作品名:ここで終わる話
作者:京魚
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「そう…か。お前がなぜこの道を選んだのかと疑問に思っていた。それなら納得できる」
全てを打ち明けたタンラートに。ロブははにかんだような表情でそう言った。
「僕は二人に感謝しています。もちろんあなたにも。でも彼等に会わなければ僕はただ私利私欲のために上を目指した。そのために失う多くのものに気付かずに」
命や心。それに絆。
「でも最近、わからなくなってきました。上に行くために、何をして、何を切り捨てるのか」
怖い。
心がそう言わせた。
首のクロスが重さを増して、互いに微量な変化を知らせる。
「…信じられないです。自分だってついこの前死にかけて、そういう覚悟は出来ていたはずなのに。いっそ死んでしまった方が苦しまずに済むと思ってしまう。やっぱり、これだけは何度体験しても直らない」
「タナー」
「友人と…シェイと喧嘩しました。それでいいと思いました。これで二度とあんな思いはせずに済む。大切な人を失って、泣かなくてもいい」
それはこのOWにいる誰もが思う暗黙の覚悟。どれだけ親しくしても、心の最奥まで捧げたりはしない。そうすれば、友を失った時の哀しみはずっと少なくてすむのだから。
ニダ軍にいた頃に教わったこと。ジールが身をもってして教えてくれたことでもある。
人と心を通わすな。
それさえ守れば、もう苦しむ必要はない。
「僕は間違っていませんよね。正しいですよね」
タンラートは信じていた。
ロブがそうだよと言うことを。
「僕は正しいんですよね!」
しかしそれは裏切られた。
「逃げるな」
「え?」
「お前がやっているのは逃避だ。傷つくのが恐くて逃げている。いったい彼等に何を学んだ?ただ死の辛さを傷として心に刻んだだけか?お前はもっと大切なものを学んだはずだ」
「ちがう。だってあなただって!」
「そうだ。誰にも心を開かず押し黙ってさえいれば、他人の死に直面しても傷付かずに済む」
割れそうな頭を抱えるように、タンラートは理解できない歯痒さに歯を食いしばった。
「それが間違いだとは思わない。一つの立派な方法論だ。でも今はそうは思わない。何故だか解るか」
傾きかけた太陽にタンラートの白金の髪が眩しく光る。対していつもは重量感を漂わせる濃いロブの髪と瞳は、柔らかなオレンジの光りに緩和された。
「お前に会ったからだ。タンラート」
その瞬間、僕は言葉を放棄した。
「俺が今ここにいるのは、お前が教えてくれたからだ。俺も前はお前と同じように思っていた」
親しければ親しいほど別れが辛くなる。そうならないために自然と距離を保つようになった。OWの過半数が実体験のもとその方法が正しいと潜在的に思っている。
「でもなタンラート、親しいからこそ、死を強く否定できる」
死を…?
「親しいからこそ、愛しているからこそ、自分の死によって相手を傷つけないよう一心不乱に死から逃れようともがく。不樣に生を貫く」
彼の言葉はいつも重みがあった。従わざるをえない圧力と納得できる説得力がある。
だから誰からも手厚い支持を受ける。
だから僕でさえも嫌いにはなれなかった。
「人間は貪欲な生き物だ。それが救いでもある」
それでもこんなに心が痛んだことはない。
痛くて痛くて、まるで胸のクロスが突き刺さっているようだ。
体が小刻みに震えるのは何故だろう。額を流れる汗が尋常ではないのは何故だろう。
それはわかってしまったからだ。
「無理です。僕にはそんな生き方もうできない。そうわかってしまった自分がいるんです」
だってシェイとの仲を既に諦めているのだから。
ロブが口をつぐんだ。淋しそうに目を細めたのもつかの間、溜息をつくように声を和らげた。
「なあタナー?死んだ人間の苦しみと、生きのみびた人間の後世な苦しみ、どっちが重いと思う」
「え…?」
まさかの考えもしなかった質問に、俯かせていた頭を勢いよく上げた。
「どっちも同じなんだ。ただ、自分にあった苦しみを自分で選べなかっただけ…」
「じゃあ誰が選んだんですか」
日が落ち、部屋が暗くなった。とても時間の経過が遅く感じる。
タンラートは無意識の内に月を探した。
しかしここからは見えなかった。
「おやすみなさい」
その後二人は、ろくな会話もせず押し黙ったまま窓の外を見ていた。
「おやすみなさい」
先に沈黙に耐え兼ねたタンラートが、力無くそういうと、ロブの重たい視線に見送られながら逃げるように帰って行った。
つめたい廊下を影のように歩きながら、あの部屋でかわした会話を思い直した。
”ただ、自分にあった苦しみを自分で選べなかっただけ…”
ロブはそう言った。全てを知りつくしたような声音で。
なんて矛盾した世界だろう。
僕はこんなにも不純な世界に生まれてしまった事に絶望を感じた。
これも選べなかったからだろうか。
僕は死んで苦しみたかったのかもしれない。でも今生きているのは、選ぶことができなかったから。
では誰が選ぶんだ?
タンラートがそんな疑問に頭を悩ましていたら、ロブがそれを察したかのように、小さな張りのない声で呟いた。
”それはやっぱり…神様なんだろ”
その返答に愕然とした。
僕等はいつまで、神の悪戯に付き合わされるんだろう。
”だから…”
暗い廊下に足音をわずかに響かせながら、絶望に打ちひしがれた心が、最後の言葉を思い出す。
”だから…俺は、その神様を殺すために上に行くんだ”
汚い言葉で罵るように言った。
”もう一度深く考えろ。お前は、何のために上に行く?そのために本当に不必要なものはなんだ?”
それは…
それは−−
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