作品名:アスファルトに還る
作者:谷川 裕
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 新幹線の窓から流れていく景色を見るとも無く見ていた。遠くの景色がゆっくりと流れていく。そうかと思うと、ゴーっという音を立ててトンネルの中に入ったりもする。街に戻るにはトンネルをいくつも越えなければ行けなかった。冬ならばその向こう側はまるで別世界のよう。白銀の世界。今の季節は一番過ごしやすい時期だった。こちらよりも葉の色付きはいくぶん早いはずだ。冬の訪れも早い。私は冬が来るまでのこの季節がとても好きだった。
 私からは何の連絡もしていない。向こうからも連絡は無かった。待っていたわけではない。連絡は来ないだろう。どこかでそう思っていた。連絡があったら私はきっとその場でうろたえ、言葉を失ってしまう。それでいてどこかで期待していた。ひょっこり現れるんじゃないかと。どちらに賭けているわけでもなく…… 今は流れる景色をただ見ているだけだった。


 逃げるように街を出た。自分の居場所を失ってしまった。全ては自分の撒いた種と言えばそれまでだった。

十年前、同じ日。

私は視線を前の座席の背中側に付けられた小さな折りたたみ式テーブルに移した。駅の売店で買った週刊誌。ぱらぱらとめくる。どこかで私の記事が出ている。ありきたりの内容だった。最近、この週刊誌からの取材は受けていない。内容のほとんどは他のメディアからの抜粋、酷い場合には捏造されている事もあった。いちいち気に留めない事にしていた。
 街を出て東京に行った。あらゆるバイトをした。金を貯めた。その後東京を出た。地方都市に移り住んだ。そこで出会った女と良い仲になった。たまたまケーキ屋の娘だった。それだけの事だった。家業を手伝うようになり意外にも自分がケーキ作りに向いている人間だという事が分かった。作るたびに面白くなった。没頭できた。最初は地方のメディアに取り上げられ口コミも手伝って静かに人気が出た。ゆっくりと広がる波紋のようにそれは東京まで伝わった。顧客の数が激増した。それでも作る数を変えなかった。手作業には限界があったからだ。質を落とす事を嫌った。値段も据え置いた。儲けが爆発的に上昇する事は無いが安定した収入を得る事ができた。何度かメディアにも登場した。それでも本業のケーキ作りは今までと何も変える事をしなかった。ウマイ儲け話が連日のように来たが一切断った。今の私の根幹を作ったのがあの日の嫁との出会いであり仕事との出会いであると思ったからだ。その後しばらくし、嫁に子が出来た。男子だった。私が父親になったという事を理解するのにかなり長い時間を必要とした。今ではまるでそれが当たり前のように思えた。メディアが私の過去を掘り出し一斉に叩き始めた。幸い嫁は全てを受け入れ味方に付いてくれた。仕事を変える事は無かった。皮肉にも報道されればされるほど客足が伸びた。それでも作るケーキの数は変えなかった。一斉に叩いていたメディアも時間が経ち少しずつ変化を見せ始めた。掌を返したかのように悲劇のヒーロー、成功者、そんな扱いを始めたのだった。

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