作品名:平安遥か(T)万葉の人々
作者:ゲン ヒデ
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            イチョウ並木
 二条大路を西へ向かう。
 山部は並木のイチョウの木を見る。この時期には葉はない。枝にひげのように、小枝が上へ生えている。
「家持様、秋になればここのイチョウ並木は、きれいですね」
「ああ、風情があるねえ、ここだけだねえ、イチョウは」
「これは女の木、小さい頃よく銀杏を取りましたよ。あれは男の木だったかな」
「ほう。男と女があるのかね、変わった木だなあ」
「他の木よりも太古からある木でしょうね」
 ふと、思いつく。
「家持様、あの名前がない歌集ですが、よろずの、はっぱの、あつまり、万葉集と名づけるのはどうでしょうか」
「万葉集か,…万葉集…、ううん、採用しようかな 」
 つぶやく家持の前に、朱雀門が見えた。
 
           平城京
朱雀門は高さ22.5m横25m朱の柱、白亜の壁で造られた、大内裏(平城宮)入り口の象徴的な門である。
 その前を、幅75mの朱雀大路が、都中央を南へ4km続き羅城門に至る 。
 そして朱雀門の前を、東西に幅37mの二条大路が走る。
 現在の朝六時半に鼓楼が鳴ると、門が開き、多くの官人が出仕する。

 朱雀門前は、さすがに人混みがある。官吏、貢の荷車の出入りが激しい。
 朱雀門前で待っていた連れの部下4人と、山部の付け人等の荷馬と会い、そのまま西へ向かう。
 予め、家持は赴任用の書類は民部省から貰っていた。
 
 遠い薩摩の国への赴任は、左遷される者が多かった。何らかの失敗、無能、上司に煙たがられるなどの理由であろうか。
 が、家持の部下は立派な人達である。おそらく藤原宿奈麻呂の事件の犠牲者だろう。
 馬は2頭連れている。交互に馬に乗るのである。それから、付き人とは、
後世でいう手代である。仕事に老練な中年で、荷馬を引く配下の者達を率いている。

       暗越奈良街道
暗越奈良街道は奈良と浪速を結ぶ最短の街道である。ただ、生駒山の峠越えなので、上がり下がりの勾配がきつい。昼なお暗い林道のような箇所が多かったとか。
 でも通行量は多かった。
 家持一行は浪速をめざす。
 峠までの途中で山部は、付き人と交代して荷馬を引く。列の最後である。
 家持も部下と交代して歩き出した。山部と並んで話す。
「この荷はなんだね。」
「墨、螺鈿飾りの箱、鏡、朱、薬草類だったかな」
 懐から折り本にした紙を出して見る、付き人から渡されたものだ。
「そんなとこですね、…ドウドウ」
「手綱を持とうか」
「大丈夫ですよ」
 これまた付き人からもらったふでペンで、字を書きだした。
 目を丸くした家持が言う。
「それは、筆だろ、墨汁入れなしで書けるのかね」
 家持に渡し説明する。
「巧く造られているでしょう。この中に墨汁を絹綿にしみこませ、これを被せば汚れない」
 と、現代の筆ペンと変わらない竹細工の筆を見せる。
「舅の処の筆作りが考え出したのですが、細工が難しくてあまり作れないそうです」
「ちょっと貸してくれないかね、浮かんでくる和歌をすぐ書きたいのだ」
「お譲りしますよ」
「ありがとう」

 背に掛けていた荷物袋から巻物を取り出す。例の山部の和歌を載せた巻物である。
 広げてさらさら書く。それから朗々と詠う、その声は木立の中で快く響く。
 最初の和歌は旅での無事を祈る内容である。
 向こうからくる旅人らが手を合わせた。まるで仏様である。
 長歌で風景を詠う。いつの間にか、前の仲間も通行人も、聞き耳を立てて、家持の和歌を楽しみにしていた。


               道鏡禅師
街道の登りの頂上が近づいてくる。 家持の和歌作りが一服した。
 向こうから荷車が来る、都への税を運ぶ荷札板を掲げている。
 峠の下りになるから速そうである。
 人夫の一人が、涙顔で後ろを振りかえながら荷車を押している。
 だいぶ進むと、街道管理の役人達が、端の空き地に埋葬している。
 側で僧が読経する。

「亡くなったのは、先ほどの荷車の人夫でしょうね。泣いていたのは友達か、納める期限が迫ってたでしょう」
「だろうねえ」
「あの僧は」
「旅の袋を持っている。旅の僧だろう、見つけて役人が頼んだろう 」
「でしょうね、…そうだ、家持さま、例の僧はどうなりました」

