作品名:平安遥か(T)万葉の人々
作者:ゲン ヒデ
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            吉備真備の講義
その年の晩秋、奈良京の朱雀門の南にある大学寮の木々の紅葉は散り終わりであった。
 大学寮講堂の学生達を前にして、文章博士、菅原某がいう。
「本日はたまたま、吉備(真備)肥前の守様が参られている。皆知っておるように先生は、唐での留学18年、数多の学問を修められ、帰朝後は東宮学士として今の陛下の家庭教師を務められた。当代最高の碩学者である。この度、遣唐副使として、再度、唐に渡られる。知ってもおろうが、渡航は難破することが多く、命がけである。で、先生は遺言のつもりで、国の将来を託す諸君等に史記の講義をしたい、と申し入れなされた。今、授業が終わった後だが、帰らずに受けてもらいたい」
 
 学生達はざわざわ噂話をし始めた。
 横の者が年下の少年に話し出す。あの山部にである。
「おい 山部、吉備真備が九州の国司にされていたのは、帝に入れ知恵されるのを 紫微令(藤原仲麻呂)様が煙たがっての左遷だろう、今度は遣唐使で、行きか帰りで難破して亡くなりゃ幸い、と命じたのではないか。お父上からそんな話聞いていないか」
紫微令の意向で、山部が入学したことへの連想で聞く。
「さあ、父は役所での事は全然話しませんよ。几帳面で真面目な小心者を絵に描いたような官僚ですから」

【実は、白壁王は壬申の乱の敗者の天智系の皇族であり、皇族としては傍系となり、後に、本系の天武系の皇族を差し置いて皇位を継ぐとは、当時誰も予想だにしなかった、地味な官僚であり、皇女の婿になっても、目立たないような生活を続けていた】

「しかし、宴会で酔うと面白い事をするではないか。我が父が、思い出し笑いをしたぞ」
 別の者も言う「そうだそうだ、腹踊りが逸品にうまいそうだ」
 山部少年うんざりした顔で
「御正妻様に叱責されて、馬鹿な踊りは止めたですよ」
 周りの者は〈叱責〉と言う言葉に驚く。
 妻が主人より偉いのである。
 王は、何故かしら正妻を娶った頃から、腹に墨で顔を描いて踊る、あの腹踊りを宴会でしだした。しばらくして正妻の耳に入り、止めさせられたのである。

 正妻である内親王は、無事に男の子(他戸王)を産んでいる。やはり山部は、長男だが庶子の立場になり、早く官途に着くために大学に入った。
 紫微令の意向により、大学の官吏試験での任官が、成績の如何に拠らず約束されていたから、気楽であるが。

 (話を戻す)
 やがて講堂では、吉備真備が教壇に立つ。56歳の円熟した地方行政官は、頭巾からこぼれた髪に白髪が混じって、精力的な四角張った感じの顔をしている。
 史記の劉邦と項羽の、決戦(垓下の戦い)の四面楚歌の話を始めた。
 訓読、解説の後、情熱を傾けて劉邦の勝因、項羽の敗因を論じ、為政の心構えを結んで終えた。名講義といえよう。
 終わると、山部少年が、質問を始めた。学生は皆黄色い朝服をしているが、少年は菜の花で染めた渋い黄色である。当時は官位に拠って色が決まっている。母親が無位を示す黄色から凝って選んだのであろう。
 真備はその少年に、なにやら不思議な感じを得た。今で言うオーラか。
「吉備先生、双方の兵の数は何人くらいでしょうか」
「そうだねえ、兵数は作戦上誇張で伝わったままの数字が多いので、だいたい劉邦側は20万としたら、項羽側は半数の10万位かなあ」と真備は答える。
「では、双方の楚出身の兵は」と質問され、
「劉邦側は2万、項羽は5万だろう」と言う。
「先生、劉邦側の楚の兵は、100人以下で済むのではないですか。1人ずつの楚の者が、そうだなあ200人以上の他国の者に、楚の同じ歌を習わせて、夜中いっせいに2万人が歌えば、騙された項羽側の兵は、逃げ出す。計略に項羽は負けたのではないですか」
 吉備真備は、驚く。慌てて開いていた史記の巻物の文章を追った。
 うなりだす。しばらくして、照れくさそうに
「ははは。うかつだった。負うた子に道を教えられただねえ。君は誰かね」
「山部です」
「ありがとう、山部君。孫子を修めたつもりが、まだまだわたしは未熟だ。史記には記されてないが、軍師、珍平の策かな。君の言う通りだろう。もっと研鑽しなければ。諸君らも一生勉強だと思って、これからの長い人生を頑張ってもらいたい」
 さわやかな表情で話を終えて、教授達の控えの建物へ向かう。 
 
