作品名:神社の石
作者:紀美子
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 学校が終わったあと、美樹と私はいつもふたりで寄り道をした。校門を出て、目の前の横断歩道を渡り、そのまままっすぐ角にある小さな店に向かうのが日課だった。そこには、かわいいペンにノート、オルゴールやヘアピンやチョコレートなど、その他ありとあらゆる意味のない楽しげな雑貨がところせましと置かれていて、私たちはたいてい、そこでたっぷり1時間はすごした。
「やっぱりこっち買おう。弥生はキティちゃんの方、買うんだよね?」
 美樹が、こっち、と言って手に取ったのはちいさなソーイングセットで、ライトブルーの背景にペンギンのイラストが付いていた。私も美樹もどちらも裁縫は得意ではなかったが、どこにでも持ち歩けて、いざという時に役に立つというソーイングセットのイメージそのものが、私たちを惹き付けていた。もちろん、デザインと見た目の可愛さが重要だったのは言うまでもない。
「ええー、美樹、そっち買うの? どうしようかな、私もそれ買おうかな」
 私がそう言って、同じものを棚から取ると、美樹は少し不機嫌そうな顔になった。
「ふたりで同じもの買ったってしょうがないじゃん。いいよ、弥生がこれ買うんだったら、あたしやめる」
 私は美樹が不機嫌になったのと、同じものを買ってもしょうがない、と言われたことにとまどっていた。同じクラスの坂本さんと珠美ちゃんはとても仲がよく、ふたりは同じデザインで同じ色のピンとバッジを持っている。時々おそろいで付けて来て、となりのクラスの女の先生に、可愛い、とほめられているのを見たことがある。私も4年のときは仲がいいグループのみんなで同じシャーペンを持っていて、グループの誰かに手紙を書くときは、そのシャーペンで書くのが決まりだった。どうして、美樹はいつもみんなと逆のことを言うんだろう?
「なんで弥生って、いつもあたしと同じことばっかりしたがるの?」
 美樹は私が考えていることがわかったみたいに、そう言った。私はますますまごついて、口の中でもごもごと言い訳しながら、持っていたソーイングセットを棚にもどした。
「──だってさ、ふたりで同じの買うのってバカみたいじゃん」
 美樹はさっきよりはやわらかい口調でつぶやくように言った。美樹はいつも私にきついことを言ったあと、それを後悔しているような態度を取った。口に出して謝ることはないが、それが彼女なりの謝罪だった。でも私にはそれで充分だった。そういうことのあと、美樹はたいてい私にとても優しくなった。
「神社行かない?」
 私がそう提案すると、美樹は、うん、と元気よくうなずいた。神社はそのころの私たちのお気に入りの場所だった。私と美樹は店を出て、横断歩道をわたり、他の生徒たちとすれちがいながら、彼らとは逆の方へ向かった。
 たまに来る管理のおじさん以外、その神社はいつも人気がなく、私と美樹はそこでテレビで見たアイドルの振り付けを真似したり、鳥居の上に石を投げたり、庭に置かれた大きな石に座って、とりとめのないおしゃべりをしたりして過ごした。鳥居を抜けて階段をおりた先には、すぐに切れ目なく車が通る道路があったが、神社の中はいつもどこか外の世界とは違う空気がただよっていた。学校で、その神社で夜中に、藁人形に釘を打っている女の人がいた、という噂が広まっていて、そのおかげで、私たちにとっては嬉しいことに、そこに遊びに来る子は他にほとんどいなかった。
 神社の前に着くと、美樹は階段の前にさっと走って行き、道路の端に落ちていた石を拾った。私もすぐに彼女のそばに行って、コンクリートの破片のような白い石を手に取った。神社の中に落ちている石より、この種類の石の方が鳥居の上にのせやすい、というのが私と美樹だけに通用する常識になっていた。