「なんの僧だね」
「安積親王を看取った僧医ですよ」
「あの男か、いまだに行方を聞かんなあ、腕が良かったから、どこぞでか、うわさになるはずだが。どこで、なにをしているやら…。そうそう、あの寺に出した名簿に、経歴の寺名が、何とか行寺を、何とか光寺と書き間違いがあり、紀伊のはずの出身地が、訛りから河内ではないかと言う者がいてな」
「河内!まさかあの人物が」
「ははは、君もそう思うか。でも、別人だったよ」
「確かですか。でも道鏡禅師の前身がその僧医だったら、おもしろい話になりますよ。弟を按摩指圧で治せなかったのに、姉のでっかいツボに、でっかい鍼をぶち込んで、治したなんて」
「おいおい、人が聞いていたらどうする、でも、ははは、おかしい」
 幸いだれも近くにいない。同行者はだいぶ前を進んでいる。

 家持が道鏡に不審を持ったのは、孝謙上皇に見いだされた頃、惠美押勝が会おうとしても、いろいろな理由をつけて、会わなかったことである。居留守もしたらしい。
 それが、惠美押勝が、道鏡に敵意を持った原因の1つらしい。
 あの僧医なら、会ったら百年目であるから、押勝を避けると、家持は思った。
 
 ある日、あの僧医か確かめる機会ができた。役所からの連絡役を仰せつかった。
 会いに行くと、勤行中なのでといわれ、用件をことづける。
 帰り際、そっと本堂へ忍んだ。
 読経中の僧の後ろ姿に、あの僧医の姿が重なったが、振り返った顔は少し違っていた。
「鼻が高いのだ。僧医はぺちゃとした鼻だった。目元の感じもちょっと違う。何よりも、身長が違う。わしに、顔を見てくれと言うばかりに近づき、立たせて他の場所へ案内したが、わしより1寸(3センチ)高いのだ。たしか、仲麻呂とわしは同じ身長だ。あの僧医は仲麻呂より1寸(3センチ)低かったから、2寸の違いだ」
「成長したのでは」
「23歳位の者が、それ以降成長するかね」
「うーん、そうですね。でも毎日毎日、丹念に顔のツボ、特に目や鼻の周りを指圧して鼻を高くし、寝る時に体を引っ張るような仕掛けの寝床、例えば、足下に弓のようなもので足首に帯を引っかけ引っ張るようにするとかで、身長を延ばすとかは」 
「そんなことする人間が、いるかねえ」
「そうですねえ、できないでしょう。やはり、別人でしょう。でもあの僧医を見つけたらどうします、切り殺しますか」
「別に。なにもせんよ。ただ、あの時はご苦労様でした、とねぎらうだけだよ。彼も災難だよ。治療法を知らなかったのだから。ウナギを食べれば治るなどとは。わしも同じ病に罹って、たまたま、ウナギをもらって食べたら治った。白米の取りすぎだったんだよ。」
「あれ、家持様はウナギですか、私なら、米ぬかと胚がですよ。弟の兄弟子の僧が、その病に罹って、玄米を食べて罹らないのに、白米を食べて罹るなら、除いた米ぬかと胚がを食べればいいと考え、食べると治ったそうです」
「へえ、そんなもので治るのか、ああ、あの時、米ぬかを安積親王に差し上げていたら」
「また娘さんが呆れていた繰り言ですか。それより私、朕に賭けたら」すました顔で言う。
「ははは、でっかいツボに、でっかい鍼をぶち込んで、などと言う帝候補様はねえ、ははは」
「ははは」山部も笑う。
 偶然か、馬がいななく。笑ったか?      

 頂上の休息所へ着き、皆で昼食を取る。
 西を見下ろせば、現代よりも海が迫っている大阪湾がはるかに望める。
「出発の時、娘がなあ、また霊感を得たんだが。私が人々に災害から逃れる指図している姿だそうだ。海中から煙や炎が出てもいるそうだ」
「海中から火山が現れるのでしょうかねえ。私の多くのお妃様の予言のように、当たらなければいいのですがねえ」
「君は難波での仕事が終われば、交野へ戻るのかねえ。最初のお妃の奥様によろしくな、ははは。私は遥か彼方の薩摩だねえ」
「そんな話をすれば、離縁されますよ」
「君は恐妻家だったか、ははは」
遠くを見つめるみんなに、緩やかな風が吹く。この年末に桜島が生まれだすことが感じられぬ、穏やかな風であった。


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