作品名:ここで終わる話
作者:京魚
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ここで一緒に住まわせてもらうことになった。
ここはウルボスの隠れ家。もしものためにと考えて作られたもので、ウルボスの中でも年配の一部の者達しか知らないところだ。中にはいくつも部屋があり、食料も20畳ほどある部屋一つを使い切って保管されているため、もし何かあったとしてここに閉じこもっても生活には困らない。
この隠れ家を一人で管理しているのが彼、タスカ=ジジャンだ。彼の一族は代々ルッカレイヤターカの頃よりの見張り役として務めてきた。それはウルボスに変わった今でも変わらず、彼自身もそれを受け継ぎ物心ついた頃からずっとここで暮らしているらしい。そしてこの大きな隠れがをたった一人で守っていた。
「淋しくないの?」
そう尋ねると、彼は何も言わずに部屋をでて行ってしまった。
悪いことを聞いてしまったのかと不安でいると、彼は白いものを肩と頭に乗せて帰って来た。
白いものは三つあって、そのうち一つが肩から飛び降りて俺に走って来た。
どこにでもいる白い鼬は、幼い俺の足にじゃれついてきた。警戒心がまるでないのか、それとも彼に似ているのか。
「友達?」
彼はニッコリ微笑んだ。優しくて温かくて、包むようで見守るような微笑み。
心のある表情。
始めてそれが自分に向けられた気がした。ずっと、何よりも欲しかったもの。
この時わかった。
この人は、決して俺を裏切らない。人を裏切らない。
俺は膝に擦り寄って来た三匹の内の一匹の白い鼬を抱え、涙を必死で隠していた。
「弟です。もう結構大きくなってきましたから、そろそろ外に連れ出そうと思って」
俺が彼のところに世話になって半年がたった頃、始めて買い出しに連れていってもらった。生活には苦労しないものの、あるのはあくまで必要最低限のものであって、日々成長を続ける子供の服まで完備していない。サイズ合わせも兼ねて、これからの社会勉強に連れていってもらった。ただし自分の身分は隠して。
「弟?いたのかい」
店の人が驚いて訪ねた。当時の俺は十歳だ。確かに十七の男の兄弟としては、少し年が離れている。
しかし例えそれが身分を隠すための口実だとしても、自分を弟だと言ってくれたことがとても嬉しかった。
「よく似ているね。髪と目が特に」
「ええ、みなさんに言われます」
彼は言葉巧みに嘘を並べてゆく。このころの俺は、ただ彼の凄さに感動するばかりで、その罪深さに気付いていなかった。
「な、ロブ」
「え?」
俺は有頂天になり二人の会話を聞いていなかった。怒られる、と思って身を縮こませていると、彼はしゃがんで目線を合わせた。
「ずっと一緒に暮らしていくんだよな」
この時から俺は、彼の弟になった。
たくさんの荷物を抱えながらの帰り道、兄さんはこんなことを言った。
とても夕日がまぶしかったのを覚えている。
「ロブ、家にかえりたいか?」
「え?」
「帰って、両親や仲間の亡がらを埋葬したいかい?」
とても無謀な発言だった。
いまさら帰ったとしてもきっともう何も残っていないだろう。ウルボスを滅ぼした他国の軍隊が攻撃を終えたあと集落に押し寄せ、とっくに遺体や金品を回収していっただろう。
もう帰っても何もない。家も死体も何もかもが。
タスカはきっとそれら全てをわかっていっただろう。それでもあえてそう言って、俺がどうしたいのか、心を知りたかったのかもしれない。
「帰りたくない。あそこには帰りたくない」
俺は記憶を辿ってそう答えた。
あの日、たくさんの死体をこの目にした。
焼けただれた死体の山を。
そして記憶は更に過去を辿り、思い出したくない苦渋の日々が浮かんできた。
ここへきて初めてわかった。外の世界の人間に触れ、タスカに触れたことで知った、今までに人生の異様さに初めて気がついた。
帰りたいとは思わない。
もしまだ両親が生きていて、帰る家があったとしても、この人と一緒に行きたいと思う。
