作品名:算盤小次郎の恋
作者:ゲン ヒデ
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「そうだろう、武三郎殿は、いい男立てで、江戸の道場で免許皆伝をうけた剣の使い手だそうだが、……ところがな、八重が入り婿に来るのに、とんでもない条件を付けた」
「どんな?」
「自分と剣術の勝負をして、勝たれたら婿に迎えると、ご家老に言いに行った。八重は何を考えているのだろう」
「前の亭主で懲りたにしては変だな……、で、その甥は?」
「『おもしろい』と言って、明日の昼八つ(三時)、ご家老の立ち会いで、この屋敷で試合をすることになった」
「その若者が勝つな。……ああ、忘れていた、小次郎が、漆喰塗りの仕事を、桔梗屋から、取ってきたが、あいにく城のあちこちの修理に関わるので、行けぬが、……お前と、暇な昔の仲間で引き受けてしてくれぬか。嵐の被害で困っているから、良い稼ぎになるぞ」
「ああ、引き受けよう」
孫四郎は家に帰る途中、家老に付いていた若者を思いかえし、(あれは、本当に男前よのう、八重もころっと惚れるなあ。小次郎には、かなわぬ夢か)
やはり父親である。小次郎が、隣の娘に恋心を秘めているのを、感づいていた。この話を小次郎に伝えることに、父は、ため息をついた。
翌日、大橋家の庭では、挨拶もそこそこに、試合が始まった。
まるで敵討ちの身支度で、りりしく襷がけの八重と、軽く裃を脱いだ、家老の甥・武三郎は、青眼の構えで対峙する。じりじりと武三郎が、近づき、木刀を振り下ろすと、八重は跳ね上げる。ガシン!とかち合う音がして、武三郎が後ずさりする。八重が上段で打ち込むと、武三郎は払った。
二人は、元の対峙の姿に戻った。はあ、はあと、八重が息をしていると、武三郎、突然、
「やめた。入り婿の話は、ご辞退します」木刀を下ろしてしまった。
「どうしたのだ」家老は不思議がる。
「八重殿、でしたか。この方に勝つ自信はありますが、女だからと手を抜いて、もしも負ければ、拙者には恥辱。本気ですれば、この方の手、足の一本は折らぬとは限りませぬ。身体を傷つけた、おなごと添い遂げるのは、ご免こうむります」
帰るとき、武三郎は、八重に、そっと言った、
「何も、死ぬ気で戦わなくても……、誰か、他に好きな者がおられるのか?」
八重は、哀しく首を振った。
家老と供に帰る道で、小次郎と出会う。怯えた風情で、二人に頭を下げたが、武三郎をみて、ため息をついた表情をし、通り過ぎる。
「あの、臆病を絵に描いたような若者、何者ですか」
「大橋の隣の、安藤の次男坊だよ、……算盤小次郎は、お前の男前をうらやましく思ったのだろう」
「ああ、うわさの、算盤を背負った、佐々木小次郎ですか。」
「ああ、剣は、まったくだめだ。われらの刀から目を背けていたであろう。腰に差しているのは竹光でな。本物の刀身を見ると、気絶するそうだ。武家に生まれたのに、幼少時の体験でああなるとは、可哀想なことよ」
(八重殿が好きな男が、ひょっとしたら、あの小次郎? ……まさか)武三郎はうち消した。
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