作品名:ワイルドカッター
作者:立石 東
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 山岳地にあるアシガラ、季節外れの大雨にみまわれていた。
 この辺りは元々深い森だったが、酸性雨のために樹木は枯れ、今では枯れ木が動物の骨のように無造作に転がる禿山となった。
 激しい雨が山肌を削り泥水となって流れ落ちていた。
 閃光を伴う稲妻が、中世ヨーロッパの城を思わせるカトーの別荘を不気味な影絵のように浮かび上がらせた。
 カトーは軍要人の地位を利用して、これまで法外な富を溜め込んできた。ここはその不正な蓄財の結晶だった。
 別荘の一室でミハルは眠っていた。
 柔らかいベッドの中で熟睡するミハルには、豪雨や雷鳴も聞こえなかった。
 ミハルは夢を見ていた。
 写真でしか顔を知らない両親がにこにこと笑っていた。その隣でハラダも笑っている。ミハルは美しいピンク色のドレスを着て誰かを待っていた。幸せな気分が心を満たしてくる。ミハルは両手を広げドレスをたなびかせて両親とハラダに見せた。
『ミハル、幸せにな』
 ハラダがいつものように抱きしめてくれた。
『さあ、彼が迎えに来たわよ。彼のところに行きなさい』
 ママが背中を押す。ミハルが頷いて振り向くと、そこにはカズマが立っていた。
 カズマは戦闘服のまま、『よう』と片手を上げた。
「カズマ、どうしてあんたがこんなところにいるのよ」
 そう言おうとしたとき目が覚めた。
 ミハルはガバッと上半身を起こし、辺りを見た。
「ここはどこ?」
 記憶をさかのぼり、シナノの撃沈、救命艇、見知らぬ男の顔を思い出した。
「拉致されたようね」
 室内は高級ホテルのスイートルームのようだった。置かれている調度品が高級なことは一目で分かる。当然だが武器はない。
 マホガニー製の重々しいドアが開き、きっちりと黒いスーツを着た老人が入ってきた。
「お目覚めでございますか」
 老人は物腰が柔らかい。
「ここはどこ?」
「カトー様の別荘です」
 やはり救命艇の男がカトーなのだとミハルは理解した。
「私、帰る」
「それはできません。カトー様の指示がないと」
「あなたは誰?」
「この別荘を管理している執事でございます」
「どうするつもり?」
「私は存じません。カトー様からお目覚めされたらバスルームにご案内するよう仰せつかっています。どうぞ、こちらへ」
「結構です」
「いえ、これはご命令です。あなたに拒否権はありません」
 ミハルは不機嫌に立ち上がった。
 執事は隣室に繋がるドアをあけた。
「この奥がバスルームです。何か不都合がありましたらブザーを押してください」
 執事が出て行くと、ミハルは室内をくまなく調べた。隠しカメラや変な仕掛けはなかった。鏡もマジックミラーではない。バスルームにも異常はなかった。
「まっいいか」
 ミハルは拉致されたカズマが平気でいびきを書いて寝ていたのを思い出してクスリと笑った。
「カズマを見習うとするか」
 ミハルは戦闘服を脱ぎ、裸になった。
 バスタブに湯を張り、頭からシャワーを浴びた。
 熱いシャワーは快適だった。
 備え付けのシャンプーで体中の砂と汗を落とし、湯船に浸かる。
「こんなに贅沢なお風呂に入るの生まれて初めてだ」
 砂漠の村では水は貴重品なのだ。お湯の中で脚を伸ばし目を閉じると、さっきの夢がリフレインする。
「あれは、私の本心なのかな」
 ミハルの心にカズマの姿が浮かんだ。が、すぐに今の自分が置かれた立場を思い出し、
「リラックスしている場合じゃないか」
 上気した顔で苦笑いすると、慌ててバスルームを出た。
 脱衣所に戻ると、脱いだ衣服や下着が無かった。
「ヤダッ、いつの間に。あの執事、優しそうな顔をしてやっぱり変態だったのね」