「それ、ちょっと大きくない?」
「うん。割って2個にするの。なんかこれ、なくなってきちゃったね。あたしたちがいっぱい取り過ぎちゃったかな」
 私たちはその種類の石がとれそうな場所をあれこれと挙げながら、階段をのぼって鳥居をくぐった。神社に着くと、いつものように邪魔な荷物を地面に放り出し、身軽になった私と美樹はとくにあてもなくそこらを歩きまわった。周囲にぐるりと植えてある木の間から、下の道路を通る車をながめているとき、美樹がふと思い出したように言った。
「このあいだね、なっちゃんに弥生と神社に行ったって言ったら、なんであんなとこ行くのって言われた」
「なっちゃん、怖い話きらいだもんね」
「でも、みんなここ来るのいやみたいだよ」
 美樹はそう言って、私をからかうような目で見た。 
「弥生だけだよねー、ここ来るの好きなの。やっぱり弥生って変なやつ」
 私は笑い、美樹の肩をぐいと押して抗議した。
「美樹も好きじゃん、ここ来るの。私より美樹の方が変」
「弥生の方がぜったい変だって」
「ちがう、美樹の方が変」
 とつぜん美樹が笑いながら、弥生の方が変!と言い返して、私の腕にパッとさわって走り出した。私もすぐに彼女を追いかけ、美樹はきゃあきゃあと叫びながらそこら中を逃げ回った。5年生にもなると、特に女子はこんな遊びをしなくなり、帰り道でかけっこをしたり、教室で鬼ごっこをしたりする私と美樹は、みんなから子供あつかいされるようになっていた。みんなは誰と誰が付き合ってるとか、誰々の好きな人は何組の誰だとかそういう話に夢中で、私はそんな話の輪に入るとたいていすぐに退屈してしまった。私にも好きな人はいたが、その「好きな人」はだいたいいつも4、5人いて、月が変わるごとにそのうちの誰かに興味を失ったり、新しい人が加わったりして、それは恋愛というにはあまりにも幼いものだった。
 たぶん、私はそうやって着々と大人になっていくクラスメートたちに、ばくぜんとした恐怖を感じてもいたのだろう。恋愛に憧れる彼女たちの話を聞いたり、中学に行くことを考えるたび、私はいつも胸に重いものがずしりとのしかかってくるような気がしていた。美樹も私と同じ気持ちだったのかどうかはわからない。ただ私の目には、落ち着き払った態度で私たちをながめるクラスメートより、美樹の方が何倍もおとなびて見えた。
「石投げする?」
 とつぜん美樹が私の方を振り向いてそう言った。まっすぐこちらを見る彼女の表情に、また自分の考えていたことがわかったような気がして、私はちょっとどきっとしながら、うん、と答えた。そのころ私たちは、願いごとを言ったあと石を投げて、鳥居の上にのせることができたらその願いがかなうという、昔ながらの遊びに夢中だった。神社の周りはいつも湿り気を帯びていて、ひんやりとすずしく、その雰囲気は迷信めいた言伝えに信憑性を与えるのに役立っていた。
 私たちは鳥居のところに戻り、集めてあった石をあれこれと品定めした。先に選び終わった美樹がさっきの白い石を地面に叩きつけて割り、そのうちのひとつを拾って、鳥居の上に狙いを定めた。
「日曜日にお父さんの家に行かなくてすみますように」
 美樹はそう言うと、男子のようなしっかりとしたフォームで一投目を投げた。美樹の石はまっすぐ鳥居の上に向かったが、おしいところで右にそれ、そのまま向こう側にぽとんと落ちた。
「あ〜あ、今のぜったいのりそうだったのになあ」
 美樹は悔しそうにつぶやいて、次に投げる私のために場所をゆずった。私は規定の位置に立ち、石を握ったままちょっと考え込んだ。
 今日の願いごとはなんにしよう? 運動会のダンスの練習で、白木さんと同じ組になりませんようにとか? 誕生日に新しい自転車がもらえますように、にしようかな。でも、白木さんとはぜったい同じ組になるに決まってるし、誕生日はずっと先だし。どうしよう?
