作品名:私説 お夏清十郎
作者:ゲン ヒデ
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 話は前後するが、前の年、万治元年十月二十八日に、城主の世子・榊原政房・十七歳が、姫路に着いていたのである。城主見習をさせるための、幕府の配慮である。この後、父と子が交互に、江戸と姫路を行き来するのであるが、この初めの姫路行きに、本人は、気が進まなかった。その理由は……。
 初めて姫路に来たので、家来たちが、政房に領内各地を案内する姿が、その頃から、度々見られていた。

 その日、但馬屋が娘を連れて、会所に着いたのは、五つ半(午前九時)であった。が、町役は誰も来ていなかった。聞けば、五つ(午前十時)に集まり、四つ半(午前十一時)までに、若殿が来られる手はずだった。

(会所……町方役人(町人の代表)が集まり、城方の役人と会合を行う建物で、総社の東鳥居の道を隔てた、東にあった)

「若殿さまの予定が、二転三転したそうだ。何故か、私の所へは、朝の連絡が、忘れたらしい。まあ、早いからいいか。先に、お社に詣っていこう」父は、木の鳥居を見て言った。
 
 その頃、お世継ぎ・政房・十八歳は、お忍びの若侍の姿で、南の総社参道の石鳥居の説明を、地元の家来から聞いていた。
「七年前、この御影石の大鳥居を、大殿がご寄進なされた時、城下の者たちは、見上げて、仰天しました、……」
 説明が続くが、若殿は、説明に興味なさそうに、輝く御影石に刻まれた、「姫路城主 従四品 式部太夫 源朝臣忠次」をじっと見ていた。

 見飽きたのか、ぶらっと参道の中へ動くと、ちょうど米俵を積んだ荷車が来て、若殿との衝突避けようとして、方向を変えるが、石畳からはずれた。片方の車軸が折れ、米俵が落ちる。

「こら、若侍、危ないじゃないか。まったく……若殿さまの参拝までに、済ましておけと言われたのに、ああ困った」と落ちた米俵を見つめる、荷車引き。
 その当人の若殿は、平謝りに謝った。
 
 参詣者で力自慢そうな者たちが、見かねて、米俵を正門を越え、お社奥の米倉へ運び始める。
 で、出くわした、但馬屋とお夏は、
「おお、手伝おう」
「わたしも手伝うわ」
 
 家来が、運び人に、懐からだした小粒銀を渡して謝っているが、若殿は運ぶ人たち一人一人に頭を下げ、(かたじけない)の感謝の言葉を言っていた。但馬屋にも、そうしたが、お夏を見て、不思議そうに見つめた。

 お夏のほうが、若殿にちょこんと頭を下げ、道に転げた最後の米俵を、抱え上げる。但馬屋は二俵を左右両手に抱えているが、お夏は一俵である。が、皆は、お夏の姿に驚いて、歓声をあげる。

 
「あの町娘、ひ弱そうな身体で、よく俵を持ち運べるものよ。町家の娘は、皆、ああなのか?」若殿は、あ然と見ていた。
 案内役の地元の徒目付は、
「そのようなことはありませぬが、すごいですなあ。あれ? あの娘……、たしか、前に
いる米問屋、但馬屋の娘ですなあ……ああ、それで俵運びが出来るのでしょう」
 
「わが妻も、あのくらい丈夫であれば……。我が母もだが、大名の娘は、何故か短命よなあ。町娘か……」憧れたような目つきで、お夏の後ろ姿を追う。
 
 江戸で病に伏している、おさな妻を残しての、姫路入りであった。医師からは、治りそうもないと聞かされていたので、あの町娘くらい元気ならば、と願ったのだが、横にいた側近は、妙な気分におそわれ、違う解釈をした。
 それから城に戻ると、この徒目付に、あの娘を若殿の側室に出すよう、但馬屋に伝えろ、と命じてしまうのである。

 九左衛門とお夏が、総社の境内から出ていくのを見終わり、若殿は、
「城に戻る」江戸からの知らせが来ていないか、心配な気分が襲ったのである。
 役人の一人が、
「えーと、総社で着替えをなされて、玉串を捧げ、終わると、そこの会所で、町役が拝謁する予定ですが」
「気分が悪い、取り止める、次回にせよ。町役にも帰らせよ」
「はは」その役人は、会所に行くと、入り口に入ろうとした九左衛門親子を見つけ、若殿のご予定が変わった、と最初に告げたので、町役たちと会わず、但馬屋は娘と帰ってしまった。
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