作品名:吉野彷徨(W)大后の章
作者:ゲン ヒデ
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 大伯が伊勢斎王を解任され、飛鳥へ戻ったのは、大津が処刑されてから四十三日後である。ただちに大后・讃良は呼んだ。大津が密かに伊勢の姉の所へ行った理由を、問い質すためである。
 
 ところが、対面するやいなや、大伯は叫んだ、
「官女への恋のさやあてぐらいで、大津を殺すとは!」
「大津は、謀反を計画していた」
「うそです!」
「では、何故、大津は伊勢へ行ったのじゃ!」皇后は声を荒げた。
「大津は、私の所へ参り、『朝廷での私への雰囲気が変なのです、まさかと思うが、叔母上の周辺の者が、わたしを貶めるため動いているみたいです』と言って……」 と言い、控える不比等をちらっと見、
「『お前、叔母様に嫌われること何かしたの』と問うと『いや、跡を継ぐ兄のために、尽くすつもりですが』『まさか、お前、帝位を……』『とんでもない、壬申の乱のときの逃避行の苦労はごめんです、 骨肉の争いなぞ、考えもしません。ですが、遊びで恋文での官女の心の取り合いを兄(草壁)として、私が勝ったけど、ひょとしたらあれが……』、で私に会いに来た理由を聞いたら……」

 大津は、姉に飛鳥へ戻って、叔母に誤解を解いてもらう口添えをしてくれ、と懇願したのである。可愛がられていた姉しか、叔母の心を動かせる者は、考えられなかったのであった。

「やさしい叔母さまが、明るく無邪気な大津に、まさかこんな仕打ちを、なさるとは、

……、あのとき、無理をしてでも、この飛鳥にもどって来れば良かった……」
 泣き伏す姪に、高ぶっていた気持ちを、がっくりと崩した皇后・讃良は、やりきれない後悔の念におそわれた。

 嘆きを終わらせると、顔を上げた姪は、
「わたしは、弟の家に閉じこもり、弟と山辺の後生を、死ぬまで祈ります。叔母様と皆には二度と会いません」
「皇女さま、まさか、あなたは……」不比等が疑う、
「不比等とかいったわね。わたしは天照大神(あまてらすおおみかみ)に長年仕えた身、清浄に励んでいたのに、いまさら、呪いなどせぬ!そんな汚物に満ちた行いなど出来るか!」
  つい、不比等、
「申し訳ありませぬ」ひれ伏して、顔を上げられなかった。

 偶然であるが、その時、地震が起こった。大伯の気迫に、天が応じた様(さま)であった。地震が収まると、
「さようなら、叔母様」といい、大伯は出てゆく。
 皇后は、長い時間、泣き伏した。

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