「帰りたくない。ここがいい」
「そうか」
兄さんの顔は抱えた大きな紙袋のせいで見えなかったが、それでも声にはどことなくため息のような感情が漏れていた。
「時々思うんだよ」
「なに?」
「ウルボスが滅びて、たくさんの仲間が死んだ。それを知った瞬間に僕は存在価値を失った。僕は仲間の最終手段だった。最後の最後で彼らを守る役だった。それなのに守るべきものを失った僕には、自分の存在する意味も失ったということだ。だから僕はもう必要ない」
必要のなくなった自分はどう生きていくべきか。
生きるべきか、それともあとをおって死ぬべきか。
「そんなことを思った時、小さな人影を見つけた。ロブのことだよ」
そして思った。
これは守るべき命だ。まだ死んではいけない。
「仲間が亡くなってとても悲しい。でもウルボスが滅びない限り、僕は今でも一人でこの暗い岩の中で暮らしていた。不思議なことだ。こうして人と共に並んで歩くことが出来る日が来るとは」
しみじみと実感するような声に、彼の声は何となく夕日のようだと思ったのを覚えている。
「人生なにがあるかわからないね。ありがとう、ロブがいてくれてよかった」
そのとき兄さんは、難しかったかな、と笑ったように言った。
わかってるよ兄さん
だって、同じだったから
家族が死んで、ウルボスが死んだそのとき、俺だって存在の理由を失ったんだから
それなのに
毎日が不思議なくらい楽しかった。
恐ろしいほど幸せだった。
今まで感じたことのない充実感。
始めて自分が満たされたと思った。
いずれは全てを洗い流す雨も、渇いた土には慈雨となる。
きっと今まで与えられなかったからこそここまで潤いを感じられたんだ。
憎むどころか、俺は感謝してしまった。
ああ、家族を殺してくれてありがとう。たった一人生かしてくれてありがとう。
そんな思いが俺の全身をやんわりと満たした頃だった。
「兄さん、なんで泣いているの?」
それは俺が十一歳になってすぐだった。
飼っていた鼬の一匹が死んだ。
兄さんは抱きながら幼い俺の前で涙を堪える事なく泣いていた。
これほど悲しい瞳をするのは、あのウルボスが滅びた日以来だ。
「…」
俺が不思議そうに訪ねると、タスカは弱々しい声を出した。
「誰であっても、大切なものが死んだときは悲しいんだよ。どんなに小さな命でもね」
彼はたったの一匹の鼬が死んだことによって、床に崩れるほど泣いていたのだ。
信じられなかった。
なんて純粋なんだろう。なんて綺麗なんだろう。
俺は己の醜さを知った。
ダメだ
彼の美しさは本物だ。
だから…
許せなかった。
彼を閉じ込めたウルボスも、今だに外に出られない理由をつくった国という組織も
全て無性に腹がたってきた。
俺は彼を自由にしてあげたかった。
だから軍に入った。己を偽り、全てを包み隠して上を目指した。
力を手に入れれば、この腐った世界も手に入ると思った。
世界を手にして全てを洗いざらい壊してやりたかった。
率先してウルボスを崩したニヒダの軍に入ったのは、己の憎しみを忘れないため。いつだって他人を憎しみの対象とし、己の卑屈さを恨むことができるように。
そしてようやく、それなりの地位を手に入れた頃、心に余裕が出来たのか、会いたくなった。
会う決心をした。
しかし、俺は己の運命の残酷さを呪った。
思わず笑ってしまいたくなった。
笑って泣いて怒って、全部なかったことにしてしまいたかった。
でも、俺の中にはそんな人間的な感情は芽生えなかった。
ただ、全ての生き物を殺したかった。
彼がいたからこの世は美しさを保っていたのに。
彼がいたから腐り切らずにすんでいたのに。
彼に感謝しろ。
全ての二足歩行生物は彼を敬い己の醜さに絶望しろ。
それが出来ないのなら、俺が変わって制裁を与えてやる。
神様がくださった、たった一つの望みだ。
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