作品名:私説 お夏清十郎
作者:ゲン ヒデ
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その日、但馬屋では、早めの夕食時に新年を祝うささやかな酒宴を、家族、奉公人でした。
お開きの後、夕刻、店裏の縁台で、財布に、大事そうに何やら入れて、清十郎が、向こうの中ノ門を見ている、
お夏が近寄り、離れて縁台に座る。
「あ、お嬢さま」清十郎は、びっくりする。
「何を財布に入れたの。お八重からの恋文?」三十歳の賄いの女性は、日ごろ、清十郎を褒めていた。
「いえ、私の引いた大吉のオミクジです」清十郎は、動揺して嘘を言った。
(清十郎は、おみくじを買ったかしら?)お夏は、ふと思う。
「清十郎、また、門を見ているの。よく飽きないこと」
「お嬢様、あの優美な櫓門と塀の白い調和、何度見ても素晴らしいし、日の当たりかたの変化も、素晴らしくて、いつも見ほれています。それに些細な美しさを発見するのも楽しみでして」
「お前は、変わっているわねえ、わたしは、あんな物、大嫌い!」
「え?」
「通行の邪魔、まどろこしいの」
「なるほど、そうもいえますね」
しばらく会話がとぎれ、お夏が、
「ねえ、清十郎、お前、酒を飲まずに、白湯ばかり飲んでいたけど、どうしたの?」
「あれ?お嬢様、旦那様から聞かれなかったのですか。……実は、わたしは酒が飲めない質なんです。飲めないと言うより、飲めば死ぬ体なんです……」
造り酒屋の息子でありながら、酒の飲めない体質では、聞き酒ができない。そう思い、父親が酒を飲まして鍛えようとしたら、倒れ、生死の世界をさまよった。
室津は、大名の参勤交代での海旅の港として、栄えていた。
幸い、西国へ戻る大名付きの医師のもとへ、戸板で運び、診てもらい、黄連解毒湯とかいう処方薬を呉れたので、徐々に治っていった。
船出前、礼金とは別に、父親がその医師に酒を飲ますと、気をよくして、清十郎の寝床に寄り、
(江戸で、 算法の大家の病を治すとな、薬代がわりに書をくれたが、思いつきの書き付けだらけで、よく判らんのじゃ。寝ているのも退屈じゃろう。お前にあげよう)といって、文の束をくれた。
「その書き物を読んでいると、妙に、商いのことが判りだしました。あれは、商いの極意書でしょう。病が癒えだすと、酒は売る役に励んで、店のもうけを増やしたのですが、兄夫婦が、わたしが家を乗っ取るかと、不安になりましてねえ、邪険にされ、あの書まで焼き捨てられ……やっと、ここにお世話になったのです」
「お前、苦労したのねえ」
「いえ、次男坊や、三男坊は、そんなもんですよ。ああ、お嬢様、長話をしてたら、皆に誤解されますので、お戻りください、ここを追い出されると、行き場がありませんので」
「清十郎たら、臆病ねえ」
「はい、追い出されるのは、こりごりで」ため息をついて、気を取り直すように、白亜の建物を見続けた。お夏はその場を去る。
ちらっと振り返り、清十郎は、またも、ため息をついた。
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