作品名:ここで終わる話
作者:京魚
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 嘘のような話に耳を傾けながら、タンラートは体の震えを押さえることができなかった。
 「そこにお前がいた。沸騰しきった体内の器官が破裂する思いだった。こいつを今すぐ殺してやりたい。そう思った」
 その言葉がいかに本気かなど、ロブの目を見れば一目瞭然だった。
 しかし次の瞬間、ロブの口元に不適な歪みが浮かんだ。整った顔が途端に崩れる。
 こんな表情見たくなかった。
 ショックで何も考えられない。このときの彼の苦しみもこんな感じだったのだろうか。もっと苦しかったのだろうか。
 「自由になれる。楽になれる。こいつを殺して俺も死ねば天国でタスカに会える」
 俺をがんじがらめにしていた苦しみは誰にも知られる事なく地や天に還り、美しい自然という結晶へと変わる。誰も傷つけたりはしない。
 ロブは長年の苦しみから解放してくれるだろうことに、心からの祝福を感じた。
 「でもな、俺は死にたいと願うお前を殺すなんて優しいことはできない。憎しみと裏切りに絶望を感じさせたかった。俺が感じたものをお前にも。そしていつかは最高に苦しい死を与える」
 嬉しそうに語るロブを見ながら、タンラートは心の中で思った。まるで夢の中にいるように客観的に。
 彼は神を殺すために上を目指す。腐った世界を正すために。だから僕の運命をも変えてしまったんだ。
 しばらくはつばを飲み込むことすらできなかった自分が、いつの間にか口を開き、こんな質問をしていた。
 「神の鏡は、なら神の鏡はなぜ見せたんですか」
 ロブは突然表情を硬くした。強くタンラートを睨みつけ、しかしすぐにでもまた笑って言い返した。
 「あれを教えてくれたのが、俺の兄だからだ」
 嘲笑うように、達観した目付きで苦し紛れに出てくるタンラートの僅かな望みを踏み潰す。
 ぼろぼろになるまで、何も考えられないほど疲れきるまで、俺は最低でもいい、生きよう。
 そう誓ったあの日以来、この信念だけは通してきた。
 だってタスカが言った。自分を精一杯生きろって。人の死は悲しいから、だめだって。
 「苦しいだろ?タンラート。信じていた俺に裏切られるのは最高に悲しいだろ?でもな、お前のおかげで俺も同じ苦しみを味わったんだ」
 限りなく漆黒に近い紺の瞳も、髪の毛も、今はもう闇のような黒にしか見えない。
 タンラートは無性に息苦しくなった。絶望、切望、恥辱に感傷と、沢山の負の要素に頭が混乱して上手く回らない。
 まるでつじつまが合わない。だって彼はあんなに優しかったじゃないか。僕は必死に否定した。
 「うそです…、嘘です!嘘だ!だってあなたは」
 「俺もそう思った。これは嘘だ、幻だ。あの人はきっと生きている。冗談だって言って現れる。でもな、お前は俺にそんなささいな夢さえ抱かせなかった!お前の胸の金ボタン。それはタスカに始めて会った時、傷だらけの俺にかけてくれたタスカの上着のボタンだ」
 さっきまで満面の笑みを見せていた彼は、いつの間にか泣いていた。タンラートの胸で光るボタンを睨むように直視しながら。
 恐怖におののきながらも、それはもう憎みたくなんかないと、全ての恨みを洗い流したいと言っているようにタンラートには見えた。
 でももう後戻りなんてできない。
 「そろそろ…これは返してもらおうか」
 ボタンをわし掴むと、力任せに引き千切った。途端に胸が開け、黒いクロスのネックレスが現れる。
 「これももう必要ないな」
 ロブはそれを軽く睨むように見て、同じように引き千切った。チェーンが弾けて床に散る。タンラートは首の皮膚を少し切った。
 壊れた人形のように放心状態で突っ立っているタンラートの瞳に、涙がうっすらと浮かんだ。心臓辺りがとてつもなく痛む。吐き気と目眩で倒れそうだ。
 「わかってる。お前に罪はない。お前だって散々苦しんだ。それでも…お前を殺さないと、憎まないと…俺は」
 彼の心は、壊れてなんかいなかったのかもしれない。ただ見失っていただけ。そのためいろんな要因がいっせいに集まって、見たくない現実に恐怖が込み上げて来た。
 「俺は死ぬこともできないんだ」






 僕たちは、今なぜ泣いているんだろう。
 同じ絶望に心を踏み潰され、同じ切望に食らいつかれながら、なぜ互いに慰めあうことが出来ないのだろうか。
 










 それは僕らが人間だからだろうか。
 おなじ人間なのに、彼はウルボスで、ボクはただのタンラートだからだろうか










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