作品名:ここで終わる話
作者:京魚
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「おつかれさまです」
午後は、残りの書類を読みあさった。そしてそれを終えると、レポートのように全てをまとめて報告書に記入していく。枚数はそれほどないが通常ならば最低三日はかかる作業。
それを半日で仕上げ、頭だけであの膨大な量の情報を処理し、たった一度で書き上げていくこの男はやはりただ者ではない。
しかしやはり疲労は尋常ではない。明らかに疲れが表情に出ている。
それはロブだけではない。そばで見守るタンラートもロブが最高の状態で仕事を進められるように最新の注意を払っている。読み終わった書類を順番通りに並び替え邪魔が入らないように精神を四方に張り巡らせている。音が漏れないように窓を閉め切っているため、熱がこもっている。汗の流れる音さえ不謹慎に感じるこの状況に、ぎりぎりで耐えていた。
しかしタンラートはこうして彼の姿を見つめるのが好きだった。
ひたむきに書類を追う強い眼差しや集中力。野蛮な武力だけを盾にのし上がらない、それにも勝る賢い頭脳の持ち主だからこそ、彼は皆に慕われここまでタンラートの心を動かしたのだ。
「おわった」
タンラートの疲れた声に、ロブが答えるように言った。そのままベッドに倒れ込み目を閉じる。
その様子に一安心したタンラートは暑い空気を解放するために窓を開ける。清々しい夜の冷たい空気が一斉に流れ込み火照った頬を掠めた。気持ちよさと眠気に負けたのか、後ろでロブの寝息が聞こえて来た。
毎度のことながら、明日はきっと昼間で起きないだろう。
「本当に、おつかれさま」
後はこの報告書をまとめてロブのかわりに提出すればいい。それはもう明日の仕事だ。タンラートは書き散らかった机から報告書を取り、机を片付けるとロブにシーツをかけた。音を立てないように最新の注意を払って扉を開けて、閉める。そして足下に注意しながら暗くなった廊下を歩いた。
午前二時過ぎ。外は真っ暗だった。タンラートは我慢していた冷たい空気を思う存分食べた。
深呼吸するように空を見上げると、手の届くような位置に月が目に飛び込んだ。
どこも欠けていない、丸い青い月だった。
白い惑星、月。
いつも太陽の後を追うことしかできない月は、その絶望から太陽に恋をした。
太陽の暖かい熱をおびて、白く美しい月は薄く体を黄色に染める。
しかし追いかけられてばかりの太陽は、とうとう月を振り切るように逃げ出した。
その悲しみに月はいつしか宇宙という夜の闇に囚われ、涙のように透き通った青に体を染めて行く。
それでも愛しいものを求め追い続ける白い月を、惑星達は哀れんだ。
そして月は惑星を壊した。
太陽に吸い寄せられるように行き交う惑星を、月は壊した。
太陽を求めるがゆえに紅潮したほほのように、紅葉した紅葉のように、床に溢れた血液のように、月はその美しかった白い体を、赤い光で狂喜した。
月は青かった。
誰かが悲しみに怯えている。
タンラートは無意識のうちに書類の束を持つ手に力を込めた。
「シェイ」
なぜその名を口にしたのかはわからない。
この話を語ってくれたシェイが、月と同じように大きな孤独を持っていたことは、出会った当時から知っている。
青い月とシェイのように、共鳴する寂しさにタンラート自身も怯えていた。
誰にも語れないこの空虚な思いを、彼はどうしても誰かに伝えたかったのかもしれない。耳に輝くブラックパールに哀愁をまとわせる彼と、僕は同じ色の涙をながせるはずだ。
だからなおさら、僕はその月に願う。
僕が求めたものの答えをどうか彼が持っていませんように。
僕らはこれ以上互いを求めてはいけない。
だってもう、孤独なんて知りたくない。
だって、一番自分が大切だから。
歪んで行く月に、タンラートは睡魔を思い出した。
ふらつく足ものと立ち直らせ、何食わぬ顔で宿舎に戻って行った。
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