作品名:算盤小次郎の恋
作者:ゲン ヒデ
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半月後、大橋伝左衛門は、徒目付頭から、勘定吟味役になる。不正を暴くのに適した配転で、少し役職の加増があり出世であるが、本人は、くさっていた。八重のことでの嫌がらせかとも考えるが、子供の頃に習った算盤を出して、何とか監査の仕事をし始めた。
八重が、小次郎に算盤を改めて教わったら、と勧めるが、いまさら習わなくても、ぼちぼちと勘定合わせは出来る、と拒んだ。
ある日、商家での内職の漆喰塗りを完成させて、伝左衛門らは、施工主から飲酒の接待を受けた。しこたま酔った伝左衛門を、小次郎が抱えて、連れて帰ってくる。
迎えた八重、
「父上、明日提出の報告書、どうするの」机に帳面類と筆墨が置かれている。
よろよろと近づき、筆に墨を吸わせ、伝左衛門、
「なあに、『子細に調べましたが、いささかも問題これなく候』っと、これでいい」
報告の帳面に書き終え、(食事はいらん、風呂に入る)と、出ていった。
「もう困った父上。あ!湯船に湯を入れていない……。済まないけど小次郎、机の上片づけて。帳面類は風呂敷に包んで」あわてて、風呂へ飛んでいった。
翌々日、家老が、あの若者を連れて、大橋の屋敷に来た。
「あのう、八重のことで……」と、おそるおそる伝左衛門。
「あの話は済んだこと。そうではなく、勘定吟味の報告のことだが」家老は機嫌良く、伝左衛門が書き込んだ帳面を前に置いた。
「至らぬことで、まことに申し訳ありませぬ」伝左衛門は、冷や汗をかきだす。
「いやいや、よくぞ、悪しき長年の不正経理を見つけだした」
「はあ?」
「それにしても、最初の書き出し『問題これなく候』の後の『と思えども、さらに子細に調べれば』から字が違う。娘に清書させたにしては、男の字のようだし? それに商人が使うような言葉も多いが、……」
「ちょっとお待ちください。その帳面を見せてくだされ」
渡された、帳面の最後を見る。酔った自分の字の後に、几帳面な字体で、ぎっしりと細かく書かれた内容に、伝左衛門は驚く。
あわてて娘を呼ぶ。
「これは、お前が書いたのか?」
「父上、私はこんな几帳面な字を書かないでしょう、……これ、小次郎の字では?」
「はて、? ……一昨日、風呂に入る前、小次郎がここにいたが、何時帰った」
「湯を移して、戻った時、帰り支度をしていましたから、四半時(三十分)もいなかったけど、少しの間、酔いを醒ましていたのでは?」
「小次郎は、酒を嗜まぬ。素面(しらふ)としても、わしの算盤の引出しの場所も知らぬし、長算盤は持っていなかったはずだが、……短時間で、算盤なしで、見たこともない、こんな複雑な勘定の多くの答えを書けるはずがないが……」伝左衛門は、首を傾げた。
すると、武三郎、
「算盤の達人は、頭の中に算盤を描き、すごい早さで計算ができると、聞いたことがありますが」
「それに違いない。それにしても、城内米倉の架空残高を見破ったのも凄いが、余っている人員に、暇つぶしの役職を与えるより、藩ぐるみで、商いをして、借財を返せよ、とある。それも加古川の綿作りの農民からの年貢が少なすぎる。大阪の商人が買いたたいて、江戸で高額で売りさばき、大もうけしているからであろう。藩ぐるみで綿を買い入れ、綿布を作り、江戸で売る段取りすべてに、藩士を従事させることを言っているが」
「武士が、商人のまねなど」文面を見ながら、伝左衛門は呆れた。
「このまま手をこまねいていたら、膨れあがる借金で、藩は崩壊する。当然、お前たちの暮らしも崩壊だ。背に腹はかえられぬ。……綿布は、綿の買い入れは、質を良くさせ、買い上げ賃を高くし、江戸で売るのは最高級品にして、高く売れとあるが?」
「そういえば、江戸では、綿の反物は、白さが高いと高額で売られていましたが、我が藩からのは、斑(むら)があり、安く売られていましたが」と、江戸で暮らしていた武三郎。
「大阪商人に買いたたかれるから、百姓は手を抜いているのだろう。藩で専売をするか」
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