作品名:私説 お夏清十郎
作者:ゲン ヒデ
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万治二年(一六五九)を迎えた。
春三月、稽古事を終えて、お夏は店に戻った。
奥から〇〇弥左衛門が出てきて、お夏に軽く挨拶をして出ていった。
(弥左衛門が婿に欲しがっていたのは、清十郎だ!)と、すぐに気が付く。
父のいる居間に行く。
九左衛門と清十郎の、にこやかな会話が聞こえる。
「清十郎、よくやった」
「はい、ほっとしました」
いきなり入ったお夏、立ったまま、冷たく、
「清十郎、よかったわねえ」
「はあ?」ぽかんとして、清十郎は、お夏を見上げる。
「弥左衛門さまのお嬢様は美しいお方、いいわねえ。どうせ、わたしは不細工。おとっあん!」
「は?」と、九左衛門。
「わたしに、養子の話が、幾つか来ているわねえ。どれでもいいから、養子を選んで!」
慌てて、清十郎、
「お嬢様!それは誤解です!誤解です!話を聞いてください!」
「お前の話なぞ、聞きたくない!ワァーン……」泣きながら自分の部屋へ戻っていく。
清十郎が、泣き伏した。
(あああ、この二人……)と気づき、九左衛門、
「お前たち、いつの間に?」
「滅相もない、お手にも触れたことがありませぬ」と、ヒクヒク泣きながら、辛うじて話した。
九左衛門は、腕組みして考え込んだ。
その夕刻、九右衛門は、娘の部屋へ赴く。後ろに清十郎が、食事の盆を持って従う。
「旦那さま、お嬢様のお部屋へなぞ、……」
「余計なことを言わず、付いて来なさい」
「はあ」
入り、座ると、聞く耳を持たないかの態度の娘に、いきなり、
「お夏、清十郎を、お前の婿にする。どんなに、お前が清十郎を嫌おうと、婿にする。わかったかい」悪戯っぽく笑った。
驚いたのは、お夏だけでなかった。盆の食器を倒しそうになった、清十郎、
「ダ、ダ、ダ、旦那さま……」後は、声を出せなかった。
「お夏、お前、そそっかしいなあ。確かに、婿の話が来たが……」
… … …
○○弥左衛門は、確かに、並々ならぬ理財力の清十郎を欲したが、清十郎は、日ごろ、ご両家はいがみ合っていますが、隣家の次男の方がふさわしい、と辞退した。どうしてだと聞かれ、
(顔を見合わすだけですが、お二人とも好きあっておられます。それに、その方は、剣の達人、どこかの婿になり、恨まれたまま、言いがかりで勝負を挑まれ、剣を持ったこともないわたしが、算盤を振り回しても、ひとたまりもありませぬ)と。
弥左衛門は納得した。そして、隣家の次男との婚儀が無事整ったお礼に、今日、訪れたのである。
… … …
「……そう言うわけさ」九左衛門の説明で、お夏は笑顔になり、清十郎に謝った。
「ですが、旦那様……」不安そうな清十郎に、
「お夏が嫌がると思って、後添えをもらわなかったが、じつはな、外に好きな女がいてな、子も生まれそうだ。これを機会に、店に入れたいが……。お前たち二人の今後は、店を継ぐもよし、暖簾分けもよし、悪いようにはせぬ。あ、ご家老・村上家の親戚筋で、絶家になりかけている家があるそうじゃ。禄高は低いが、勘定方に勤めるよう計らうが、と用人さまの話もあるし……わたしも、まだ隠居する年ではないし、急ぐこともあるまい」
清十郎が、自分の床へ帰った後、
「明日、お世継ぎさまが、会所に来られて、わたしら町役が拝謁する運びだが……。入り婿の話の相手先が町役の方々でな。その前に、その方々に謝らないと。お前も付いてきて、頭を下げたら、納得してくれるが……」父が頼むと、
「そんなことぐらい、いいわよ」
翌日が、運命が激変しだす日とも知らず、お夏は気安く答えた
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