作品名:闇へ
作者:谷川 裕
← 前の回 次の回 → ■ 目次
掌の血がいつまでもべとついていた。直美の手を強く握り締め走った。汗をかき、男の返り血がずっと乾かないでいた。
林道と併走する格好で線路が敷かれていた。採石場へと伸びている、普段は使われていない。闇の中を二人は走った。直美が躓く、手は離さない。足場が悪かった。闇の中で何かが脚をつかんでくる。線路に敷き詰められた砂利がまとわりつく。南が転んだ、これで三度目だった。脚が思うように運ばない。男にぶちこまれたこめかみの一発が今になってダメージを残してきた。視界が揺れた。闇一色の視界が左右にゆっくりと揺れる。船に乗っているような感じがした。
「立って!」
腕を強く引かれた。直美。力があるな。膝に手を付いて立ち上がる。息が上がっている。切れ切れに言葉を掛けてくる直美。聞き取れない。南の荒い息で聞き取れない。
「立てよ!」
自分に言い聞かせる。遠くに見える光。駅。Y駅だった。真っ直ぐな線路。ゆがんで見える。倒れた。また倒れた。腕をぐいと引かれる。肩の付け根が痛む。痛みが覚醒させる。揺れる視界、ゆっくりと元に戻った。
「まだ間に合うわ」
「ああ、間に合うさ」
膝が震える。力が入らない。手で線路を掻いた。爪が嫌な音を立てる。闇に響く。その先に見える光。間に合う。最終便。まだ出発していない。直美を送り届ける。それが南の仕事。直美が強く腕を引く、南が線路を掻く。嫌な音少しずつ強く大きくなる。もう少し、もう少し。掻いた。南は爪を錆びた線路に食い込ませる。片腕を引かれながら強く掻いた。錆びた金属の匂い。線路からなのか、自分の血なのか。どちらでも良い。鉄臭いたまらなく金属の匂いがする。レールを鷲づかみにする。南、叫んだ。獣の叫び。自分の頭に跳ね返る。増幅し何度もこだまする。脚がもつれる。雪。ちらちらと降り始めていた。Tシャツの南。全身から湯気が上がる。
「もう少しだ」
言い聞かせた。自分自身に。直美に。誰も居ない駅。
<最終便、零時二十五分>
「間に合ったぜ」
直美が強く腕を引く。二人は停車する列車の前に立った。
「男は?」
目の前の列車。背後の闇から声が聞こえた。聞き覚えのある声。長野だった。
「トランクの中だ。助けてやれよ。どういう関係かしらないがそれくらいの情けはかけてやれよな」
言い切って振り返る南。闇の中の男。ダークスーツ。長野、冷たい目で南を見た。
「聞かないのかね?」
「何を?」
「なぜ? と」
南は強く握られた直美の手を振り払った。一歩前に出る。膝が折れる。雪が薄っすらと積もった線路に膝を着いた。大きく息をする。見上げる。長野、小さな男だった。
「Y駅の最終便。間に合ったぜ。直美も送り届けた」
「そう、良くやってくれました」
「もう、良いだろう、俺は帰るぜ」
一歩更に踏み出す。膝を折る。体重を支えきれず線路に横倒しになる。雪、脇腹の傷を心地よく冷やしてくれた。
「南さん、君も乗らないか?」
「もう乗ったよ」
「そうじゃない。この最終便に乗らないかということさ」
「この先に何がある?」
「今はまだ教えられない」
直美が足場を気にしながら駆け寄る。腕をつかむ。引き起こそうとする。力が強い、身体能力が高いのだろう。握力は男性並みだった。立ち上がる南、南よりもいくらか背の低い直美の肩に腕を回す。持たれかかるようにしか姿勢を維持できなかった。
「闇だ。この先には闇がある。俺たちはそこを通ってきた」
列車を背にして南が目の前の闇を指差す。頷く長野が居た。その先の闇。レールを掻き毟りながら南はここに来た。
「そうだ、確かに闇だな。だが、その先に何があるか? 君たちはまだ知らない。来ないか?」
汽笛。長野がスーツの袖を軽く捲り上げる。時間を気にしていた。最終便、間もなく発車時刻となる。
「一緒に」
直美、小さな声だった。肩にかけた腕を強く握り締めた。
意識が一瞬途切れる。首ががくんと垂れ下がる。その衝撃で我に返る。南が次に見たもの。列車。引きずられるように脚を運ぶ。
「一緒に行きましょ」
小さな声で直美が言う。南は直美の肩を強く握り返した。隆起した筋肉。鍛えた身体だった。
「狙撃手か……」
身体が軽くなる。長野。反対側から腕を回してきた。笑った。南が笑った。乗らないと言ったら?
「言えない。そういう物なんだよ、南さん」
列車、ドアが開きダークスーツが数人出てきた。囲まれそのまま中に運び込まれた。スプリングの壊れたような酷い椅子だった。背もたれに持たれかかる。汽笛、二度目の汽笛。それを聞き列車はゆっくりと動き始めた。
「この先に何がある?」
舞う白雪だけが闇をいくらか明るくさせているのだった。
← 前の回 次の回 → ■ 目次
Novel Collectionsトップページ