作品名:芸妓お嬢
作者:真北
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2−1

口三味線《くちしゃみせん》と、お珠の踊りは白木屋旅館で大受けして、
留蔵と数馬の座敷を出てから、各部屋へご指名が相次ぎ、
芸妓の終了時間ギリギリまで、お座敷がかかった。
そして、夜四つの終了時間となり、お珠たち3人は、置屋に帰ろうとしてた。
留蔵と数馬は、旅籠の一室にまだ留まっていて、それを、見つけた。
「あっ、先ほどは、ありがとうございます。
お二方のお蔭でこんなにいただけました」
そう、言って花代を持ってやってきた。
数馬は、緊張してよそよそしい。
「お嬢さん。もういっぱしの芸妓だね」
留蔵は、御祝儀を、一朱金を出しお珠に渡そうとしたが、
「いいんですよ。お近づきの気持ちです。
また、お座敷に呼んでくださいまし」
お珠は、礼をして立ち去ろうとした。
「お、お嬢さん……」
数馬は、緊張してお珠に声をかけた。
「お珠でよろしいですよ。もう、お座敷は終わりましたので……」
「いいえ、そうではなく。せ、拙者……お嬢様を、御守りいたす!」
そう言い、頭を下げた。
しかし、その言葉を、留蔵は木戸番を引き受けたのだと勘違いした。
「おぉー、木戸番になってくれるんだね!」
「い、いや。そ、そう……」
なんと、数馬は門前町横丁の木戸番に就任してしまったのだ。
そして、翌日。
備前・岡山藩池田家で大騒動となっていた。
「姫様の姿が見えないではないか?」
「もし、その様な事が、御公儀に知れたら、とんでもない事になるではないか?」
ここに、一之瀬数馬が、いなくなったことには、誰一人気にするものはいなかった。
家老の片桐は、数馬の書いた置手紙を、
懐に潜ませ誰にもみせずにしまい込んでいたのである。
藩邸で、そんな騒動になっているとは知らない数馬たちである。
数馬は、すでに木戸番についていた。
そこへ、大家代行の留蔵がやってきて、話しに花を咲かせていた。
「あーよかった。これで、この長屋は安全でございます。
近頃は、かぶき者が、アラシ廻っているようで、
物騒な世の中になりましたからね。
幕府転覆を狙う、由比正雪のような輩も出てますからね」
そこへ、白木屋旅籠の女将が現れ、昨夜の騒動のお礼などを言い。
そっと、教えてくれた。
「おふたりさん。聞いたかい? 備前岡山藩の御姫様が、行方知れずだそうだよ」
ゴクリと、生唾を飲み込む、数馬だ。
「脱藩藩士の噂は、出てたかい?」
それとなしに、留蔵は女将に聞いてくれた。
「いいや、脱藩藩士の知らせは届いていないって、八丁堀の旦那は言ってなすったよ」
そこへ、昨晩の番頭さんが、血相を変えてやってきた。
「どうしたね。番頭さん?」
「それが、板前さんが、倒れて……」
「な、なんだって? どうするの? 本日開店休業するのかい?」
女将は、猛剣幕で、番頭さんを叱咤している。
数馬は、宿屋に行き様子を見た。
板さんは、流行病で床についていた。
「困ったわ。板前さんが流行り病じゃ、旅籠はもう、おしまいよ」
女将は、今度は嘆き出していた。
数馬は、手馴れた様子で襷《たすき》を、回し袖を上げ、
板前さんの前掛けを付けたら、いっぱしの板長の様に、
誇らしく頼れる、心強い助っ人に見えた。
「拙者にお任せくだされ」
数馬は、村正に代わり、出刃包丁を握るのであった。

