作品名:RED EYES ACADEMY V 上海爆戦
作者:炎空&銀月火
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“手を、出すな。退け”
それはまるで、静かな湖面に落ちた、一つの雹。強い力を持ち、意識にたたき込むような声。
凛が話しているのに、凛の声に聞こえない。それは、“王”からの絶対命令。
レシカは、自分の意識が変換されていくのを感じた。
―これは、彼らの戦い。私が手を出しては、いけない。
ライフルが、床に落とされた。
「…何故だ…」
初めて、黎が顔色を変えた。そこにあるのは、驚きと怒り。
「何故、お前に“絶対命令権”が備わっている!」
“絶対命令権”。聞いたことのない言葉だ。
「何故、お前だけに…!」
しかし、その意味を考えている暇はなかった。怒りを露わにした黎が爆風のような勢いで迫ってくる。
―なんだ? いきなり態度が変わったぞ?
人は、元からある力に怒りを加えると、最強の力を発する。
―避けきれない…っ!
右の脇腹を手刀が割く。痛みに顔を歪めた凛に、再び黎が肉迫。そのまま拳が太ももをえぐり取った。
「う…あぁぁあああああ!」
頭の芯が痺れるような激痛。凛は、膝から崩れ落ちた。
―だめだ…このままじゃ、やられる…!
「報告申し上げます!」
突然、声がした。それでも黎は止まらない。戸惑いながらも声は続けた。
「目標は逃走致しました。現在第7地区と第3地区を封鎖しています」
「…あぁぁああああ!」
黎が雄叫びを上げて突っ込んでくる。その右腕をなんとかかわし、後ろに下がろうとするが足が言うことを聞かない。
怒りに燃えた黎が、首筋に手を伸ばした。
―そして、思い出した。
一年前、同じようなことがあったことを。
アカデミー脱走の時、精神的にボロボロだったこともあり凛は終始押され気味だった。そして止めを刺されそうになった時、両親の血の記憶と現実の血が被り、狂戦士化した。
―狂戦士化。詳しくは知らないが、一度体験したから解る。狂戦士化したレッドアイズは理性を無くした獣人格に乗っ取られる。そして、敵味方関係無しにその爆発的な力を持って皆殺しにしようとする。
―できるか?
いや、やらなければならない。自分がここで今、死ぬわけにはいかない。
生きている理由など分からない。本当のところ、人間から見たら自分など居ない方がよい種族かもしれない。それでも、生き延びたかった。自分の存在が善か悪かなど、わからない。生き延びたい、と感じるのは本能。
―ここで死ぬわけにはいかない…。
「…う…」
小さな声が口から漏れる。
徐々にその声は大きくなっていき、雄叫びに変わった。
「うわぁぁぁあああああああああああ!」
叫びながら、全ての気力をつぎ込んで、跳ね起きる。そのまま無事な方の足で大きく踏み切り、黎へ飛び出す。
 同時に黎も前へ飛び出した。黎の予想を超えたスピードで凛が切迫し、左手が顔面を掴む。
「らぁぁあああああああああああ!」
そのまま、全体重をかけて黎の頭を叩きつけた。
倒れた身体を、顔に置いた左手で押さえ込む。右手がすばやく黎の腰に伸び、そこに差して
あった小刀―凛が持っていた物を、保管していたらしい―を抜く。そして、抜刀術の容量で自らの左手を切り裂いた。
空間に、紅い飛沫が舞い上がる。そして傷口から流れ出した紅は腕を伝い、開いている黎の口の中へ…。
ドクン。
黎の身体が、大きく痙攣した。
それでも凛は、手を放さない。どんどん血が流れ出し、口の中に入っていく。
ゴクリ、と黎ののどが鳴り、凛の血液を飲み込んだ。
ゴクリ、ゴクリ。
ドクン…ドクン…ドクンドクンドクンドクン…
「あ…あぁ…」
虚ろに開いた口から、呻き声が漏れる。凛には解る。―もうすぐ、呻き声が獣の咆吼に変わる。
「あぁあぁああああああああ…」
びくり、と黎の腕が不自然に動いた。それが合図だった。
カッと黎が目を見開く。血走った白目の内側で、瞳孔が収縮し、形を変える。その周りの虹彩が、毒々しいまでの赤に広がっていく。
「うがぁぁぁあああああああああ!」
傷口があっという間にふさがり、治っていく。
「うぅ…うぅ…」
そして、獣のうなり声を上げながら黎の形をしたバケモノが立ち上がった。
「エモノ…コロス…」
理性を失ったバケモノの姿。
「エモノォォオオオオ!」
叫び声と共に、凛の方へと突進する。片足だけで立ち、避ける。
エモノに逃げられた獣は、標的を変えた。近くに立つ、キメラとレシカに。
「どうなさいました! 副司令官!」
「だいじょうぶか、おい!」
落ち着きを失った隊員達の声が響く。しかし、それが凛の耳には奇妙に響いた。
―あれ…なんだこの感触は…。
その疑問は、心臓の鳴動によって解消した。
ドクン…。
それは、1年前と全く同じ鳴動。心臓が波打ち、目が見開かれ、視界が赤っぽく染まっていく。
―狂戦士化が、始まっていた。

何故だ…?