「願いごとないの?」
 美樹にそう聞かれて、私は、うーん、とあいまいに答えながら彼女を振り返った。本当は美樹と一緒の中学校に行けますように、というのが私の一番切実な願いごとだった。でも、それが無理なのは私も美樹もよくわかっていた。校区の決まりで私は桐島中学、美樹は相徳中学に行くことになっているからだ。中学に行くまでにどちらかが引っ越せば一緒の中学に行けるかもしれないが、私のうちは去年家を建てたばかり、親のいない美樹は学校のすぐ近くにある施設で暮らしていて、引っ越しなんてどう考えても無理だった。
「いいや、今日もこれにする。妹が産まれますように」
 私は結局、すでに鳥居の上にのせるのことに成功したお願いごとに決めて、石を投げた。石は鳥居のてっぺんの角に当たり、放り出されるように地面に落ちた。
「あ〜だめだ」
「いいじゃん、もうそれ、叶うことに決まってるんだから」
 美樹は石を拾いながらなぐさめるように言った。私はちょっとスキップしながら脇にどいて、鳥居のどこかに狙いをさだめている美樹を見た。日焼けした片腕を、スポーツが得意な子特有の優雅さで背中の後ろにそらし、黒目がちで大きな目は真剣に鳥居を見上げている。美樹は私がそれまで会った中で、いちばんかっこいい女の子のひとりだった。
「お父さんの家に行かなくてすみますように」
 美樹はさっきと同じお願いごとを言って、一拍置いてからさっと投げた。こんどは石はぽーんと上に高く舞い上がり、鳥居の真ん中に着地した。だが、美樹と私が歓声を上げたそのとき、鳥居にのっていた他の石が美樹のにはじかれ、私たちの足下にぼとっと落ちた。
「ええ〜、どうしよう」
 美樹はすこしためらいがちに歩み寄り、落ちた石をこわごわと見た。私はひどく怖くなり、片手で自分の肘をぎゅっとつかんだ。
 鳥居から他の人の石を落とすことは、その人の願いごとを台無しにすることであり、それは私たちにとっては呪われた、恐ろしい行為だった。私と美樹はしばらく無言で、その灰色の石を見つめていた。そうしていると、地面に落ちた石の中からその叶うはずだった願いごとの魂が流れ出て、ひんやりとした空気の中に少しずつ消えていくのが見えるような気がした。
「もう、帰ろうか」
 美樹の声はいつもの力強さがまったくなかった。私はおそるおそる美樹を振り返り、彼女の顔が日焼けの色の下で真っ青になっているのを見て、ぞっとした。
「うん、帰ろう。美樹、うち来ない? 今、うちたぶんフルーチェあるよ。」
 私はそう言って、自分たちの荷物が散乱している場所へ走っていった。荷物をまとめながら、なにも答えない美樹の顔をうかがうと、彼女は私の方にやってきて、ぽつりと言った。
「ごめん、今日はもううちに帰る」
 美樹が石を落としてしまったことを気に病んでいるのだと思っていた私は、あわててなんでもないような態度を装った。
「えー、どうしたの? べつに大丈夫だって。私もいっぱい人の落としちゃったことあるけど、ぜんぜんなにもなかったもん。中村くんも一回落としたって言ってたけど、べつにたたりとかなんにもなかったって」
 美樹が顔の前の髪をはらいながら私を見た。その目はもうおびえてはいなかった。ただ、悲しそうなだけだった。
「うん、私もべつにたたりとか信じてないよ。今日、5時にお父さんが来るから、もう帰っといた方がいいかなと思って」
 お父さんが来る。私は胸の奥を冷たい指でぐっと押されたような気がした。美樹の言い方は他の子が、お父さん、という言い方とはぜんぜんちがっていて、まるで、校長先生、とでも言ってるようなよそよそしさがあった。最近、急に姿をあらわした父親に関して、美樹はほとんどなにも言おうとしなかった。だが、今日のように、お父さんが来るから、と言うときの口調や表情で、美樹が相手をどう思っているかはなんとなく伝わってきた。
「そっか。じゃあ、あした、学校終わったらうちに来る?」
「あしたって、おばちゃんいる日だっけ?」
「うん、いる日だと思う。美樹が来るって言ったら、ケーキ作ってくれるよ、たぶん」
「やったー!」
 美樹は完全に元気をとりもどしたようで、カバンをふりまわして叫んだ。長い階段を降りきって、闇と神秘の世界から日常の風景の中に帰ってきた私たちは、もう落ちた石のことなど忘れて、明日の予定をあれこれと考えながらもと来た道を歩いていった。
 でも、石の方は私たちを忘れていなかった。ばかげた考えだが、私はいまだにそう確信している。正確に言うと、石が忘れていなかったのは私たちではなかった。石から流れ出したなにかは、鳥居の上から石を落とした張本人である美樹のまわりを、そのあともずっと取り巻いていたのだと思う。
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