2−2

裏通りの長屋でも、数馬の評判は駆け巡っていた。
「えっ、お侍様が……」
白木屋旅籠の板場は、見物人で黒集りになっていた。
「うぅーーん。なんて男前なお方なのかしら……」
女将さんは、惚れ惚れするように数馬を見つめるのだ。
そんな旅籠の様子を木戸から眺める侍が一人いた。
なにやら、筆をとり、したためている様子。
番頭さんが、挨拶をするとあわてて立ち去っていった。
「おい、どいたどいた」
白木屋旅籠の板場の入口の野次馬の女房たちを追い払う留蔵だ。
「なんだい。今度だー板さんが、流行り病で倒れたってか?」
「そうなんだよ。留さん、でも、あのお方って、惚れ惚れするねぇー」
女将は、もう、数馬にメロメロになっている。
「おっ、なんてこった、お侍は人切り包丁じゃなく、刺身包丁も達人ってことかい」
数馬の包丁さばきを見て、ただものではないと、溜息をつくのは留蔵である。
江戸前の魚を、三枚下ろしにし、見事な手さばきで、刺身にしていく数馬だ。
「板さんより手慣れているじゃないかい」
女将さんは、どうしたって数馬を離したくない雰囲気である。
「こいつぁー、恐れ入りやした」
旅籠の前にも、向かいの半玉さんやらが、そんな数馬の姿を一目みよう押し掛けていた。
その中に、お珠もいたのである。
大皿に盛られた、刺身盛りはなんとも、旨そうで豪勢で美しかった。
見るも鮮やかで芸術品のように見えた。
女将さんは、震える手でその一切れをむらさき[#醤油]に付け口に運ぶと、
つぶらな瞳を大きく見開き、涙を見せながら一言。
「極上の刺身よ。こんなにうちの魚がおいしかったなんて、知らなかったわぁー」
と、涙ながらに訴える。
半玉さんたちまで、ご賞味にあずかることになり、大変な騒ぎとなりました。
お珠は、数馬を見て、惚れ惚れとした表情をしていた。
「どうしたのよ。お珠ちゃんも、ご賞味にあずかってみたら」
ポンと、押されて上がり框《かまち》[#土間から高くなった上がり口]まで、
出てきてしまった。
「お、お嬢さま……」
数馬は、池田家の姫様である、お珠にひれ伏すのである。
「いいえ、わたしはただのお珠です。お嬢さまでも姫様でもありませぬ」
「し、しかし、着物に家紋が……」
「そ、それでは数馬様は、脱藩藩士であるとお認めになるのですか?」
「い、嫌、それは……。拙者、藩邸には戻れません。
しかし、お嬢様は、影ながらお守りいたします」
上がり框でのやり取りは、誰も気にも留めていなかった。
お珠と、数馬の間に入って来たのは、留蔵であった。
「もう、いいじゃねーか、とにかく、お珠ちゃんも、食ってみなよ」
お珠は、一切れ箸でつまんで口に運んだ。
「美味しい。ほんと、美味しいわ。板前さんがいなくても、大丈夫ね」
「拙者で、お役に立てるなら、なんでもしますよ」
旅籠の女将さんは、胸を撫で下ろして、奥に引っ込んでいった。

2−3

白木屋旅籠では、やじうまの女房たちも引けて、
残ったのは、半玉さんたちだった。
その中の一人が、数馬に声をかけた。
「あの、お侍様。今日、わたしたち、
お仕事、お休みの日なんです。江戸の町の見物でも行きませんか」
急な申し出に、唖然とする数馬だ。
「お珠ちゃんも、一緒に見物に行くんですよ。
お供していただけたら、心強いのですけど……」
「しかし、板さんが倒れて、拙者が料理を作らねば……」
「これから、一時(2時間)ほどなので、女将さんにお願いしてみます」
女将さんは、そんな話を奥からちゃんと聞いていて、大声で答えてくれた。
「いいとも、行っておいでよ。浅草の浅草寺《せんそうじ》の
表参道に多くの床見世《とこみせ》[#商品を売る屋台]が出て、
小芝居に大道芸人がたくさんいて、にぎわっているようだから、
行ってくるといいよ。
お料理の方は、お八つまでにお帰りいただければ、大丈夫だから、
ゆっくりしてくるといいよ」
そう、女将さんが言ってくれた。
まだ、現代の時間で午前九時(9時)を過ぎたばかりで、
八つの午後二時(14時)までは、二時半(5時間)もあるのだ。
お珠を入れた半玉さんたち七人は大喜びをするのだった。
夜は芸者の玉子の半玉さんたちだったが、
日中はやっぱり普通の町娘のように薄化粧で、
着物も普通の柄のないものを着ている。
でも、町中に若い娘の姿は無く、七人もの町娘を連れ歩く、
お侍の一行は、それは目立った。もちろん、その中に留蔵もいた。
「数馬さん、あんたこの門前町長屋に来てからは、
引っ張りだこだな。大名屋敷じゃほんとうに、厄介者だったのかい」
「あぁ。拙者のような時代遅れの者は、出世もできず、
同僚からけむたがられるばかりだった。この村正のように嫌われ者だ」
「数馬さん……。この刀は、あの妖刀、村正でっ」
できたての大橋を渡ると、そこは、浅草寺である。
その門の左右には、もの凄い形相の風神様、雷神様が仁王立ちしている。
「きゃー」と、その恐ろしい形相を見て、
半玉さんたちは、数馬に抱きついてくる。
七人の若い娘に囲まれ、数馬はたじたじだった。
雷門の前の東西の通り、現在は「雷門通り」いう名前が付いていますが、
数馬の時代(1676年)には、「浅草広小路」と呼ばれ、
広い空間が確保されていました。
これは明暦三年(1657年)の大火を契機として、
延焼防止のための火除け地として、空き地が確保されたものです。
真ん中に見えるのが雷門で、大きな通りが広小路です。
浅草とは、武蔵野の国は草深く、武蔵野では珍しく、
隅田川の沿岸の草の浅い場所だったことから、
浅草と呼ばれたと享保十七年(1732年)発刊の「江戸砂子」に記されています。
「若いおなごは、見ているだけで若返るってもんさ」
留蔵は、嬉しそうに半玉さんたちを見ている。
それだけじゃなく、あれやこれやと床見世《とこみせ》に入る、
半玉さんにお小遣いをあげて、ニコニコ顔になっている。
大工の棟梁で隠居の身、お金はありあまっているように見える。
「ところで、留さんは妻子はござらんのですか」
「おいら、ひとりもんなんでさぁー。寂しいもんで、
こうやって若い娘っこの面倒みているってわけさー。
昔、大恋愛をしてそのおなごを、今も忘れることが、
できねぇーろくでなしなんで」
「それは、いつごろの話なんだい」
「おいら、親方になるまではと、頑張ってなった時には、
もう、四十だったな。だから、かれこれ、二十四・五年前のことさ」
「留さんは、六十五才ですか。
そんなに月日が経っても忘れられないものなんですね」
「めんこい、可愛い、おなごだったよ。
おいらは、隠居しても、お世音はその時のまんまだ」
「いい話を聞かせてもらいました」
「それはそうと、数馬さんはどうなんだい。
心に決めたおなごはいないのかい」
床見世などに、行っていた半玉さんたち、留蔵と数馬は、
縁台に腰掛け世間話をしだしていた。

