作品名:ここで終わる話
作者:京魚
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タンラートは、その日一日中激しい雨に視界の悪い窓の外を見ていた。
いつもなら遠くの方に平べったい山が見えるが、今日は辛うじて五メートル先にある細い木々no
揺れだけが見える。
「…」
時計は四時を回っていた。今日は朝から食事のみならず水一口たりとも口にしていない。
何もかもが億劫で、何も考えたくなかった。
頭ががんがんする。吐き気も目眩もとまらない。
心臓の近くでクロスが重く輝いている。その重さは胸を押しつけその形のまま食い込むような残酷で苦痛を持っている。
僕はそれを左手で固く握り込んだ。
細い四本の角が掌に食い込んで、僕が生きていることをしらせる。
今確実に命が減っている。
僕がこうして呑気に静かな部屋で過ごしているたった今も、大切な人は確実に死に近づいている。
刀のぶつかり合う音とか、血のしぶきが飛び散る音とか、人の叫ぶ音とかが、リアルに耳に聞こえてくる。
何も聞きたくないと耳を塞いだ。
何も見たくないと目を閉じた。
僕が彼らのようにもっと力があたら、同じ地で戦い、死ぬことができたのに。
たくさんの人が命を削って今戦っている。
仲間だけではない。
敵にだって命がある。
それを奪う悲しさや苦しさ
背負う辛さに無力さ。
それら全てを僕が背負います。
だからお願いします。
神様、そして先立ったジール、僕の大切な人を殺さないでください。
ウルボスの騎士よ、ルッカレイヤターカの剣をお守りください。
? ? ?
一週間が経った。
僕は中庭を走り抜け、高い塀を行儀悪く飛び越え渡り廊下を横切った。数少ない仲間しか知らない細工をしてある格子を外し門をくぐり抜け、突き当たりを右に曲がって医務棟に入った。
そこからはいっさい音を立てずに静かに走る。しかし焦ってなかなか上手くいかない。
右手に持ったしわくしゃの302と書かれた紙切れを力いっぱい握り閉め、タンラートはひたすら走った。
紙と同じ番号が書かれた部屋を見つけると、急減走させ足から土煙を立たせる。息を整えようと扉の前で深呼吸をするが、できるはずがない。
呼吸の落ち着きをとうとう待つことができずタンラートは扉を開けた。力んで力が入り、室内に大きな音が響いた。
「…」
タンラートは突っ立ったまま、ベッドに横たわる男を見た。
そしてその場に崩れ落ちる。
「よかった」
「腹を七針も縫った人間によかったはないだろ」
力なく泣き崩れるタンラートに向かって、ロブ=カバーはいつものように余裕に満ちた笑顔で言ってみせた。
「タナー?」
暫く経ってもなかなか顔を上げないタンラートに、ロブが優しく声をかけた。
タンラートはようやく顔を上げ、ロブと瞳の中身を合わせた。
「信じてよかった」
ロブの表情が一瞬無表情にかわった。思考が無に射抜かれ目の前が真っ白に晴れる。
「…一階級特進おめでとうございます。ロブさん」
それまで死人のように青ざめていた表情にようやく色を入れたタンラートは、涙を隠そうともせずに微笑んで言った。
「おかえりなさい」
「ただいま」
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