作品名:闇へ
作者:谷川 裕
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 指定されたバスを乗り継いでいた。早朝に出発したのだが何度か逆走する形となっていた。その為かなりの時間を浪費した事になる。南は背後にさりげなく気配を配っていた。今のところ引っかかる物は無かった。陽は傾き掛けていた。冬のこの街では陽は早く沈む。南はバスの揺れに身を任せていた。

「次で降りるぞ」

 視線を合わせずに隣に座った初老の男が独り言のようにそう呟いた。南はゆっくりと目を開けた。自分に言った言葉なのか? 一瞬戸惑ったが隣の男は新聞を大きく広げその中に挟み込まれた小さなメモをそっと南の掌に押し込んできた。
 長野が置いていったメモにはバスの時間、乗り場が上から順に時間を追って書いてあった。南はその通りに動いていた。隣の男の存在はどこにも書かれてはいない。
 南が男に声を掛けるより先にバスは停車した。男が先に席を立つ、追いかけるような格好で南が後を追った。

「おい、待てよ」

 初老の男は以外にも脚が早く小股でちょこちょこと先を進んだ。工場地帯だった。通勤で利用するバスなのだろう。工場の作業着を来た者達を多く見た。もうすぐ帰宅の時間になる。

「聞いてるのか? 待てと言ってる」

 路地を回った。南は男の姿を見失った。

「倉庫の三番だ」

 不意に背後から声を掛けられた。振り向く南。バスで隣り合わせた初老の男だった。身のこなしが普通で無いことは後を追って南に分かった。

「おしゃべりは無しだ。倉庫の三番に行け。車がある」

「まだ乗ったわけじゃない。ここから引き返してもいいんだぜ」

「ならなぜ来た? 檻の中に戻りたいのか?」

「脅してるつもりなのか? 今更失う物も無い。そういう人間は強くなれる。ただ人を乗せて走れと言われてもな。ステアリングを握る以上は知っていてもいいはずだ」

「南さん。あんたは我々の言うとおりに動けばそれで良い。知り過ぎない事も大事なんだよ」

「答えになってない。帰るぜ」

 南が踵を返した。初老の男と擦れ違う。路地。誰もいない。遠くから工場の油に塗れた煙がどこからとも無く流れ込んでくる。もやが掛かったような空気だった。
 擦れ違いざま男が南の肘を掴んだ。歩を止める南、男の手には力が入っていた。

「全てが必然だとしたら?」

 男が身体を寄せてそう呟く。手には力が入ったままだった。南が身体を離そうとすると更に力を入れてくる。

「どういう意味だ?」

「あんた、ただの街の喧嘩だと思ってるんだろ。チンピラに絡まれた。もみ合いになり相手の持っているナイフで刺しちまった」

「事実だ。二年。俺は棒に振ったよ。ケチなヤクザの為にな。仕事まで無くしちまった」

「案外そんなもんだよ、南さん。ぶちゃる時はそんなもんだよ。俺もそうだった。だがな、いつか分かる時が来るかもな。俺もだから続けてる」

「何の事だ?」

「行けよ。倉庫の三番だ」

 初老の男が手を離す。右の肘が軽く痺れていた。かなり強く握られていた。肘を摩る。待てよ。言い終わる前に男は路地を抜けていた。革のブルゾンのポケットから鍵がはみ出していた。男が入れた物だ。倉庫の三番。男はそう言った。何が分かるというのか? 南は鍵を握り締めた。引き返す気が無い事は自分が良く分かっていた。男もそれを知っていた。南はもう一度鍵を握り締めた。

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