作品名:算盤小次郎の恋
作者:ゲン ヒデ
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 またも考え込んでいた家老は、ちらっと八重を見て、
「それにしても、伝左衛門、渡した帳面は、その方だけが目にすべき物。家族ならいら知らず、他人に見られるとは、軽率であろう」
「ああ! ……いえ、小次郎を婿に迎える心つもりをしておりまして。なにせ、そこの、武三郎殿との試合の後、どこからも婿の話は断ってきまして、小次郎でもいいかと……」
 
 家老の誘い水に、慌てて伝左衛門が、苦しい言い訳で乗った。ところが、横で聞いていた武三郎が、騒ぎ出す、
「大橋殿、おかしいではござらぬか! 八重殿は、自分より剣の腕がたつ男を、婿にすると言われたぞ。算盤ではござらぬ、剣ですぞ! 試合もせずにすんなりと、小次郎とやらが、入り婿に入ったら、拙者の立場はどうなりましょう!」
「まあまあ、武三郎」家老は抑えようとしたが、
「いえ、言わしてもらいます。拙者の武士としての面目、丸つぶれではございませんか!」
 一目見て、気に入った娘だが、江戸生まれの男意気で、婿入りを断ったはずが、よりによって、あんな変わった若造に奪われるとは、と腹立たしい気持ちになったのである。
 八重は下を向いてしまった。

「そうなさるなら、拙者、あの者を討ち果たして、切腹します」
「武三郎、それでは、あの者を剣に怯えるようにした、人殺しの足軽と変わらぬではないか。殺された手代と同じ目にあわせて、どうなるのだ。……待てよ、あの手代の主人、大阪蔵屋敷の者の話では、加古川から大阪へ出て、何とか店を持つようになったが、失敗し、縁を頼って、升屋の番頭の下で五年働き、再び店を始め、財をなしたとか」
「あの有名な升屋の番頭ですか!」武三郎が驚いた。升屋の番頭・山片蟠桃は、主家だけでなく、取引先の仙台藩の財政再建を成功させる手腕をふるった、有名な番頭である。
「おそらく、その番頭から薫陶を受け、商いに成功したが、妻子を亡くし、妻の里の姫路に戻り、手代に跡を継がせようとしたが、亡くなったので、小次郎に商いの奥義を伝えるを、最後の生き甲斐としたのではないか」

「そういえば、桔梗屋が、小次郎に一献向ける際『ご隠居さま直伝の、ご指摘ありがとうございました』と言いましたが、小次郎は拙者へ酒を回すように辞退しましたが、……なるほど、商いの奥義ですか」伝左衛門は、小次郎の文字を眺めた。

 話をそらされた、武三郎たまりかね、
「では、木刀であの者と勝負します。拙者が勝ったら、小次郎を、婿養子に迎えないでもらいたい」
「武三郎殿、無茶を言われるな。小次郎はな、木刀を振ったこともなく、下げている竹光も、抜いたことがなく、鞘から出せなくなって、皆の物笑いになったこともあるのですぞ」伝左衛門が、かばった。
「では、どうすればいいのですか、算盤で勝負とは言いますまいな」


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