そう思っている間にも、細胞の振動は速まり、遺伝子がうねり始める。そして、頭の中で獣のうなり声が聞こえ始めた。
―まずい。
理由は分からないが、狂戦士化し始めたのは確かだ。そして、このまま自分までもが狂戦士化するとキメラとレシカは、死ぬ。
―グルルルルル…。
不気味な獣の啼く声。それはどんどん強まり、
頭の中で咆吼が響き始めた。
足と腕の傷が一瞬にして完治する。
短く切った髪が、波打ちながら伸び始める。
爪が異常な早さで伸び始め、かぎ爪のようになっていく。
―異常な高速細胞分裂。典型的な狂戦士化の特徴だ。
(かんがえろ…前になった時には…)
一年前は、自分の腕のツボ、つまり神経の集中したカ所を刺すことにより全身をショック状態に陥れた。すると獣人格が収まり、正常状態に戻った。
―ショック状態に陥れる。どうやらそれが鍵のようだ。
床に倒れたまま、辺りを見回す。司乎の破壊した壁から電源ケーブルがはみ出して火花を散らしていた。
―あれだ。
頭の中の獣を押さえつけ、はいながら進む。奇妙に屈折されたレシカ達の悲鳴が聞こえる。
―早くしないと…。
必死の思いで壁にたどり着き、ケーブルのコーティング部分を掴む。飛び散る火花が肌を焦がすが、一瞬で治る。
凛は口を開き、飛び出しそうになる獣の咆吼を押しとどめながら黎を呼んだ。
「こっちだ! おい!」
その声に反応し、黎が振り向く。その手に掴まれたレシカは、グッタリとして血の気を失っている。どうやら意識がないようだ。
「来いよ! 相手してやる!!」
再び頭の中の獣が吠え始める。それに奇妙に共鳴して、黎も雄叫びを上げた。
「がぁぁぁあぁああああああ!」
そしてこちらへ突進する。
凛は、言うことを聞かない身体に内心怒鳴りつけながら、小刀を構える。
後、四メートル。…三メートル、二メートル、一メートル、五十センチ…。
―今だ!
黎のかぎ爪が凛の肩に刺さる。
同時に凛は小刀を突き出す。痛みに怒り狂った獣が、吠えた。
と同時に勢いに負け、転倒。掴んでいたケーブルが手の少し遠くで揺れている。
―もうちょっとだ…もうちょっと…。
ケーブルを掴もうと腕を伸ばす。その手が空を掴んだ。
―くそっあとちょっと…。
『ぐあぁぁああああああ』
頭の中と、黎が同時に叫ぶ。何故かこの二つは行動するタイミングがほぼ同じだ。
咆吼が鳴りやんだ瞬間、必死の思いで手を伸ばす。かぎ爪が刺さったまま治っていた肩が再び切り裂かれ、激痛が走る。
ケーブルに、手が届いた。
迷わず中指で掌を刺し、血でしめらせる。
水分により抵抗の減少した身体を 百Vの電流が一気に流れた。
―金属製の小刀を伝って、凛と黎の両方に。
「ぎゃぁぁぁぁあああああ!」
更に酷い激痛。いや、苦しみ。電流のせいで筋肉が収縮し、動けない。叫び続けるのどから血が出た。
“ぎゃおぉぉおぉぉおおおおお!”
頭の中の獣も叫ぶ。そしてその痛みに耐えかねて退散した。
糸が切れたように、全身の力が抜ける。ケーブルから手が落ちた。
昏倒しそうになる意識を奮い立たせ、横を見る。
黎は赤い目を見開いたまま気を失っていた。
―逃げなくては…。
他のキメラ達が戻ってくる前に逃げなくては、再びアカデミーに連れ戻される。
でも、腕が動かない。必死で力を込めているのに、ぴくりとも反応しない。
―逃げないと…逃げないと…。
そう思い続ける脳に、急速に闇が迫っていた。
―…逃げ…ない…と…
凛の頭が、がくりと床に落ちた。

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