作品名:算盤小次郎の恋
作者:ゲン ヒデ
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庭で、武三郎が引かれた円の中でじっと刀を構えている。対して小次郎は、長算盤を刀のように持っている。

 木刀代わりに長算盤を持ったとき、皆は絶句したが、
「木刀に触れたこともない、小次郎には、算盤しかあるまい」家老は愉快に言ったものである。

 武三郎は、じっと小次郎が攻めるのを待ち受けているが、内心困惑していた。小次郎は、算盤で構えるのだが、へっぴり腰で前に行ったり後ろに行ったり、横へ行ったり、で、落ち着かなくウロウロしている。その度に、算盤の珠がカチャカチャと音を立てる。

 打ち込むのを待っている武三郎は、馬鹿馬鹿しい気分になり、
「早く、打ち込まれよ」と急かすが、
「そんなことを言われても」小次郎のへっぴり腰は、ひどくなるが、ウロウロするのは止まらない。
 いつの間にか、家老は縁側に座り、鼻毛を抜いていた。で、ちらちらと勝負を見る。
ときたま武三郎の足が円線に近付くと、注意をする。で、武三郎は足を止めて、対峙の姿勢で、ずーと小次郎を待っていた。
 
 四半時(三十分)が過ぎ、半時(六十分)になろうかとした時、武三郎に変化が起こった。足が震えだし、苦痛に満ちた表情をしだす。それからまもなく、座り込み、だらんと木刀を下ろした。
「武三郎さま ?……」小次郎が心配そうに近づくと、家老が咳払いをする。
 あわてて、小次郎、武三郎の肩に、算盤を軽く当てた。
「勝負あり!」縁側から大声を出して、家老は笑顔を浮かべた。

「叔父上、謀られましたな」足の痛みに耐え、起きあがった武三郎は縁側に寄った。
「ははは、分かったか。小次郎は、休むこともなく藩校へ通い、足腰は鍛えられている。あの様に動き回って入れば、疲れは起こらぬ。ひきかえ、江戸患い(脚気)ぎみのお前は、じっとしていて、立っていられなくなったわけだ。だか、正々堂々の試合で、小次郎の勝ちに間違いないであろう」
 横で見ていた八重と伝左衛門は、ほっとした顔をする。
 

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