作品名:私説 お夏清十郎
作者:ゲン ヒデ
← 前の回  次の回 → ■ 目次
 次の店の休みのとき、また縁台に座った清十郎を見つける。
 なにか紙切れを見ながら、考えている風である。その横顔に、お夏は、お久の言ったことを納得した。
 横に座った、お夏、
「何を読んでいるの?」
「わ!びっくりした……またか、はは。江戸の瓦版の写しですよ。江戸から戻ったご家中さまから、写さしてもらいました」
 客との話題作りのためと、お夏は気づく。
「何が書いてあるの」
「去年の大火の原因ですが…えーと……」

 上野の神商・大増屋十右衛門の娘・おきくは花見の時に美しい小姓を見初め、小姓が着ていた着物の色模様に似せた小袖をこしらえてもらい、毎日寺小姓を想い続けた。恋の病に臥せったまま、年明暦元年一月十六歳で亡くなる。寺では法事が済むと、仕来り通り振袖を古着屋へ売り払った。その振袖は本郷元町の麹屋吉兵衛の娘・お花の手に渡ったが、それ以来、お花は病気になり、翌明暦二年の同じ日に死亡した。振袖は再び古着屋の手を経て、麻布の質屋・伊勢屋五兵衛の娘・おたつのもとに渡ったが、おたつも同じように明暦三年の同じ日に亡くなった。
おたつの葬儀に十右衛門夫婦と吉兵衛夫婦もたまたま来ており、三家は相談して因縁の振り袖を本妙寺で供養してもらうことにした。しかし和尚が読経しながら振袖を火の中に投げ込んだ瞬間、突如吹いたつむじ風によって振袖が舞い上がって本堂に飛び込み、それが燃え広がって江戸中が大火となったという。(注 ウィキペイア文章引用)
         
               恋の始まり
「わあ、そんな原因で、大火事になったのね。可哀想な娘さんたちの無念がそうさせるなんて」
「どうも納得がいかなくて、考えていたのですが」
「どうして?」
「計算すると、江戸の人口六十万人のうち、お武家を除くと……女性は十五万人……、この三人の年頃の亡くなる娘さんは、多くとも年に千人、三百六十五日(太陰太陽暦の平均一年を清十郎は知っていた)で割ると一日に三人、広い江戸の、別々の狭い範囲の三人の場所なら、半人にも満たないはずでしょ……それが、翌年、翌々年と小袖が廻り続け 同じ日に、……そんな偶然は、万に一つもない計算ですが」
 説明する確率論に付いていけず、お夏、
「清十郎って、算盤ずくで物事を考えているのねえ」
「いえ、そんなことは……、それに、あまりにも詳しい店と娘の名を、寺が漏らすのも変だし、それから、一枚の小袖は、恋いこがれた相手の着物の色模様に似せた小袖でしょ。そっくりの着物を作って眺める、なら分かりますけど、女心とはそんなものだろうかと?……、お嬢様は、どう思いますか」
「わたしなら……その美しい小姓を探しだし、付きまとって……」
「旦那さまが聞いたら『はしたない!』とお叱りに……あ!……余計なことを言って、すみません」
「いいのよ、気にしないわ」言って、ふと何気なく、
「わたしが、お前に付きまとったら、どうする」
 清十郎は、はっとした。そして震えがきたかのようであった。やっと
「困ります」と言い終えた。
 
 しばらくの間が有り、清十郎は紙入れに、その写し文を仕舞う。
「清十郎、その紙、もう一度せて」
 清十郎は、うっかり紙入れごと渡した。
 お夏は、おみくじを見つけ、取り出し、開いた。
 清十郎は、ああシマッタという顔をし、
「申し訳ありません」下を向いてしまう。そして嗚咽しだした。
(やはり、あのおみくじを……)
 お夏は、清十郎が、自分に恋していることを、さとった。
「じゃあ」といって、お夏は平静な素振りで縁台を立った。が、心は乱れていた。
 縁台を振り返ると、清十郎は、まだ泣いている。
 (わたしに恋しているなんて、ああ、清十郎!)いとおしい気分が、お夏にわき起こる。
 清十郎の顔が浮かび、その晩、お夏は、眠れなかった。
← 前の回  次の回 → ■ 目次
Novel Collectionsトップページ