作品名:海邪履水魚
作者:上山環三
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ガリガリと砂を噛む音をたてて引き戸が開けられる。
日中と言うのにカーテンが掛かり、薄ぐらいその部屋の中へ誰かが入りこんでくる。
「誰かいるの!? 悪戯は止めなさいよ・・・・!」
誰もいないはずの体育教官室に、緊張した声が響いた。「いるんでしょう・・・・! 出てきなさい!」
入り口脇にある電灯のスイッチを入れて、沢村は体育教官室へ上がる。が、やはり、部屋の中にはやはり誰もいない。
普段の彼女からは想像もできないような物凄い形相で、沢村は部屋の中を見回す・・・・。
「――先生」
「ッ!!」
背後から声を掛けられ、沢村は一瞬にして振り返る。
「あなたは――一ノ瀬さん・・・・!?」
「はい」
と、綾香は眉一つ動かさずに短く応える。そして彼女の後ろには大地がジッと沢村を見据えて直立している。
「やっぱり、あなただったの? どこかで聞いた声だと思ったわ‥‥!」
沢村が怒りに震える声を絞り出す。その凶悪な視線を、鉄仮面は涼しく受け流す。
「・・・・そうですか」
と、綾香は笑みを浮かべてスッと前へ歩み出る。
「一体どう言うつもり? 先生を呼び出したりなんかして・・・・!」
語気強く、顔を赤らめる沢村。しかし、綾香もそれに負けないくらい厳しい表情と視線で目の前の教師を突き放すように見返し、驚くほど冷ややかな声で沢村に告げる。
「先生、あなたがプールで起きた一連の事件の犯人です」
「‥‥っ!」
「プールに結界を張ったのは『彼女』によって事件の発覚を恐れたからですか・・・・!」
「な、何を言ってるの。私にはさっぱり分からないわ!」
反発する言葉とは裏腹に、じりっと一歩下がる沢村。本人は気が付いていないのだろうが、綾香から見ればそれはただの虚勢にしか過ぎない。
「事件って何よ。プールに魚を放したのは清川でしょう! 犯人はウチの部員じゃない! 全くいい迷惑だわッ・・・・!!」
「・・・・先生、知ってたんですか!」
と、大地が口を挟む。
「――わ、私は何も知らないわよ!」
大きく振り払われる手。「全部アンタたちが勝手に調べて勝手に騒いでるだけじゃないッ!!」
沢村はいよいよ躍起になって喚き散らす。反対に綾香はますます冷めていく――。その両極端な様子が、後ろから見ている大地にはよく分かった。
「先生・・・・」
ほとんど動かない綾香の口からは、責めるでも諭すでもない言の葉がしずしずと吐き出される・・・・。
「にわか仕込みの魔術は身を滅ぼします。ここまで騒ぎを大きくしたのはあなたです」
「・・・・だ、黙りなさい!」
ついに教師は絶叫する。「私が何をしたって言うのよ!」
その言葉に、綾香は微かに顔を曇らせる。
「言ってご覧なさいよ! 何か悪いことをしたッ!?」
そして目を閉じて小さく首を振ると、彼女は沢村を見据えて徐に口を開いた。
『・・・・先生』
「・・・・っ!?」
凍り付く教師。
『覚えていませんか・・・・』
沢村が大きく息を呑む。小刻みに震える全身。瞳は大きく見開かれる。
「みッ・・・・」
空気を吸うと同時に発せられる声は後に続かなかった。沢村の口から、二度と呼ぶはずのない、封印した名前が、もうそこまで出掛かっている。
『沢村先生』
りん、と。もう一度、綾香――いや、その声は彼女のものではない――は呼ぶ。
「そんな! そんなっ・・・・!」
みるみる吹き出る滝のような汗。沢村は更に後ずさる。もう二度と聞く事のないその声を耳にし、彼女は狼狽いや、恐怖にその身を捕らわれる。
『いいえ・・・・。私です』
「止めて――、来ないで!」
無言で綾香は一歩前へ進む。
「いや! ――許して!!」
恐れをなして後退する沢村。相対する二人の距離は縮まらないが、彼女の決壊がもうすぐであることは大地にも解った。
そして――
「み、美波子ッ・・・・!」
ついに沢村は崩れるように床にうずくまるとその名を呼んだ。髪を掻きむしるように両の耳を塞ぐ。
聞きたくない――!!
そして嗚咽の声、声、声――。
ややあって、張り詰めていた場が解放される――。
綾香の全身からも力が抜け
「‥‥ふぅ」
と、ゆっくり且つ大きく息を吐きながら、彼女は立ち竦んだままの大地を振り返る・・・・。
――笑みでも浮かべていれば、と言いたい所だが綾香は相変わらずのクールビューティー。ともあれ、今やっと彼が入りこめる程の間ができたらしい。
大地は泣き崩れた沢村から未だ注意を逸らさず、目線で綾香に説明を求める。
「待って、少し休ませてくれないかしら・・・・」
しかし、彼女は側にあったイスへどっと腰掛けて顔を上げた。
「それと山川くん、雲行教頭先生に電話を――」
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