 ミハルは素肌にバスローブをまといブザーを押した。
「こら、私の洋服、返せ」
「今、うかがいます」
 落ち着いた女の声が返ってきた。
 すぐに中年の太った女が現れた。
「ごめんなさいね。洗濯しろと言われたもので。乾いたらすぐお部屋に届けるわ」
「あなたは誰?」
「この別荘のメイドです。こちらに案内しろと言われているの。来てくれる。そのままで大丈夫よ」
 ミハルはバスローブのまま後に続いた。
 女は隣室に案内して、突き当りのドアを開いた。
 広々とした部屋に大量のドレスがずらりとぶら下がっている
「ここはドレスルームなの。いろんなドレスがあるから好きなのを選んで着て頂戴。下着も新しいのを用意してあるわ」
「なんのために、こんなものを用意しているの?」
「さあ、カトー様の考えることは、私らには分かりません」
「着がえたくないって、言ったら、どうなるの」
「お嬢さん、余計な面倒を掛けるものではありませんよ」
 メイドも執事と同じように物腰は柔らかいが、絶対的な命令権を持っているのだ。
「そっ。逆らってもムダッて言うことね。分かったわ」
 ミハルは衣装ルームに入り、豪華なドレスの山を見つめた。
「それにしても凄い量ね」
 ゆうに200着はあるだろうか。どれもこれもきらびやかな装飾を施され贅の限りを尽くしてある。始めは興味が無かったミハルだったが、気がつくとあれこれ選んでいる自分が少し可笑しかった。
「でも、みんな大人っぽいな。何このドレスのネックライン。ちょっと変態ぽくない。きっと愛人に着せて喜んでるのね」
 ミハルは熱心に選び、ようやくお気に入りを見つけた。夢の中で着ていた淡いピンク色のドレスだった。
「私、これにする」
 鏡に映してみると満更でもない。赤く日焼けした頬が気になり、鏡台の前に用意されていた化粧品で薄化粧をしてみた。
「お嬢さん、素敵ですよ。花嫁衣裳みたいですね。これをどうぞ」
 メイドは宝石ケースから、ドレスに合わせてイヤリングとネックレスを差し出した。
「ありがとう」
「さあ、お食事にご案内します」
 ミハルは案内されたテーブルに着席した。
『まるで夢のような気分だわ。ひょっとして、あの夢が現実になるのかな。まさかね』
 現実感を失い、急速に高まる胸の鼓動を鎮めるために、大きく息をしようと顔を上げた途端に、飛び込んできたのは、テーブルの向こう側のカトーの姿。ミハルの気分は最悪に落ち込んだ。
「まったく、なんであんな奴の前でこんな格好しなくっちゃならないのよ」
 ミハルはドレスで着飾り、薄化粧までした自分の間抜けさ加減を呪った。と、同時に薄れていた警戒心が蘇ってきた。
「ま、これだけ離れていれば、あいつが吐き出した息を吸わなくてすむわ」
 とは言うものの、100人以上の立食パーティーさえできそうなだだっ広い部屋にカトーと二人でいるのはそれだけで苦痛だった。それに高級家具や美術品で飾られた部屋は成金趣味丸出しのひどい雰囲気だ。
 執事の手でテーブルの上に豪華な料理が次々に並べられたが、ミハルは食事に手を出さなかった。食事に自白剤を混ぜるのは軍や警察の常套手段だ。
『そう言えば、あいつは捕虜の分際でなんでもガツガツ喰ったっけ』
 ミハルはカズマが飢えた虎の子のように、ミハルの料理を食べる姿を思い出して、クスリと笑った。
 カトーにはミハルの笑みが自分への嘲りに感じられ、不快な気分になった。感情を押し殺し、ミハルの顔を見つめた。ミハルは美しい顔をしていた。その表情を見ているうちに不意に古い記憶が蘇ってきた。心の奥底に静めた、誰にも知られたくない屈辱的な思い出が女の姿となって目の前に現れた。彼は自分が直感的に感じた事を否定しなかった。
「さあ、遠慮せずに召し上がってください。うちのコックの腕は一流ですよ」
