作品名:吉野彷徨(U)若き妃の章
作者:ゲン ヒデ
← 前の回  次の回 → ■ 目次
 年が明け、天智四年(六六五)正月、叔母・間人は重病になる。風邪ぎみなのに、無理をして宮中神事を行い、こじれたのだろうか。讃良はあし繁く叔母の所へ見舞った。
ある日、見舞うと、目を覚まし、枕元の紙をちらっと見る。讃良が描いた大阪城絵図である。斉明は、それを間人にこっそりと与えていたのである。
 
 姪に、話しだす、
「讃良、お前が描いたこの絵を見ていたら、うとうとしてね、夢を見たの。……それが変なのよ、このお城を、わが君(孝徳帝)が見上げているの、額をそり込んで髷が付いてる変な髪型でねえ、私に話すのよ『卑賤の身から、よくぞ天下人まで登りつめたものよ。わしは、日の本の国だけで満足せぬぞ、いつかは、唐、天竺まで、手に入れるぞ、……それにしても、於祢、そなたにはこれまで苦労をかけたのう、北の政所として、女どもをしっかりしつけてくれ』と私に話しかけたのよ。来世は、その『おね』とかいう人に生まれ変わるのかしら?」
 讃良の頭の中で(豊臣秀吉)という人名が浮かぶ。
 
 ふいに、叔母がせがむ、
「讃良、転生した兄・入鹿さまの歌を歌って!」
「呪文のようで、意味は判らないと思うけど……」
「いいの」叔母は目をつぶった。
 讃良は、耳元でささやくように歌う、
「♪ヒトハ、タダヒトリ、タビニデーテ、……(中略)……ナニカヲモトメテーモ、ソコニーハ、タダカゼーガ フイテイルダケ―♪」
 聞いていて涙を流し、聞き終えたとき叔母は、
「わたしの生きてきたことは、何だったの。夫には先立たれ、子も産めず、神事だけをする務めだけして、死んでゆくなんて……」嘆き悲しんだ。
 死に臨んだ心の間人は、未来の言葉を、染みわたるように理解したのである。
 
 数日後の春二月二十五日、間人大后は薨去した。三十七歳位の若さであった。讃良は、大阪城の絵図を棺に入れた。

 先々代の天皇の皇后ゆえ、殯(もがり・陵が完成するまで続く通夜)が長く続いたが、ある時、天智は詣った重臣らにいう、
「遷都したいが」
「どこへ、遷都なさいますか」と鎌足。
「近江の大海(琵琶湖)の南岸のあたりに」
 皆がざわめき、鎌足が、
「そこは、遠うございます。建物の移築もたいへんですが」
「ああ、いまの建物の移築は不要だ。このまま置いて留守居役に管理させる。大海の周囲から船で資材を調達できるし、山陽道、山陰道、東山道、北陸道、東海道、などからの便も良い。百済の遺臣らが、新しい宮造りに協力したいそうだ」

「彼らの申し出でしたか。では、即位礼は、いつに?」
「そうだなあ、……、二年後に都を完成させて遷都し、その翌年の正月に新しい宮で盛大に行いたいが」
 鎌足はつぶやく、
「…さ来年は二十三回忌、その翌年は二十四、二十五年に満たないが、やむをえないか」
「鎌足、何のことだ?」
「いえ、何でもありませぬ」といい、棺の近くで、たたずむ讃良を見つけ、
「讃良姫さま、遷都先を近江にするのは、どうお思いで?」
 那大津の軍儀での讃良の見識にほれ込んでいた鎌足は、意見を聞いたが、
「年若い女が、難しい政治(まつりごと)に気安く口をはさめませぬ」
 と遠慮した。
 
 殯(もがり)に集まっている他の王家の女性らに、太田姫の姿がなかった。彼女も風邪が、こじれ始めていた。


← 前の回  次の回 → ■ 目次
Novel Collectionsトップページ