作品名:ここで終わる話
作者:京魚
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運命と言うレールは、本当によくできている。
まっすぐで誰とも交わらないように見えて、実は本人にすら気づくことができないほどわずかに弧を描き、いつかは誰かと交わるようにできているものだ。
その出会いがいつくるのかはもちろんわからない。
だってレールにわずかな反りがあることすら、知らないのだから。
しかしそれはやがてやってくる。
僕の場合その出来事は、今なお僕の胸で光る金のボタンだった。
僕は階級が上がったことで、よりによってニヒダ国の核なる、最も戦力を有するニダ軍へ配属される事になった。
国内でも最大の施設。ありとあらゆる物がここには揃っていた。
突然の入隊に右も左もわからない僕に用意されていたものは、何もないただの空席だけだった。
ここでは全て自分で揃え自分で知る必要がある。入隊後すぐにぶつかるこの多大なストレスに、早くも敗れる者も少なからずいるらしい。ここには高年層のベテランか若年層のエリートしかいない。うまくチャンスを掴み成功させた者は更に上にゆき、失敗した者はいつまでもここで並の仕事をこなしていく。ここは言わば出世の糠床だ。
ようやく全てが揃い始めたころ、早くも僕に一世一大のチャンスがやって来た。これを素直にチャンスというべきかと言われれば頷き難いことだが、この異質な空間に耐えるために費やす精神は計りしえない。
しかし僕に用意された出世コースは、あまりにも受け入れ難いものだった。それは僕の存在と必要さの薄さを明確に示していた。
コンコン
「入りますよ…」
五度目のノックに応答がなかったので、一様断りをいれてから入室した。中は薄暗く少々埃っぽい。ぎしぎしと腐ったフローリングが悲鳴を上げる。
昔、人里離れた傾斜の緩やかな山のなかでひっそりと暮らす人々がいた。ウルボスと呼ばれる種族だった。
彼等は賢明でそして何より強かった。それもそのはず、彼等はあのルッカレイヤターカが最期を迎える直前、離脱して生まれた騎士達のあつまりでできた種族なのだから。
一番奥の部屋から細い光りが漏れているのに気付いた。タンラートは足音を気にしながら近付いて行くと、その部屋から何か啜り泣きのような音が聞こえてきた。
ドアの隙間から覗いてみると、体格からして男だろう人物が、床に座り込んで泣いていた。年は二十半ばくらいで、想像より遥かに若かった。その美しいと表現してよい風格の更に輝きを秘めた硝子玉から、零れた滴が頬を伝い床に染みを作る。
胸に何かを抱いている。白い布のようなものだ。同じものが彼の膝辺りに乗っていて、それは動いていた。どうやら鼬のようだ。抱かれた方はぐったりと腕から力無く垂れ下がり、死んでいる。
僕はその異様で摩訶不思議だけれどどこか神秘的なその光景に、目を奪われ、無意識の内に扉を全て開き切りそれを高い位置から見つめていた。
「どちら様ですか」
溢れた涙を拭おうともせず僕を振り返ろうともぜずに、弱々しい口調で彼は言った。
胸に押し付けるように抱いた鼬が淋しくないように、その力は弱めない。
「あなたにお願いがあって参りました。単刀直入に言います。僕等の部隊に加わってほしいんです」
軽い自己紹介の後、僕はすぐに言った。突然上がり込んだ不信者に、彼は怒りを示すでもなく熱い茶を出してくれた。薄暗い光りの下、僕は古いテーブルの前に座った。体の角度を変えるたびに椅子が音を立てる。
「あなたはウルボスの正当な継承者であり唯一の生き残りです」
「よくお調べですね」
「僕に発言する権利は与えられていないんです。あくまで遣いできていますから。詳しいことはわかりませんがあなたをお連れするために来ました」
用意して来た言葉を思い出しながら言う。
「浅はかな知識ですがこれは確かです。あなたにはルッカレイヤターカの血が流れている。だから我々はあなたに是非協力してほしいんです」
