作品名:妄想ヒーロー
作者:佐藤イタル
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妄想の中で出会う度に知っている香りが漂ったり、安堵する雰囲気が漂っていたりするわけだ。
何故、階段の踊り場に積み上げられたダンボールの陰で、あんなにも無意味に恐怖を感じなくてはならなかったかも、これで説明がつく。
足音が同じだったのではない。本人だったのだ。赤いマントと、仮面を着けていないだけの、僕を殺しに来る死神のようなあいつ本人だったのだ。


そうやって考えると、確かに可笑しかった点が多数ある。例えば、彼はツキコちゃんが攫われた時、すぐに追いかけずに、僕のところへ来て「鍵がない!」と報告した。
鍵が無くとも、彼は蹴り飛ばすだけでドアを開けられはずなのだ。多分、僕を誘き出す為にわざわざ「鍵がない」と報告しに来たのだろう。
大体、屋上に来たときに途中から姿が消えていたのが可笑しいと思ったのだ。妄想真っ最中の時は、トイレか何処かに走って行ったりしているのだろう、と思っていたが……井上君がそんな阿呆の様な理由でいなくなるわけは、最初から無かったのだ。


「良かったな、テンジ」
「うん、ありがとう」
だが、あんな死神の様な性格は妄想の中だけの話だ。僕は現実の井上君の優しさに、心から感謝する。あんなに恐い彼を見るのは、もうこりごりだ。


しかし、多数あった疑問が晴れた中で、納得のいかない点が一つだけあった。
何故、井上君は僕を殺そうとしていたんだ? 鍵の報告の件でわかったとおり、赤マントを風に遊ばせていた彼は、ツキコちゃんを殺そうとしていたのではなく、ツキコちゃんを利用して僕を誘き出すことが目的だったはずだ。
何で……。
「うぅん……」
「あぁ? また悩める子羊に逆戻りか?」
「いや、それの事じゃないんだが……先程の夢で、一つ引っ掛かる事があってね」


僕がそう言うと、井上君は思いついたように自分の鞄を持ってきて、中身をゴソゴソと漁り始めた。
「なんだい」
「なんか、今日の朝お前の姉さんに会ってな」
「……姉さんに?」
「おぉ。それで、お前が万が一夢の事で悩んでたら、この紙を渡してやってくれ、ってよ」
彼は鞄から、一枚の渋紙を取り出した。僕はそれをおずおずと受け取ると、背筋に嫌なものを感じた。姉さんはいつも何を考えているかわからないのだ。この紙を開いていいものか、悪いものかもわからない。


「見たほうが、いいんだろうか……」
「夢に悩んでたら渡してくれ、ってオレは言われたからな。お前今夢で引っ掛かる事がある、って言ったべ。見てみればいいんじゃないか」
渋紙が特有のカサリ、という乾いた音をたてた。
「……」


僕は眼を疑った。
だが、恐る恐る開いてみた紙には、姉さんの筆跡で確かにこう描いてあった。


――――姉さんの属する近代化学研究会の研究成果はどうだった? 好きな妄想は繰り広げられたかしら。きっとテンジが悩んでいるのは、井上君の目的がわからないって事でしょうね。
それ実はね、嫉妬から来ていたのよ。貴方の足が学校一、いいえ。世界一速いという設定を作ってしまったが為に、彼は学校一のスプリンターの座を剥奪されてしまったの。
その為に、貴方が邪魔だったのよ。学校一という名誉を取り返すために、ね――――。


信じられない話だとは思うが、僕はこれまで何度も姉さんの化学実験の対象にさせられていた。そしてその度に、酷い目にあってきた。昔、姉さんが作ったカレーが以上に酸っぱかったのも、これで説明がついたわけだ。
姉さんは、やると言ったら何でもやり遂げる人だ。今回の事も、それで納得が行く。
もうとっくの昔に消化済みであろうカレーが、胃の中へとよみがえったような気がした。
そしてそれと同時に、僕の心に姉さんのあの黒い笑みが浮かんで見えてくるような気もした。


「何書いてあったんだよ」
「いや、何でもないんだ。何でも……」
「顔色悪いぞ?」
「か、カレーがね、カレーが……」


まぁとにかく、だ。学校一頭が良いと謳われる僕と、学校一事実足が速いと讃えられる井上君。なかなかいいコンビではないか。
ヨロヨロと教室から出る時に、フと後ろを振り返ってみた。ツキコちゃんが、照れながら少し恥ずかしそうに、僕に手を振ってくれていた。


……体力測定なんて、もうどうなったっていい。憂鬱も、春風と一緒に吹き飛んでくれ。
心が軽くなりすぎた。咲き誇った春に浮かれすぎていた。だが、今はそれでもいいんだ。不満が無いとは言えないが、妄想も悪くなかったんだ。


あの入学式の日……大きな木の上から、子猫を抱えて飛び降り、それを泣いている小さな女の子に渡したツキコちゃんを見つけた。自分を運動音痴だと思い込んでいた僕は、子猫がいるのを知っていても、上る事が出来なかったのだ。そこへ彼女がやってきたのである。
自分については、恥ずかしくて何も言えないが、あの時のツキコちゃんはヒーローそのものだった。普通一般の女の子よりも、非常に野性味が溢れ過ぎていたのだ。




ほくそ笑みながら廊下に出た瞬間、温かい風が僕を包みこんだ。ヒーローに憧れるヒーローというのも、悪くないじゃないか。
僕にもようやく、春が巡ってきたらしい。
「なぁにニヤニヤしてんだよ」
「いやぁ」



――――問題あります。



僕と彼女の、架け橋代わり。
井上君と肩を並べて廊下を歩きながら、僕は鞄にくっ付いているプレートを撫でた。





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