作品名:RED EYES ACADEMY V 上海爆戦
作者:炎空&銀月火
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団長室は薄暗い。そしていつも不思議な香の匂いが漂っている。少し咳き込みながら扉を開け、中にはいると椅子がゆっくりと動いて上海金色雑伎団団長―金 青爛―が現れた。
「話というのは何ですか?」
「まあ、そうせかさないでくれ。…君がこの雑伎団に来たのはちょうど今から一年前だね」
「ええ。孤児で行く当てのない俺を、上海のスラム街で拾ってくれたことは感謝しています。しかし、それが何か?」
…こういう場所は、好きではない。以前に偉い人との会談後、ろくなことが有ったためしがない。
いらついてきた小牙を手で押しとどめて金は話を続けた。
「そう。君を見つけたのはちょうど一年前、上海の小さなスラム街でだった…」
―一年前。
(…腹減った…)
そうは思うものの、空腹すぎて体が思うように言うことを聞かない。今までずっと食堂なり何なりできちんと毎日三食たべられていたのはどんなに幸福なことだったかが身にしみて解る。
(もう三日も何も食べてない…)
上海に来て一ヶ月。すぐに持っていた金はなくなり、小牙は路頭に迷う羽目になった。金がなくては食べていけない。しかし小牙のような子供を雇ってくれるような所もない。しかも微妙に不法入国。絶望的な状況で小牙に残された道は、ストリートチルドレンとして生きるだけだった。
持ち前の運動神経の良さを生かして大道芸をしてみたりもしたが、やはり儲からない。
ふらふらと行く当てもなくさまよっているうちに、本格的に意識が朦朧としてきた。
(これはさすがにやばいなぁ…)
ぐったりと壁により掛かり、ずるずると座り込む。目の前をはえが飛び交ってブンブンとうるさい。追い払おうと手をあげようとするが、腕が言うことを利かない。
その時だった。
ぼんやりとしか映らない瞳に、一人の男が映った。
(…だれだろう…)
彼は腕をのばし、手をさしのべながら言った。
「私と一緒に来ないかい?」
とっさに必死で腕を動かし、彼の手をつかむ。小牙にとってそれは命綱にも見えた。
ほほえみながら、男は言う。
「ようこそ、我が上海金色雑伎団へ!!」
「…とまあ、感動的なシチュエーションで君はここに入団したわけだが…」
「…何が言いたいんですか」
団長はまだ若い。四十代にもなっていないだろう。しかしその統率力と人柄の良さで団員たちの信頼を集める。
―そして彼の一つの欠点は、話が回りくどすぎることである。
「だから、急かさないでくれ。さっきも言ったように君がこの雑伎団に入団してから一年が過ぎようとしている。きっと君もだいぶ慣れた頃だろう。そこで本団員として迎え入れたい。そうすれば、君は今まで通り衣食住を得るだけでなく、給料も得られることになる。
…悪い話ではないと思うがね?」
「はぁ…」
正直、給料は別にいらない気もする。今までもほとんど小遣いやら給料やらはもらっていなかったのだから、正直金が手に入っても使い方に困るのではないだろうか。
どうしたものか、と困っている小牙を無視して金は話を続けた。
「そして、本団員になるには一つの条件があってね」
「条件、ですか?」
「そう。君は気づいたかね?この雑伎団の団員の経歴を君は何か知っているか?」
そういえば知らない。普段よく一緒にいる司乎や麗香も、その師匠である孫も、将志も、今目の前にいる金の経歴も知らない。よく考えたらおかしなことなのかもしれない。
「誰も明らかにしていないだろう?君は知らなかったと思うが、この雑伎団のメンバーは全てすねに傷のある、と言えば聞こえは悪いが、何らかの事情を抱えている人間ばかりだ。例えば呉兄弟だが、彼らの父親はある上海マフィアの首領でね。組が潰れかかったときに子供だけは助けたいと逃がされたんだそうだ。そして君と同じようにスラム街で生活していたところを拾った。かく言う私も、親の代までは表沙汰に言えないことをしていてね。孫なんかはそのころからの知り合いだよ。…みんなこんな風に事情を抱えている。私が君を拾ったのも、同じようなオーラを感じたからなんだ」