「僕に一族の血縁を求めるのならそれは間違いだ。僕にそんな力はありません。それにたとえ力があったとしても悲惨な戦で捨て駒同然に扱われる一戦力として扱われるのはごめんです」
彼は決して責めた口調ではなかった。しかし心に鋭い刺が刺さって抜けない気分だ。
「そう言われては返す言葉はありません。しかしあなたの力がどうしても必要なんです」
僕は頭を下げた。机に額がつくくらい深く。
この時、僕は正直恐かった。だからわざと視線を反らすために頭を下げた。
ウルボスの一族は大変気性が激しいと聞いていた。一度意見が食い違えば仲間同士でも争いを始めるらしい。最強の力を有する彼の機嫌を損なうのが恐かったのかもしれない。
しかし次の言葉に僕はあまりにも自分の考えのなさを恥じた。
「ありがとうございます」
「…え?」
僕は頭を素早く上げた。汗で髪が頬にへばりつく。
彼は優しい瞳を揺らしながら笑っていた。とても似合う満面の微笑み。
「ありがとう。話し合いでとお願いしてくれたんでしょう」
「…」
「あなたはとても優しい方です」
「…」
僕は今になって後悔し出した。今更遅いなんてわかっている。喉に異物を感じ何度も飲み込もうとしたが、そんなもの元々ありはしないのだから、不快感は消えない。
「違います。僕はただ命令で」
「あなたは上に行くべきです。例えそれをあなたが望まなくとも。いずれあなたの地位によって、多くの命が救われる」
そう言って彼は白い布の上に横たえた鼬を悲しそうに見た。側ではもう一匹の命あるものがそれを懸命に舐めていた。
「そろそろ出ましょう。あまり待たせてはあなたが危険です。僕ももう一人老いを待つのは疲れた」
「あ…」
彼は知っていた。僕がここを訪れたことによってその先がどうなるか。
知っていたんだ。
だから僕に礼を言った。
「日の光りを浴びるのは何年ぶりだろうか」
その言葉に説得力があるように、彼の肌は白く透き通っていた。
本来この仕事のプログラムに彼の軍隊への勧誘などなかった。むしろ今回のこの仕事は、彼の家に爆薬を投げ込み即死させる。つまりたった一人の敵の生き残りを殺し紙上にウルボスという文字を消すためだった。
しかしあまりの悲惨な内容に、タンラートが最後に彼と話をさせてほしいと直談判をした。なぜ話す必要があったのかはもちろんわからない。
でもどうしても、なにか自分のなかで腑に落ちないこの仕事へ対しての抵抗がこのようなかたちであらわれたのかもしれない。
だが彼と会って彼の容姿を一目見てわからなかった感情が少し理解できた。当初の気持ちとはまったく関わりがないのかもしれないが、タンラートは彼を一目見たとき、普段外の世界を目にすることの出来ない彼に、最後に日の光りを浴びてほしいと純粋に思ったのはたしかだった。
「最近はあたたかいし、今日は雨も降ってないから気持ちがいいでしょうね」
木の軋む音を立てながら彼が席を立った。すると生きた鼬が待っていたかのように顔を上げ、足を伝い彼の肩に乗った。
「ここでお別れですね。あなたとは、もっと早く知り合いたかった」
彼は小さくさようなら、と言うと部屋の扉を開けた。僕も椅子から立ち上がり彼を追う。勢い誤って椅子が倒れてしまった。
扉を潜り廊下を突き当たりまで走る。彼はそこから見える玄関のドアノブに手を伸ばしていた。
「ウルボスの生き残りタスカ=ジジャン。天に待つ仲間の元へこの足で自ら歩むことを誓う」
「まっ…!」
言わなければよかった。
頼まなければよかった。
作戦通り、爆薬を投げ込んでもらえばよかった。
僕は手を力いっぱい伸ばし彼を掴もうとした。しかし一歩及ばず、彼の体は開かれた扉から眩しいほどに降り注ぐ光りに吸い込まれた。
「やめろ!行くなぁぁ!」
そう叫んで、僕の意識も途切れた。
そのほんのわずかな瞬間に、彼は言った。
キミ一人をおいて先に行く僕を どうか許してくれ
先に行った僕の大切な仲間は、僕を歓迎してくれるだろうか。僕の罪を許してくれるだろうか…
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