 学生らは皆急いで帰り準備をする。何人かの仲間の1人が誘う
「おい、皆、歌垣(現在の秋祭り)に行かないか」
 仲間達は同意した、が山部は遠慮する
「すまんが、調べ事はあるんだ」
「あの、市原王様の蔵書の調べ物か。出世には役立たぬ技術書だらけのどこが面白いのだ。変わってるなあ、お前は」

 学生等の散った頃、控えの建物の中で吉備真備を囲んで、教授たちが談話する。
 彼らは皆真備の薫陶を受けた弟子である。
 肌寒くなっているので、暖めた甘酒のような酒を飲んで人心地である。
 真備に、菅原某が恐る恐る
「あの学生の質問にお気を悪くなされたでしょう。せっかくの門出の前の講義なのに」
「いやいや、明るい光が、あの少年から私の方に射し込んだような気分になった。私が日の本に帰って来られると自信がわき起こるような…。なんだろあれは…。あの少年、たしか山部と言ったが、姓を言わなかったから、皇族かな。何者だね」
「ああ、あれは白壁王の長男ですよ」
「白壁王の…」しばらく考え
「ああ、井上内親王様より以前からの夫人の御子か、さぞかし孫子などの兵法を学ばれただろうなあ」
「それがですねえ、あの少年がここに入学したのを、聞き付けた坂上犬養(後の田村麻呂の祖父)老が、押し掛け講義をなされましてなあ、孫子を今日の先生と同じくらい熱弁されたのですが、終わったらあの山部に近づき、兵法はどうですかと、聞くと、『孫子や六韜を一通り読んでみましたが、わずらわしい学問、私には合いません、軍の指揮官にでもなったなら、衛青や霍去病を探し出して任せます』とですよ。犬養老は、『さすが我ら百済の者の希望のお方だ、王者の気風がある』と、にこにこして帰っていきましたがね」

【衛青や霍去病とは、漢の武帝が見いだした将軍で、叔父と甥である、衛青は元々奴隷の身分であった。踊り子の姪が玉の輿で、武帝の皇后になった累で出世した。漢の強敵の匈奴を壊滅し追い払うという、歴史を塗り替える功績を立てるが、2人とも正式な兵法を学ばなかった】

「ほう、なるほどなあ王者の気風か、だが、なぜ百済なのかな」
 一人の博士が言う。彼は百済の帰化人の家系である。
「母親が、たしか新笠(にいがさ)、その父が和乙継(やまとのおとつぐ)で、百済の武寧王の血筋ですよ。その祖父が、あの少年が幼い頃、あちこちの百済系の有力者や有名人に引き合わせまして、この子が将来出世するのに援助してもらいたいとねえ、まあ、我ら百済系の者の間では有名なお子ですが、王者の気風でも、天智系ではねえ。せめて、天武系の皇族のお子だったら、と思いますがねえ」

 真備は、山部についての話題を終えても、何かしら納得出来ない気分が残った。後に、自分が推挙する皇族を退けられ、少年の父、白壁王が即位し、この少年が後を継ぎ、桓武天皇となる予感が、起こりそうで起こらないままだったからか。
 

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