作品名:私説 お夏清十郎
作者:ゲン ヒデ
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宝永七年(一七一〇)春、備前の国(岡山県)小豆島・福田港の一杯飯屋で、ばあさんと、十二、三歳の孫が、茶漬けを食べていた。
このばあさん、孫が岡山城下へ丁稚奉公に行くのを、見送りに付いてきている。
居合わせた大坂(阪)からきた商人が、店の主(あるじ)に、大坂の様子をいろいろと話している。聞くともなしに、話が耳に入る。
商人の話題が、今評判の人形浄瑠璃に触れる、
「お夏、清十郎の話から、近松門左衛門の作で『五十年忌歌念仏(ごじゅうねんきうたねんぶつ)が去年、初演されてなあ。えらい人気で……」といい、見た浄瑠璃の粗筋を教えた。
飯代を払って、旅人が出ていった後、ばあさんらも外へ出た。
「ばあちゃん、ばあちゃんは、姫路から来たんだよねえ」孫がきいた。
「そうじゃ」
「五十年前だと、同じ名前の、お夏という人と同じ年ごろだけど、そんな話、ばあちゃんから聞いたことがないけど」
「わたしゃ、あんな悲しい話は、思うのも、言うのもいやじゃ」
「ばあちゃんは、播州姫路十五万石のご重役、村上さまのご用人の娘だろう。その、お夏や清十郎を見たことがあるの?」
「わたしゃ、外で生まれて育ち、父に引き取られたから、あの辺のことは、知らん。そんなことより、早う、船に乗れ」
孫の乗る船を、見送り終えると、座りこみ、遠い姫路の空へか、海の上を見上げ、お夏は、ため息混じりに思う、
(ああ、清十郎が亡くなって、もう五十年か。あの騒ぎで、世間を憚(はばか)り、この島に嫁に来たが……、噂に聞く、井原西鶴の好色五人女では、清十郎は、女好きの放蕩息子にされ、今の、近松とかの人形操りでは、聞いたこともない同輩の悪人の悪だくみで、人殺しをして、私は尼になるとか……。尾ひれが付いて、本当の清十郎のことが知られじまいか。村上のご隠居さまが、言った通り、目をつぶれば、照れくさそうにしている清十郎の姿が出てくるが、ああ清十郎、……清十郎……)
嘆いたお夏は、昔を回想しだした……
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