「…それで、条件というのは?」
司乎たちの事は、初めて知った。それはともかく、この人は本当に話が長い。
「ああ、話がそれてしまったかな。各団員たちに私が示した条件、それは自分の経歴を私だけに話すこと。一応団長としてそのくらいは知っておかなければならないからね。そして教えられた情報は、私が信用できると考え、本人たちから許可を得た人間にしか話さない。…そこで君にも同じ事を要求しよう。君は、私と出会うまでどこで、何をしていたのかな?」
灰色がかった金団長の目にまっすぐに見つめられて小牙はうっとつまってしまった。
自分が今まで、どこで何をしていたか…。それを話すことは小牙にとって非常に難しいことだった。―小牙自身、どこで何をしていたかいまいち解っていないのだから。
「どうしたのかね?やっぱり信用してもらえないのかな?」
(どうしようどうしよう…説明なんて自分がしてもらいたいぐらいなのに…)
パニックに陥りかけた小牙の耳に、突如ものすごい悲鳴が聞こえてきた。
―甲高い、少女の悲鳴。
麗香だ。
反射的に椅子を蹴って立ち上がり、団長室の窓から外を見る。屋内練習場の人だかりの上、地上十二メートルほどの所に綱渡り練習中の麗香がいた。
―指一本でロープにぶら下がった状態で。
「何があった!?」
金が怒鳴り、将志が答える。
「ロープ上にポールを立ててその上を渡る芸の練習中に、何かミスがあったらしい! このままじゃ落ちちまう! トランポリンか何かを早く!」
その横では叫びまくる司乎をスタッフが二人がかりで押さえている。
「麗香! 麗香!」
ロープの下では孫が必死に指示を出す。
「何とかロープをつかめ! がんばるんだ!」
そして麗香は、汗で滑る手で必死になってロープに手を伸ばしていた。
ロープをつかんでいるもう片方の手には血管が浮き上がり、徐々に指がほどけていく。そしてこんな時に限って麗香は安全ロープをつけていなかった。
―もはや、落下は時間の問題だった。
(あの高さから落ちたら…。人間なら死んでしまう…。私なら出来るが…。こんなところで正体がばれたら…)
考え込む小牙の耳に、司乎の悲鳴が飛び込んできて、彼は我に返った。
「麗香!」
その頭上で麗香の指が少しだけゆるみ、体が大きく降られた。
―迷っている暇など、なかった。
麗香の顔が、顔なじみの金髪赤目とかぶり、小牙の体は勝手に行動を開始した。
両手の十キロのおもりと両足二十キロのおもりを瞬時に取り外し、あっけにとられる金の前に放り出す。そして、目で追えるか追えないかというぐらいの瞬速で団長室を飛び出した。
目の前に群がる団員達が邪魔だ。
一番手前にいたスタッフの肩に手を置き、一気に体を上に上げる。
一気に五メートルほどの人混みを乗り越え、着地。その頭上では再び指を滑らせた麗香が悲鳴を上げた。
息を吸い、二メートルほど後ろへ下がる。そこから一気に筋肉に力を込め、助走。合計六十キロの束縛から解放された体は、気持ちいいほど軽く、麗香の元まで跳ね上がった。野性的と言っていいほどのカンで麗香の手首を空中でひっつかみ、尚上昇を続ける体の体勢を整えながらロープにたてられたポールの上に着地した。
(あーあ、やっちまったよ…)
半ば諦めの心意気で、呆然としている団員たちの前に飛び降りる。ビルの四階に相当する高さから二人分の体重を乗せて、小牙は音も立てずに降り立った。
「麗香!」
いち早くショックから立ち直った司乎が叫び、麗香がよろめきながら小牙の背中から飛び降りる。その衝撃で膝をついた小牙が、引きつった笑みを浮かべながら顔を上げると、その場の雰囲気が一気に解凍した。
うぉぉおおおお!という歓声に囲まれ、背中をどんどんと叩かれる。
「すげーな! 小牙!!」
「どこで覚えたんだよ、あんなの!!」
「よくやった! よくやったぞ!」
歓声に包まれながら、小牙は金の方をちらりと見上げた。こちらを見るでもなく何かを考え込んでいる姿は、小牙にそこはかとない不安を抱かせた。
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