2−4

数馬は、岡山に残してきた、許嫁の顔を思い出していた。
「私には、許嫁がおります。家と家を結びつけるための、親の決めた許嫁です」
お珠はそんな話を耳にして、数馬のところにすっとんでもどってきた。
「なになに、数馬様はそんな人がいるんですか」
詰め寄られ、数馬はおどおどしている。
その顔色で女の感は鋭く反応し、
全員で数馬の腕や腰あたりを、「くやしいー」などと、つねった。
剣の達人も女性陣には、手も足もでないようだ。
とりわけ、お珠は意気消沈している。
「数馬様ったら、もう、心に決めた人がいるみたい」
ちょっと、口を尖らせいやいやをするように、だだをこね出した。
「おいおい、そこの兄さん。見せ付けてくれるじゃねーか。えぇーっ」
チンピラどもが、ガンを飛ばしてやってきた。
女性の少ない江戸の町、七人も引き連れてやってきた侍が、
広小路のど真ん中で、いちゃいちゃしている姿に、
焼餅を焼いた連中が、なまくら刀を持って、取り囲んで来た。
ひとりの侍が、茶店からその様子を、
眺め何やら帳面に筆でしたためていた。
どうやら、旅籠を覗いていた侍である。
「いや、すまなかった。公道のど真ん中で、
とんだ失態をさらしました。気を悪くさせて、申し訳ござらん。
我々、浅草寺にお参りに行きますので、鞘に収めていただきたい」
「ふざけんじゃーねーよ。くぉらぁー。
いい加減、ど頭にくんじゃーねぇーか」
「まあまあ、落ち着いてくだされ」
数馬が、謝っているのに、チンピラはなまくら刀を振り回し始めた。
「きゃー。きゃー」と、半玉さんたちは、
数馬の後ろに身を隠す。
野次馬が取り囲み、ちょっとした見世物に人だかりとなってしまった。
「仕方、ござらぬ。お珠さんたち、
すこし後ろへ。留さん、みんなを……」
妖刀村正を、両手で顔の前に鞘ごと抜き取り、
以前のあの構えをする数馬だ。
この構えは、見たことがない。
普通、鞘を腰に刺しそこから、
刀を抜くのが普通の居合い抜きの構えなのだが、
数馬のその構えは、鞘ごと抜き取り構える。
「この構えは……」
帳面を取っていた謎の侍は、一歩前に乗り出し、
数馬の剣を見てその奥儀を見抜いていた。
「闇鴎流奥儀眠り剣」《やみかもめりゅうおうぎ》
チンピラ相手に、どんな剣を見せてくれるものかと、
興味津々で人ごみの中に飛び込んでいった。
チンピラは、なまくら刀を振り回し、見物人もどよめいている。
数馬に切りかかったその時。
村正の鞘が地に着いた。
チンピラのなまくら刀は真っ二つに切られ、
折れた先は地に突き刺さり、残ったのは刀の鍔《つば》から手元だけだ。
しかし、村正には一つの刃こぼれも見ず、
地についた鞘が倒れる前に鞘に収まっていく。
まるで、数馬が剣を抜いたのは何秒だったのだろうか、
一瞬の出来事だった。観衆からは、大きな拍手が巻き起こっていた。
「おぉーーっ、本物だ。これぞ、本物の剣法だ」
「ちくしょー、覚えてやがれー」
と、お決まり台詞を残して、チンピラたちは逃げ去った。
「数馬様! ステキー!」
半玉さんたちは、もう、全員で抱きつき、メロメロになっている。
「あはは」と、照れ笑いする数馬だが、
それを、見ていた侍に笑顔はひとつもなかった。
「奴め、とんだ剣法を身に着けた物だ。
あれは、一子相伝、闇の剣法。
奴の門下が全員で奴を付け狙っていることだろう。
そんな奴にお嬢様を守れるものなのだろうか」
そう、いいながら、侍は人ごみに去っていった。
岡山藩の上代家老片桐の命により、
隠密に、姫君を見張っていたのであった。
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