 感情を漏らさぬ様に笑みを浮かべて彼は言った。ミハルは、嫌らしい笑みを浮かべるカトーを横目で睨み無視していた。
「こんなおいしい料理に毒なんか入れませんよ。それではこうしたらいかがでしょう。あなたがこちらの料理を食べるというのは。まだ手をつけていません。本来なら私が食べようとしたものです。こちらを召し上がるならば、安心ではないですか」
 カトーが目で合図を送ると、執事が料理を入れ替えた。
「さあ、どうぞ」
 ミハルはそれでも手を出さなかった。カトーの唇から笑みがひきつった。
「お嬢さん、手荒な真似はしたくない。この場で、今すぐ死にたくなかったら、食事をしなさい」
 カトーは腰のホルダーから拳銃を抜くとミハルに銃口を向けた。
 ミハルは、銃口からの距離と身の隠し場所を探した。しかし、銃弾から身を隠す場所はない。
『チャンスを待たなければ、だめだわ。それにきっとパパが来てくれる』
 ミハルは稲妻が光る窓を眺めながら、心に言い聞かせた。
「さあ、冷めないうちにどうぞ」
 カトーは丁寧だが威圧的な口調で言った。
 ミハルはゆっくりナイフとフォークを取り、目の前の肉料理を切った。口元まで肉片を運ぶが、屈辱感と羞恥心でどうしても食べることができない。
「さあ、どうぞ、早く、召し上がれ」
 ミハルはその声に観念したように、肉片を一切れ口に入れた。カトーは満身の笑みを見せて、拳銃をしまった。
「あなたとハラダの関係は」
「ハラダは私の父親よ」
「奴には子供がいない。本当のことを言いなさい」
「ハラダは育ての父親よ」
「なるほど名前は?」
「ミハル・・」
「フルネームは?」
「タケ・ミハルだ」
「やはりな」
 カトーは自分の直感が当たっていた事に満足した。目の前に居る女はかつて屈辱感を嫌と言うほど味合わされた女の娘なのだ。
「タケ・ミノルとフジムラ・シノの娘だな」
「両親の名前をどうして知っている?」
「私とハラダ、そしてあなたの父親のタケは陸軍士官学校の同期生だ。ハラダは賞金首などに落ちぶれたが、当時は国防を真剣に考える、真面目で優秀な軍人だった。もちろん、あなたの父親のタケも素晴らしい男だった」
 カトーはミハルの顔を見つめてつぶやいた。
「あなたの両親がなぜ死んだのか、ハラダは話しましたか?」
「新兵器開発中に事故で死んだ」
「そんなたわごとを本当に信じているのか?」
「どういうこと?」
「真実を教えてやろう。あなたの両親はハラダに殺された」
 カトーはミハルの表情の変化を楽しんだ。
 ミハルの表情はフジムラ・シノ、そのものに思えた。
 カトーは女を弄ぶのが好きなのだ。特に若い女が苦しんだり嫌がったりする表情が好きでたまらない性癖があった。
 ミハルの表情は困惑から怒りに変わった
「ハラダと私の両親を侮辱するのは、許さない」
 ミハルは立ち上がった。
「まあ、座りなさい。突然の話だ。信じられないのは無理もない。しかし、真実から逃げることはできません。私が真実を教えてあげよう」

 カトーの話はこうだ。
 タケとハラダ、二人は士官学校時代、トップを競い合う良きライバルだった。
 二人はお互いを認め合い、固い友情で結ばれていた。卒業後、ハラダ、タケ、カトーは連邦政府軍科学技術開発局に配属された。
 ハラダとタケ、二人の関係が微妙に変化したのは、ここでフジムラ・シノに出会ってからだった。
 フジムラは研究室でドクターゼンの助手を勤めていた。
 彼女は美しく聡明な女性だった。知的でありながら気さくなフジムラに、二人は同時に惚れた。
 最初、フジムラはハラダに心を寄せていたように見えた。しかし、フジムラ・シノが選んだのはタケだった。二人は間もなく結婚して仲睦まじい生活を送った。それでも、ハラダとタケの友情に変化は見えなかった。
