作品名:続 銀狼犯科帳A(ぎんろうはんかちょう)
作者:早乙女 純
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「羹(あつもの)にこりて膾(なます)を吹く」
という古い諺があるが、この羹とは羊肉スープの事である。
だが江戸時代には、羹はひんやり固まった水(みず)洋羹(ようかん)の代名詞になり、今では汁状よりゲル状の方が馴染み深い。
汁を固める寒天(かんてん)を天草(てんぐさ)から凍結乾燥させる技術発明してくれたおかげで水羊羹が出来た。
一説には薩摩二代藩主・光久公の下命でトコロテンを寒い冬に外に出して偶然固まった為、寒天が出来たという。
寒天発明は他にも京都の旅館「美濃屋」主人・美濃太郎左衛門が同じくトコロテンを冬に出して固まっていたので驚愕した由来もある。
いずれにしろ発明者に礼を申し上げたい。
伊予洋風和菓子タルトを作るよう命じた久松定行と水羊羹開発指示者は親戚だが甘い関係かは良く判らない。
釜山(ぷさん)の御難
「その行列、待った!」
若い日本侍(さむらい)が、そう叫び花嫁・朴(パク)成(ソン)鈴(リョン)の挙式行列に突っ込み、振り向いた花嫁を馬に乗せた。
「半井(なからい)様」
「しっかり俺に捕まれ」
手綱をひくと馬は嘶き、前足を天高くあげると朴(パク)家の親族らは腰がひける。
半井(なからい)清四郎(せいしろう)は間隙をぬうように砂塵を巻き上げ、日本海が見える釜山の丘を下ってゆく。
馬上の赤いチマチョゴリが風にたなびいてゆく。
波打ちの音と成(ソン)鈴(リョン)の揺れる黒髪がピニョという朝鮮簪で一体になる。
漁村の民は、この光景に絶句。
成(ソン)鈴(リョン)は尚も清四郎にしがみついたまま美しい黒髪を揺らして下って行く。
港には白亜の二階建ての豆(と)毛(も)浦(ぽ)倭館が見えてくる。
側面の四つ辻から花郎(ふぁらん)が二人飛び出し路を塞いだ。
花郎は朝鮮王朝の武官であり両班(やんぱん)(貴族)でもあり市中取り締まる役人である。
清四郎は太刀を抜き右手に持つ。二人の花郎は対峙し、日本刀より短く軽い片手剣を構える。
「成(ソン)鈴(リョン)落ちないよう、しっかり握れ」
清四郎は両足で馬の腹を叩き疾駆して、日本刀を両手に握り花郎の片手剣を矢継ぎ早に払いのけた。
世界の剣術は東洋西洋ともに片手剣が主流で日本刀のように両手で握るのは珍しい。
片手剣は急所を隠して闘えるが、一方、日本刀は両手で持つため急所をさらけ出すが片手剣より長く重たいのを振り回す事が出来る。
云わば身を捨てて活路を切り開く手法。
清四郎は片手剣を次々とはじく。
宙を舞った剣は地面に刺さる。
花郎達の視線が地面に移った瞬間、清四郎らは和館になだれ込んだ。
「清四郎、なんという事をしてくれた」
対馬藩の滝山は清四郎を叱責した。
清四郎は対馬藩から練丹術という医学をも仕入れるため豆(と)毛(も)浦(ぽ)倭館に来ていた。
「丹は塗れば金属メッキになり、口から含めば奇応丸という薬になる。清四郎、この丹の技術を朝鮮から盗め、これは徳川幕府からの特命でもある」
と滝山から発破かけられていた。
「お前ら、このままだと二人とも死罪だ」
慶長の役で失った朝鮮との交易を、対馬藩は徳川幕府と朝鮮国の仲介する形で再開出来た矢先である。
倭館内には日本人総勢三百から五百人がおり、その内訳は医師や職人商人そして対馬藩の侍と幕府役人がいた。
「清四郎、もはや対馬藩だけでは隠せない」
「滝山様、我らを引き渡すのなら、ここで自刀して果てまする」
傍らの成(ソン)鈴(リョン)も身を乗り出して平伏する。
「私も同じでございます。身は引き裂かれても心は一つでございます」
清四郎は成(ソン)鈴(リョン)と向かい合い脇差を抜く。
「待て。他に手立てがある」
滝山は制止した。
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