作品名:妄想ヒーロー
作者:佐藤イタル
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「オレがお前の競争相手だ」
脈打っていた心臓が、刹那止まってしまうような気がした。仮面の内側から、僕を刺すような視線で貫いてくる。
赤マントは高台から飛び降りると、信じられないような速さで僕の前に移動していた。
立ちすくんでいた足から、更に力が抜けていくのを感じた。


体格が僕と違いすぎるわけでもなく、不思議な力を感じるわけでもないのに、僕は彼に完全に恐れをなしていた。
近くに来た彼から知っている雰囲気を感じて、一瞬気持ちが安らいだのも束の間だった。
すぐに今までの、あの首に絡まる指の感触を思い出して寒気がした。僕だけ季節が逆回転してるみたいだ。


「お、お前と僕が走るのか……?」
「そっちが出した条件がそれだったからな。そういう事になるんだろうぜ」
仮面で隠れた顔のパーツで、唯一覗いている口元の片っ端をニヤリと吊り上げながら、赤マントは答えた。
「もっとも、お前が負けたらこっちの条件をのんでもらう」
「条件だって?」
「あぁ、そうだ。……お前は何かと目障りなんでね。今回限りで消えてもらうぜ」

――――僕は、今度こそ殺される……!

僕は体中の全神経に意識を集中させた。
……先程の彼の動きは尋常ではなかった。高台から飛び降りるまでは、見えていたのだ。だが、降り立った瞬間から、僕のところへ移動するまでは……僕の視覚では捕らえきれなかった。
いくら妄想の中での世界最速スプリンターとなった僕でも、そんな人並み外れた速さには、ついていけるわけがない。
「くそ……っ……」
「負けを認めて大人しくするんだな」


タイルに膝をついて、うな垂れた。赤マントが、僕の顎に手を添えた。
自分で思っていたよりも、僕は根性無しだったらしい。きっと、眼が虚ろになっていたに違いない。赤マントが、少し呆れたように口元を歪ませた。
そいつの指が、いつものバッドエンドと同じ様に僕の首に絡みついた。ゆっくりと、力が込められていく。
「……ぅぐ……う……ぁあ……」
「あばよ」
妄想の中だからと言っても、痛いものは痛いし、苦しみも現実と同様に感じる。恐怖だって感じる。
喉が潰れてしまいそうで、息が苦しくて眼が潤んだ。


僕だけが知らない間に別世界に飛ばされてしまったかの様に、感覚はより現実味を増してきている。現実味と言うよりも、これそのものが現実なのではないかと錯覚してしまいそうだった。妄想を夢見ている間に、実際の僕の身体が、僕自身の妄想の中へ入ってしまったのではないか、と。
僕の首をギリギリと絞めてくるそいつの、聞くが最後であろうセリフと共に、白い扉とその向こう側が見えた気がした――――――――


「待てぇい!」


――――ダンッ! とタイルに振動が響いた。
一度だけ内履きをキュッと鳴らし、彼女はそこに降り立った。
「綾塚君を、好きにさせはしないぞ!」
「なっ……高瀬……!? く、くそ、何で……!」


赤マントは、僕の首を掴んでいた手を急いで離すと、急遽彼女から距離を置いた。
そして、驚いた様子で高台の方を見た。
そこには、彼女に倒されたであろうただの中年教師達が気絶して転がっていた。
「くっそ……! この役立たず共がぁ……!」
「覚悟しろ! 怪人赤マント!」
僕を絞首刑から解放してくれたのは、他ならぬ囚われの姫君……だったはずのツキコちゃんだった。
あの彼女が……いつの間にか、ヒーローになっていたなんて……!
僕の妄想のはずなのに、僕の知らない場所で、どんどん話が展開している。
だが……


「喰らえぇ!」
「うぐぁ……っ……!」


か、格好良い……格好良すぎる……! 足が速いだけの英雄になっている僕と違って、彼女は全てが格好良すぎるのだ!
あの赤マントが、されるがままになっているなんて! 僕の積年の恐怖を打ち払ってくれているかの如く、彼女は清々しいくらいに赤マントを殴っていた。
男の僕よりも、格好良いなんて事は、気にも留めていなかった。
赤マントのそいつが、高台の上に逃げ戻った時にはもう、僕の中に彼女への憧れが芽生えていた。


「い、何時の間に抜け出していたんだ、高瀬……」
「お前が綾塚君を絞め殺そうとした瞬間だ!」
僕はツキコちゃん、と名前で呼んでいるが、当の彼女は僕の事を名字で呼んでいる。そこに親しみの溝を感じてしまうが……それは致し方ないだろう。
ツキコちゃんはどうやら縄抜けの才能もあったらしい。まぁ、あんなクタクタになるビニール紐ぐらいだったら、僕にだって抜けられる可能性もあったわけだが。


貯水タンクの前に佇んでいるあいつが、マントをたなびかせながらタンク裏へまわって行く。
「チッ……仕様がない……。お前ら二人、潰れ死んでもらうぜ」
「……何をする気だ……」
先程まで締められていた感触がなかなか首から剥がず、僕はゲホゲホと咳き込みながら奴を睨んだ。
タンクから仮面の顔だけをヒョイと覗かせ、そいつはまた、ニヤリと笑った。
「こうするのさ」


刹那、水をギリギリまで飲みすぎた貯水タンクが僕とツキコちゃんの方へと落ちてきた。


……僕の妄想を操っている奴の顔なんて、知りもしないが……今の状況を作ってくれたことに感謝しよう。
第何十回と続いてきた僕の武勇伝の中で、唯一自慢出来るシーンになりそうだ。




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