 ある日、ハラダとタケはドクターゼンの助手として新しく発掘された遺跡の調査に行くことになった。長期間の遺跡調査だったが、高度な軍事機密が隠されている恐れがあるとして、ゼンの意向で二人以外は遺跡に近づくことさえできなかった。軍の内部でもこの遺跡について知っているのはごく少数の幹部だけだった。
 そんな中、タケは遭難した。表向きの理由は、遺跡調査のため最深部に向かったが、道に迷い出口を探すうちに、深い穴に転落し、その後、穴は崩落。どうにも助けられなかったという。
 ドクターゼンはタケの事故死をきっかけに遺跡の調査を中止した。遺跡に新たな発見が見られず、これ以上の発掘に意味無しとの結論だった。遺跡は封鎖され、今ではその場所すら分からない。
 カトーは陰気な顔をさらに暗くして話しを続けた。
「軍上層部は世界的な権威だったドクターゼンの言葉に逆らえず中止を認めました。タケの死についても軍はそれ以上の調査を行うないませんでした。しかし、二人のことを良く知っている私はハラダが意図的にタケを殺したと確信しています」
 ミハルは、自分の両親の名前を使い、ウソを言う目の前の醜悪な男が許せなかった。
「見てもいないのに、よくもそんなウソが言えるわね。口からでまかせ言わないで」
「最初は私も半信半疑でした。まさかハラダがタケを殺すなんてね。しかし、私は聞いてしまったのです。ハラダがドクターゼンにタケを射殺した状況を説明しているところをね。その後、私は対馬管区に赴任したため、詳細は知りませんが、ドクターゼンは軍を脱走し、研究室は閉鎖されました。研究員のフジムラの行方は分かりませんでした。ハラダは数々の戦功で若くして少佐にまで昇進したが、ある日、突然、姿を消して賞金首になった」
「嘘よ。全部ウソ。ハラダが私の父を殺すなんてありえないわ。もし、そうだとしても、どうしてハラダは私を育てたの。合わないじゃない」
 ミハルは自分自身に言い聞かせるように強く否定した。
「殺した男の娘を育てる。普通の感覚では、にわかに信じられない話ですね。ただ、私が見るに、あなたは母親のフジムラ・シノに良く似ています。私がハラダなら、あなたをじっくりと自分好みの女に育ててみたい、そんな気持ちになるかもしれませんね」
 ミハルの怯えた顔はカトーの屈辱感を癒した。カトーは好色な目でミハルを見つめると、にやりと笑って唇を舐めた。
 ミハルの全身に鳥肌が立った。正面に鎮座する男の表情、発想、存在そのものを、今すぐこの世から抹殺してやりたいと心から思った。
「嫌らしい、下衆野郎、消えてしまえ!」
 ミハルはつばを吐き捨てると、カトーの顔目掛けてテーブルナイフを投げつけた。小首を軽くかしげ、カトーはさらりとナイフをかわす。一瞬の隙を見てミハルは、ドアに走り、渾身の力で体あたりする。が、マホガニー製のドアは見るからに頑丈で微動だにしない。ミハルはここを諦め、豪雨にきしむ窓に向かって駈けた。 
 カトーは静かに立ち上がると、内ポケットから金色に輝く特注の拳銃を取り出し、少女の背後を狙った。
「嫌らしい、下衆野郎、消えてしまえ、か。かれこれ18年も前におまえの母親フジムラ・シノの口から同じようなセリフを聞いた覚えがあります。そう言えば、あの時もこの拳銃を使ったんでしたっけ」
 慎重に照準を合わせ、無言で引き金を引く。銃口から風切り音がして、細い首筋に小さな針が刺さった。ミハルはチクリと痛みを感じ、手で払おうとしたが、たちまち目の前が暗くなり、床に崩れ落ちた。
「そう、フジムラも同じように床に転がった。そして。ベッドで私のモノになった」
 轟音とともに窓から指し込んだ稲光が青白い閃光となってカトーの顔を染めた。

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