、お珠の舞を見てすぐにその気品に気づいていた。
「踊りは、もう、一本さん以上です。私が教える事はもうありませんね。
お珠ちゃんは、ここに来てからは、生き生きしています。
すぐに、連れ戻さず、もうしばらくいさせてあげてくださいまし……」
お師匠さんは、何もかもお見通しだった。
「はい」と、数馬は頭を下げた。
そこへ、留蔵がやってきて、腰を下した。
「いい、実にいい。素晴らしい、
こんなに近くでお珠ちゃんの踊りを見られるなんて、得した気分だ」
時は、八つを越えていた。
お珠は挨拶を終え、稽古場を後にした。
「ずっと、つき合わせてしまってごめんなさい」
「とんでもない。お嬢様の舞が、目の前で見れたんだ。幸運です」
「数馬さまったら、もう、そのお嬢様って、やめてください。お珠でいいですよ」
恥ずかしそうにお珠はうつむいた。
旅人が宿を探し、通りはごった返す、六つ時ともなると、暗くなってしまうので、
めしと書かれたのれんの下がった店に、数馬とお珠は、二人して入った。
「定食二ね」
お珠は奥に声を掛ける。
数馬に座るようにと椅子を引き珠音も座った。
「ここの定食、美味しいよ」
数馬はお珠の事を考えていた。
揚羽蝶の家紋の入った着物を着、幼少から日本舞踊を習い、
そして、芸妓を目指しはげんでいる。
武家の娘とは思えないほど、町娘に溶け込んでいて誰からも好かれている。
「今度、お座敷にご一緒していただけませんか」と、誘われた。
それは、女ばかりの一行が夜の街を歩くのに、用心棒が必要だったからである。
お珠などの半玉さんは、近場ばかりなので、さほどのことでもなければ、
用心棒は付かないのだが、数馬は、即答していた。
「もちろん、ご一緒させていただきます」
お珠は、そのまま置屋に帰っていった。
そこを、留蔵に目撃されていた。
「よぉー、色男!」
「留さんかい。びっくりさせないでください」
「珠ちゃんをもう、手なずけたのかい、流石だね」
「留さん。それは言いすぎですよ」
「あのお堅い珠ちゃんを落としたな。
今までに、どれだけ誘ったって、手も握らせてくれなかったんだぜ」
「えっ」
「彼女は、芸者に憧れてこの町に来たんだ。
年は十六・七だったな。出身地は岡山で、けっこう裕福な家の娘らしいぜ。
親はどっかのお武家だそうだ。
それが、芸者になりたいって言うんだから、
変わっているって言えば、変わっている」
留蔵の話に、数馬は呆然とした。
やはり、岡山藩の姫君で間違えなさそうだ。
殿が亡くなり、七歳の若が藩主となった。
この若がお珠の腹違いの弟であろうが、
藩主は、備前から因幡《いなば》[#鳥取県の東部]
に藩主交代になったのだ。
藩士がお珠を探し出さないでいるのは、
今のごたごたが解消するまでのあいだほっておこうと考えているか。

3−3

飯屋で、お珠が去った後も、留蔵と数馬は話し込んでいた。
「数馬さんもいろいろと訳ありなんだろう」
「拙者が……」
「若いのに、人生に疲れきったって雰囲気を持っている」
留蔵にそう言われ、項垂れた。
「まぁー、気を落とすなって、ここで、心の洗濯をしっかりとしていけば、
人生そんなに悲観する事ばかりじゃないってよ」
「はぁー」
「そうだ、富くじ当たるといいな」
ぽんと、背中を叩かれ、留蔵と別れた。
数馬は村正を抜き取り、しげしげと眺め腰に戻した。
「こいつの、お蔭で人生狂った。お前のせいではないが、
幾人にも命を狙われ、許婚とも別れた。眠り剣、それは破滅の剣法だった」
数馬の許嫁の名は、お香。
彼女は、はるばる岡山から江戸に向け旅立っていた。
数馬に逢いたい、その一念から、沼津に到着していた。
後、一日二日でお江戸入りを果たす勢いだ。
しかし、連日の強行で無理がたたり、沼津で少々の休暇をとるつもりでいた。
その宿場町で、見覚えのある侍の一行にであった。
「あれは、闇鴎流の門下……。数馬様を殺めに向かうのか……」
お香は、顔を隠し、身を潜めた。
「一ノ瀬め、藩邸から姿を消したそうだ。我等の行動をさっしてのことか」
「そうじゃなさそうだ。お嬢といっしょにいるところを、みつかっているようだ」
「お嬢だと、ちょうどよい、いっしょに始末してしまえ」
「我等が、備前を支配するには、どっちみち邪魔な連中だ」
お香は、こんなたくらみを盗み聞きしてしまったのだった。
岡山藩の花畠教場の塾生であった、数馬は強くなることだけが、
お家のためと信じていた。
武士道にがむしゃらになっていた。
数馬は、闇鴎流の創始者から眠り剣を伝授されたのだが、
数馬一人が伝授されたのではなかった。
ある日、道場の門下から、数馬ともう一人の試合が、予定された。
どちらが道場一なのかを競うための試合だった。
相手の名は、武本清四朗。
闇鴎流とは、先に仕掛けた方が負ける。
力が互角な上、相手が本気だったために、
数馬は彼を試合とは言え、殺害してしまったのだ。
「清四朗! 清四朗!」
門下たちは、清四朗に駆け寄ったが、すでに、息絶えていた。
数馬は、花畠教場と、闇鴎流派を辞め藩士として、
江戸詰め[#一年間の江戸出張]を志願したのだった。
しかし、藩邸で陰口を叩かれ、藩邸を抜け出してしまった。
岡山藩には、寛永11年11月7日・伊賀 三重県 荒木又右衛門が助太刀。
と言う、似たような事件がある。
数馬は、許嫁のお香の兄を、殺害してしまったのである。
闇鴎流の門下の企みを、聞いてしまったお香は、
沼津の宿には泊まらずに、その足で江戸に向かって旅立った。
数馬を狙う一行と一緒の宿屋に泊まるわけにもいかず、
頭巾をかぶり顔を隠しての旅が始まったのだ。
「一刻も早く、数馬様にお知らせせねば……」
夕暮れ赤富士を見ながら東海道を江戸に下るお香だった。
これから、夜にかけて箱根越えは、女の身には辛かろうが、
お香は一筋に数馬を想い足の痛みも感じずに、
箱根湯本の関所を目指すのだった。
木戸番に立つ数馬は、「はぁー」と、ため息をまた一つ付いた。
「この町の人達は、なぜみんな親切なんだろう。
生まれてからこんなに親切にしてもらったことは、一度も無かった。
父、母上は、厳しく、甘えたことなど一度も無かった。
武士たるもの毎日が戦場と、気を休めることも無く、修行に次ぐ修行。
しかし、泰平の世には武芸などは、無用の長物だった」
その上、鍛え上げた剣で、許嫁の兄、義兄となる武本清四郎を、
公認試合とは言え、殺害してしまったのは、事実である。
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